年度末の道南出張(後半戦)…令和6年3月31日 | 銭函浄土寺のブログ

年度末の道南出張(後半戦)…令和6年3月31日

皆様おばんでございます。

30日の19時頃に無事に5日間の出張を終えて、

帰寺いたしました~。

 

さてさて・・・

道南出張の続きですが、

29日10時に函館を出発して、熊石へ。

約2時間掛かりましたm(__)m

途中、乙部町にて看板を見て、寄り道。

何度も訪れていましたが見落としていましたね。

 

箱館戦争にて官軍上陸の地であったのです。

以下、乙部町HPより、

「新しい北海道の夜明けとなった箱館戦争。ここ乙部にも箱館戦争の足跡があります。明治2年(1869年)4月9日未明、乙部の海上に官軍の大艦隊が押し寄せ、津花(元町)、相泊(館浦)に上陸しました。乙部に上陸した官軍は、現在の宮の森公園の一部として整備されている瀬茂内の丘周辺などで旧幕府軍と交戦し、五稜郭を目指したのです。今も官軍が上陸した場所にはその跡地として碑が建っています。」アクセス:乙部町役場から徒歩で約3分(乙部漁港内)

 

とあるように、きっと敵軍が手薄な場所であったことから、

上陸を決断したのでしょう。

この日は、正午前に熊石相沼の無量寺様に到着し、

午後1時半からの法話に備えました。

こちらは13年ぶりに参らせていただきました。

というのも、私が地区会長(小樽~函館)をさせていただいた時に、会計職を担っていただいたのがご当山の当時住職の岸辺上人でした。

 

しかし、就任1年目の冬に急逝、ご遷化されてしまったのです。まだまだこれからという早すぎるご遷化でご葬儀に伺いましたが、皆が皆涙涙の辛いお別れでありました。

 

以来、地区の会計職を担う会計さんは、岸辺上人がお持ちであった鞄を引き継がせていただいております。

 

当寺の法話でもお話させていただきましたが、和やかな笑顔は今でも忘れることはありませんし、それはお檀家の皆様も同じようですね。彼のご恩に報いるべく今後も精進して参ります。

29日、この日は乙部町に宿泊。

源泉掛け流しのお宿、光林荘に泊まらせていただきましたが、温泉好きの私としてはとても有難く、癒されました~。

 

私は三度の飯よりも温泉を重視したいタイプなので(^^;

鄙びた温泉宿は大歓迎!なんですが、こちらはリニューアルしていてとても立派なお宿で、私にはもったいないくらいでした。

 

さて、翌日30日は、

乙部町の法然寺様。

午後1時半からの法話でしたが、チェックアウトが10時、

宿からお寺まで5分程でしたので、ちょっと寄り道して、

厚沢部の道の駅に寄り、お野菜とお味噌と写真にはありませんが、お米を購入。

新鮮野菜が買える道の駅が大好きでもあり、良い買い物をさせていただきましたm(__)m

 

早速、31日の晩御飯に大根菜っ葉のお味噌汁を作り、美味しく頂戴しました~。

 

 

さて、法然寺様での法話は、何と本堂満堂のお檀家様に迎えられ、お支えをいただき、有難く終えさせていただきました。

 

ご当山のご住職様は布教師の大先輩であり、地区の教化団という団体の団長様、そして、その団体の副団長を務めさせていただいているのが私ということもあり、日々ご教導をいただいておりますm(__)m

 

お檀家様の熱心なお姿は、日頃からのご住職様を始め、寺内皆様の御教化の賜物と、いつかうちのお寺も本堂を満堂に出来るように生涯かけて精進して参る所存です。

こちらは乙部の海。

後ろ髪(引かれる後ろ髪はない(^^;)を引かれながら、乙部を後にしましたが、この度のご縁を糧にまた明日から精進して参りたいと思います。

午後3時頃、出発し、ほぼ休憩することなく走り、4時間ほどかけて到着。

 

まずは事故や粗相なく5日間を終えたことに、ホッと安堵しています。

来月はまた5日間のお説教の出張があり、今度は総走行距離が1000キロを超えそうなので、心身ともに英気を養って、臨んで参りたいと思います。

 

ではまた!

 

合掌