あれよ、あれよと鹿児島に帰省して、一ヶ月。
一応、東京に帰ってからの事もあるので、
生活費は設計事務所でバイトをさせて頂いてます。
まぁ、田舎とは言えこの一ヶ月、
何気に色々と起こってます。
んー、余り明るい話題ではないですが、
兎に角、病院に行く事が増えました御見舞いで。
帰省当時は、93歳になる祖母が
足を骨折し入院していて、更に痴呆があるので
目を離しては行けない為、看病へ。
で、間もなく祖母は無事に退院をしまして、
病院と縁が切れたと思っておりましたら、
伯父が入院しました。
しかし伯父の場合は事態が深刻でして、
余命一ヶ月~三ヶ月と宣告を受けました。
以前も似た事があったのですが手術をし、
ミルミル回復して下さり、当時受けた宣告から
5年も生き抜いて下さってました。
しかし今回は、黄疸が顔に出てきているので
望みも危うい事態です。
祖母の時からですが、
病院に足を運ぶ度に考えました。
親族然り、人が亡くなる事は、
非常に悲しく寂しい事に変わりはありませんが、
一番思う事は、その方が
例え短命でも長命でも、少しでも多くの満足と
生き抜いた感を持っていたとなると、
決して、見送る側も悲しいという気持ちだけではなく
満足で見送るのも良いのではないかと。
仮に周りから見れば、それは間違っているという
判断の維持であっても、
ご本人が願って止まない、満足する形なら
それは、周りが決めつける価値の方が間違っていると。
そー思えて仕方がないのであります。
もー少し、ちゃんとご説明出来れば良いのですが、
こんな感じです。
死は、ある意味、
その方の人生の、ある達成し遂げたい事を
ある満足するラインまで達し得た証と
功績なのではないかと、そー思えてしまいます。
だけど、もう少し伯父には
生きてほしいなーとも、望みを捨てきれません。
いやー、もう一回、耐えてくれる筈です。
そう、信じています。