諸行無常というのは


常に変化し続ける


だからそんな変化していく

ものだから、何かあっても

気にしない方がいい…


という教えでは無いです


自分達は子供の頃から考えてみると

小学生では1年ごとにクラスの子が変わり、友達も増えたり、減ったりして


中学生になれば思春期になり、親との関わりが変わり、部活などで友達もまた変わり


引っ越していく人もいたり


もう、それっきり会わなくなる人もいます


就職、結婚、出産、など

変化し続ける人生の中を生きています


それが当たり前過ぎるほど

当たり前です


20代後半まで自分には親友と呼べる友が居ました


毎日のように自分の悩み、会社のアホ上司の愚痴、あれやこれや言い合って、励まし合いながら関われる良い関係でした


でも、その毎日会っていたのも仕事が忙しくなったり、転職や環境の変化で会う時間が無くなってしまいました


そんなことをしているウチに

会おう、会おうと思いながら、まぁいつでも会えるしな…という気持ちがあり、時間に余裕が出来るまで、会おうとせず


久しぶりに、電話がかかってきても「ちょっと忙しいんだよね」と会わなかったんですね


そして…

その電話の一、二週間後にその方は35歳という若さでこの世を去りました


もう、その人とは会えなくなってしまったんです


最初に聞いた時は「またまたぁ〜嘘だろ」と思っていましたが


お通夜に行った時も、喪服の人達を見ても、泣いてる人を見ても、まったく実感がなく


棺桶の窓から顔を見ても「人形じゃなくて?」という感じで


まったく実感がなく


途方もない悲しみが押し寄せたのは、後日でした


仏陀が言う


「この世は諸行無常、人はいつ終わりを迎えるかわからない。

老いも若きも関係なく突然終わりがくる」


というのを身と心を持って体感しました


諸行無常だから気にしない

変わるのが当たり前なんだから、どんなことも気にしない


それは諸行無常でもなんでもなく

在るものを見ず

見ないようにしているだけ

そこから逃げているだけ


それは、諸行無常とはまったく関係ないと自分は考えています


では、自分が考えている諸行無常は何か


「生き方を変えろ」という教えだと考えます


常に変化し消滅する世界です


亡くなってしまった人には

もう挨拶も、感謝も、雑談も、愚痴も、声、感触も何も感じられないのです


だから、伝えられる時に伝えたい


だからと言って「何がなんでもそうしろ」という事ではなく


心がけるくらいがちょうど良いと感じています


諸行無常という変化していく世界で自分はどういきるか


自分だけ良ければそれでいい世界を生きるか


他者の幸せに貢献できることを幸せにするのか


心地よいだけを観るのか


心地よくないものを観るのか


すべては自分の自由です


その中でも自分は「雲のように変化し、雄大な自然のように受け入れていく」そういう在り方で「在るものを観る」ことをしていきたい


また自分だけではなく

他者にも幸せに繋がる気づきを届けたいと思っています


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