正義と悪という概念はどういうものか

想いと想いという方が本質に近いような気がします

争いなどは、どちらも想いという正義のぶつかり合いとなります

この正義というのはどういうものでしょうか

本来、正義というのは正しい道理、道すじ、人としての正しい行いを指します

英語のjustice ジャスティス
と同じに使われていますが、まったく違います

justiceは権利が法で守られ、争いになろうと法により正しく裁かれ、法を破れば罰をうけるという意味です

本来は正義もjusticeもべつに嫌うようなものではありませんでした

人が勝手に作り出した正義を作り、勝手に嫌っているだけ

正義というのは、その人がどういう生き方をしてきたのか、どういうものを大切にしてきたのか

それによって決ってしまうというものです

これを仏教では煩悩と呼びますが
怒りとして人を争わせる「瞋恚 じんに」という怒りの煩悩に繋がります

正義ではなく煩悩です

この煩悩に人は振り回されます

そして、振り回されない、本来の平和、平穏、安寧というのは理解していくこと

現実をしっかりと受け止めて、理解する

そこから目を背ければ安寧はありません

ジャッジしないとは何か

在ることを知るとは何か

平和とは何か

否定、批判ということを思ってしまう自分とは何か

人は自分の物差しで判断してしまいます

でも、それは仏陀もそうです

仏陀は仏陀の物差しで自分なりの判断をして、教えを広めた

その物差しというモノを、物差しとするのか

その人を観るのか

別の見方をすればそれは、それは違うものになります

物差し、判断、ジャッジ、批判と捉えているのは自分であって

全てが判断になります

善、悪、判断というのは無くすことではなく
自分の中に観ることです