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前編の続きです。

 

前編はこれです↓↓↓

https://ameblo.jp/zen11874/entry-12831224786.html

 

 

では後編いってみよう!

 

 

 

仏教が好きだったり、スピリチュアルもだけど、傾倒し過ぎると。

神様みたいになろうとしちゃったりするよね。

 

特に仏教なんかは、イメージ的に悟って神様になるみたいな?そんなイメージあるでしょ?

 

僕はお釈迦様もべつに神様みたいな感じでは無かったと考えています。

禅的な解釈でも神様とは考えてませんし。

 

お釈迦の言葉から想像できます。

 

「この世において私以上に幸せを求めるものはいない。修行を完成しても、それでよいという事はない。道を追求する事に終わりはない」と言っています。

 

「終わりはない」という事は、お釈迦様も煩悩、悩みは尽きない事を修行により悟ったという事です、ゴールは無く求め続ける。

 

だから「私以上に幸せを求めるものはいない」という言葉になるんだと解釈しています。

 

それと。

 

人によりポジティブとネガティブがあります。

 

ポジティブというのは「誰かのせいでこうなった」「まあ、この状況はそのうち変わっていくでしょう」という、ある意味自己中的な考え方。

 

こう考えていると、例えば前編で話した友人の話しだと「仕事で怒られた」という事も「あいつ怒りやすい奴だから、しょうがないよな、どうにかなるでしょう。」と思っていて。

 

べつにメンタルも安定していて。

普段の生活に影響しない。

 

一方、ネガティブは全部自分のせいにする。

 

「怒られた」→「自分が全部悪いんだ」となる。

 

その考え方だと自分に向き合って、自分を整えていかねばならなくなる。

 

もちろん、それで解決する事もあります。

 

でも、ポジティブの場合もネガティブの場合も、どっちもそうだけど。

全てどちらかだけで解決することは無いと断言します。

そんな完璧な方法はないですよね。

 

自分の経験からもそう思います。

 

魂を整えるためには現実的な対処も必要です。

色々なモノに繋がれなくなりますからね。

 

それと、ポジティブもネガティブも。

ただの生き方のスタイルの違いだったりします。

 

だから、元々はどっちが凄いとか、凄くないとか、良いとか、悪いとかじゃない、これ重要ポイント。

ポジティブが良くて、ネガティブが悪いという考えが主流ですからね。

 

ただ、毎回自分に原因を求めて、上手くいかない!上手くできない自分がイケないんだ。。。を繰り返していると「学習性無力感」に陥ってしまうと言われるから怖いのです。

 

例えば、犬が拘束されて電気ショックを受け続けると。

「もう無理だ」と思い込んでしまい。

拘束を解いても、逃れようとせず、電気ショックを受け続ける。

 

「何をやっても無駄」という無力感は、何もやる気にさせなくなります。

 

もう、あなたは大丈夫だよ!できる!

 

と言われたところで「いや、簡単に言うなよ…無理だよ…」となってしまいます。

 

こういった理由から、自分ばかりに問題を見つけて、心の反応を抑えまくることはオススメしません。

(だからと言って自分をまったく観ないというのは違いますよ)

 

なんでも、かんでも「これは自分の学びだ」なんて思って責めすぎない。

 

もう一つ、ポジティブというのは現実を正確に見れていないという一面もある。

 

ネガティブの方が現実を正確に把握していると言われています。

少しゆるく考えた方がいいというのは、正確に捉えられるのはいいけど、それだと精神的には疲れてしまうからでしょう。

 

現実をしっかり受け止めても、全てを受け止め、考え、悩んでいると精神的に負担が大きいです。

 

どこかは、気を抜いて考える事が大事ですよね。

 

前編でも言いましたが、仏教では自分に問うていくことを大事にしています。

 

同時に正しく見るので、物事を慧眼の眼という様々な視点と智慧で観ていく。

 

それが、魂や宇宙の法則、エネルギーの動きを知る事なんですね。

 

だから、自分ばかりが問題を作っていると見ないで、広い視野で観ていくことが大事になってきます。

 

例えば。

 

仕事で明日の〇〇時までにやらなきゃならない仕事があるとします。

 

前日、上司からは何度も言われていて遅れる事が出来ない。

 

当日、道が事故渋滞です。

1時間も早く出たのに遅刻しそう。

上司に電話しても出ません。

 

でも、なんとか時間ギリギリに着きました。

 

でも、上司は怒っています。。

「お前!ギリギリに持ってくるとは何事だ!普通早く持ってくるだろ!もうお前には頼まないからな!」と怒っています。

 

上司はこっちの話しを「黙れ!」と全く聞いてくれません。

 

この場合「心を乱さない。怒るのは相手の問題なんだ。落ち着け。物事に良い悪いは無いんだ。心を乱すな。。。」と、自分の中に問題を探しますか?

 

自分が悪い、悪いと自分を責めちゃいますか?

 

人によって心が反応する出来事は違うと思いますが。

 

自分が悪いんだなんて思ってるひと!!!

 

心の反応を悪者にし過ぎてませんか?そんなことしてたら、頭の中がグルグルしてオカシクなっちゃうよ!!!と言いたい!

 

僕だったら、しっかり愚痴は言うし。

怒りも湧くでしょう。

 

それと、しっかり色々な視点で観ます。

 

この場合どう考えても、上司にも問題がありますよね。

自分も対策できるところは、するしかないですが。

 

やっぱり怒り、不安、悲しみが湧いてくるじゃないですか?

 

それも「ふざけんじゃねーよバ○上司!!!ク○やろー!!!」「こっちの話しくらい聞け!」と思っていいし、そりゃ愚痴ぐらい言いたくなる。

 

だから、誰かにそのまま愚痴を言ってもいいんですよ。

というか言った方がいい。

 

叫んだっていいくらいです。

 

口に出すことで整理されることもあるんだから。

 

出さずにいればモヤモヤ貯金は溜まっていきます。

 

そして、もうこれ以上たまらない!限界!!!

となって爆発してしまいますよね。

 

ただ、話す人は選ぶこと!

ただ聞いてくれる人に話すこと。

 

これは!本当に本当に本当に重要!最重要ポイント!

 

話して、逆に「あんたが悪いんじゃないの!?」「だから、こうすればいいんじゃん!」「自分にも原因あるよね」なんて、いらないアドバイスされて、ストレス溜まったなんてアホくさいでしょ。

 

「うっさいわ!ボケ!黙って話聞け!!!」って思うでしょ。

 

「あ~話さなきゃよかった~」なんてね。

 

やっぱり人間だから、アドバイスなんかいらないよ!聞いて欲しいんだ!!!って時あるじゃないですか。

 

自分の気持ちを受け止めて、認めてあげるには、ただ聞いてもらう事も必要な時があるんです。

 

他人に受け止めてもらう安心感が、人の心を前に向けるエネルギーになったりするんですね。

 

これを読んでいる方たちも、きっと勉強熱心で読んでいると思いますし。

前に向くエネルギーを持っている方たちだと思います。

 

仏教には悟りに向かう道筋として、八正道というのがありますが。

 

そうやって、物事を一つひとつ正しく見ていく事も、自分なりの八正道の一つだと思っています。

それが、エネルギーとか気のコントロールになるんですね。

 

そういう過程を経て、普段の生活を整えながら、心が安定して反応が少なくなっていく。

 

その人、その人により背負える荷物は違うので。

 

最初から一番高い山に登ろうとしなくてもいいんですよ。

 

お釈迦様も未来の事を考えたり、悩んだりしているんですよね。

 

前編にも書きましたが、禅ではお釈迦様を神様のように神格化していません。

それと、悩みを必要以上に「悪いモノ」にしないことです。

 

勘違いして苦しくならないように、色々な視点で生きていきましょう。

 

ということで!

 

後編書いてきましたが、いかがでしたでしょうか?

 

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では、また次回お会いしましょう🎵

 

またね〜(´▽`)ノ