二年も間があいてしまいました。
久しぶりにこのブログを思い出して開いたので、また細々と書いていきたいと思います。
2016年夏、砂漠のど真ん中で一週間自給自足をしました。
そうです、バーニングマンというやつです。
リノの砂漠に街を作り、アートを作り、物々交換をしながら、砂嵐の中生き抜くという一年に一回のイベントです。
ずっと気にはなっていたのですが、私は昨年はじめて参加しました。
2日目の朝、自分のキャンプ全員がまだ寝静まっている明け方にぶっこわれたチャリで砂漠の奥へいきました。
一人で朝日をみました
砂煙りと何も無い空と
真夜中でも朝でもどこかに人がいました
みんな自分のやりたいことをしていました
見た事も無いようなアートが砂漠にランダムに置かれていて
その中の一つの、魚の骨のような鉄の楽器の前の台座で瞑想をしている人がいました
私はその楽器を演奏してみたかったので、その人の瞑想が終わるまでその台座の後ろにある表彰台のようなブロックに座りぼーっと待っていました
しばらくしたらその人が振り返り、挨拶をしてきたのでポツポツと話をしました
どれくらい話していたのか、日が高くなって暖かくなってきて
私はそこでは何者でも無い開放感からなのか、(名前も、職業も、話す必要がないのです。)相手が身の上話をしてきたからなのか、自分の事をすこし話して泣いてしまいました。
なにを話したのかあまり覚えていませんが
なぜかそこで、お別れする前に歌を一曲歌ってくれと言われ、台に乗って日本の歌を歌いました。
本当に久しぶりに
へたくそな歌
一曲終わったら、5人の人が自転車に乗って、歩いて、砂漠のどこからか集まってきて表彰台に座り始めました。
わたしは
歌ってもいいの?と聞いたら
綺麗なお姉さんが、聞かせてちょうだいよ、と。
老夫婦が、急ぐ用事もないし、面白そうだったから来てみちゃった、と。
ゲイのカップルは何も言わずに頷いてくれた。
そのままイタリア歌曲や、アメリカの歌、日本の歌、何曲も歌わせてもらいました。
私は、聞いてくれて本当にありがとう、と。
みんなは、聞かせてくれてありがとう、と。
その時に、はじめに瞑想をしていた人から君のバーニングマンでのgiveは、歌を歌う事だね、とおしえてもらいました。
その人にとって、二年前に人からもらった、ちょっとした意味のあるブレスレットをもらって
忘れ無いようにね、ヒヨったらこれを見て勇気出して歌うんだよ、と。
そこで歌を聞いてくれた人たち、誰一人とも再会する事はなかったのですが
おかげで朝も夜も歌を歌い続けた一週間でした。
うまいとか、下手とかじゃなくて
伝わるか伝わらないか、自分は好きか嫌いか、そこにいたいのか、いたくないのか
ただ、ききたいのか、ききたくないのか
私の歌を、そういう捉え方してくれる他人がいてくれたこと
応援してくれたこと
自分にとって歌がどれだけ好きか、大事かを再確認できた出会いでした。
日常にもどり、現実に戻り、
あれから歌を歌っていなくて、
今は私は音楽が好きなんだろうな、とこっそり思うくらいだけど
何も考えずに砂漠で歌う事がどれだけ気持ちよかったか、癒されたか
歌で泣いてくれたり、誰かの気持ちに寄り添う事ができたり、人が集まってきたり
その人にとって何か大切なものを交換でくれたり
そういうことも、ある場所にはあるんだというのが
捨てたもんじゃないなと思います。
本当は歌が歌いたいなぁ、
もっと歌が歌いたいなぁ。
言ってみる、だけ。
