先週末、耳鼻科と肛門科に行ってきました。

 

耳鼻科では耳の聞こえづらさと眩暈について診ていただきました。

 

色々と検査をした結果、どうやら低音が聞き取りづらいようで難聴とまでは行かないまでも正常値の最下限だったようです。

 

鼻が悪いのが影響しているようで暫く通院が必要とのことです。

 

眩暈については内耳の炎症が影響しているようで、半年から1年の継続治療が必要となりました。

 

20代の頃に良性発作性頭位めまい症に罹ったことがあり、原因は不明とのことですが恐らくはストレスが原因。

 

今でも夢でうなされる位に強烈なストレスがかかっていた時期だったからです。

 

当時、朝起きたときに天井がグルグルと回っていたのです。

 

自分がどっちを向いているのか判別が付かない程にグルグルと回っていて起き上がることなど不可能。

 

焦りましたよね、そんな経験初めてでしたから。

 

医者にも行けず落ち着くまでひたすらに寝ているしかありませんでした。


 

一度当該眩暈を起こすとなかなか治りづらく完治というのは難しいようです。

 

今から5年くらい前にも同様の眩暈を起こしたときには、横浜にある眩暈の専門医に診てもらったことがあります。

 

そこでも色々と検査をしましたが結論、単純に運動不足につき眩暈が起きないようにする体操を教わりました。

 

その頃から実は右を向くと眩暈が起きるようになり治らなくなってしまいました。

 

普段の生活には支障がないので仕方がないと思っていましたが、今回眩暈の薬を飲み始めたことにより右を向いても眩暈が起きないようになってきました。

 

5年間ずっと内耳が炎症を起こしていたままだったのですかね。。。

 

 

とにかく回復に向けての光が見えましたのでひとまずは安心。

 

 

肛門科では診ていただいた結果、薬で治すのは難しいようなので手術をすることにしました。

 

早いところこの煩わしさから解放されたいので手術を即決。

 

注射を患部に打つだけの日帰り手術で済むそうです。

 

切除手術となると1週間から10日の入院だそうですが、なかなかそんなに休むのは難しいですからね。

 

これで回復することでしょう。

 

 

我が人生を振り返ってみれば自分を甘やかしてきたなとは思いますが、自分を大事にはしてこなかったなと思っています。

 

甘やかすのと大事にするのとは似て非なるもの。

 

だから今まで病気がちの人生だったのだと思います。

 

自分のことを裏切り大事にしてこなかったからです。

 

 

そういう経緯もあり先日のブログでも書きました通り、今年は自分を大事にしたいと思っているのです。

 

大事にするというのはもっと言えば自分を愛したいと思っています。

 

愛すためにはちゃんと向き合わないとダメですね。

 

 

何やかんや今までの人生、自分のことを見て見ぬふり、随分とないがしろにしてきたなと。

 

10代後半から20代前半は自暴自棄のときもありました。いつか死んでやろう、いつ死のうかな、みたいな。

 

心臓が悪いのに喫煙していました。今考えればバカですよね。

 

30歳手前あたりでしょうか、遊佐さんと出会ってから人生がガラっと変わったのです。

 

厳密には出会ったからというよりはその前に自分を見つめ直したからなのだと思いますが、遊佐さんと出会ったことで私の人生は激変しました。

 

生きる意味を見出すことが出来ました。

 

バカな部分も含めて受け容れることが出来るようになったからなのかな。

 

しかし残念なことにそれでも今日まで改善出来なかったのが「自分を大事にすること」でした。

 

自分を大事にする、つまりは自分を愛することが出来て初めて、他人を本当の意味で愛することが出来るのかな。

 

遊佐さんのことも本当の意味で今までよりも大切な存在として考えられるのかもしれません。

 

 

知らず知らずのうちに他人を傷付けてきたのかもしれませんね。

 

本当にごめんなさい。

 

 

 

突然ですが最近「死」についてよく考えるのです。

 

死んだらどうなるのか。。。

 

幼少期に死ぬことが怖くて泣いたことがありました(笑)

 

 

思うに、普段寝るときに布団に入って段々と眠くなっていつの間にか寝落ちしているものと思います。

 

寝落ちする瞬間ってわからないですよね?

 

で、いつの間にか寝ていて次の日の朝になって目が覚めるから、

 

「あー、よく寝た」

 

と思うわけです。

 

昨夜の記憶と今朝の記憶が繋がるから「寝ていた」と思うのです。

 

私の場合、最近では朝に目が覚めたときに、

 

「あー、私は生きている」

 

と思うのです。

 

そんな感じで最期死ぬときは、段々と眠くなっていっていつの間にか寝てそのまま目が覚めない、つまりはそれが「死」なのだろうなと勝手に解釈しています。

 

きっと来世というものもあるのだろうな。

 

でも現世の記憶は消えているのだろうから、生まれ変わったという認識は無いのだろうか。。。

 

 

私は昔、きっと武士だったのだろうという根拠のない自信があって何となくイメージが湧くのです。

 

そういうのがわかる人に観てもらったことがありますが、確かに私は前世では武士だったようです。

 

そんな感じで現世の記憶は来世の私が何となくのイメージで思い出すのかもしれない。

 

 

不思議な話はこの辺にしておきます(笑)

 

本日もお疲れ様でした。