知人の税理士法人で、社員税理士が顧客とスタッフを引き継いで独立しました。 ですがSNSでは「一人でゼロから独立します」と宣言していました。 心理学的に見ると、この「ゼロから」という言葉には、いくつかの心の動きが重なっていると思います。 まず、人は人生の転機を「物語」として語り直す傾向があります(自己物語化)。 たとえ現実がそうでなくても、「自分は挑戦者でありたい」という理想の自己像を守るために、 たとえ顧客やスタッフを引き継いでいても、 “ゼロから”という言葉を使うことで「現実」ではなく「物語上の真実」が優先されて、心理的整合性を得ることができます。 また、理想と現実のギャップを埋めるための認知的不協和の解消も働きます。 「自力で始めたい」という想いと、「実際には顧客を引き継いでいる」という事実のズレ。 その矛盾を、“ゼロから”という物語で整合させているわけです。 “事実”よりも“納得できるストーリー”を優先する自己防衛反応の現れとも思えます。 さらに、周囲に対して「潔い独立」と見られたいという印象コントロールの意識もあるでしょう。 税理士業界では「顧客持ち出し」などが誤解されやすいからこそ、 「ゼロから独立」と表現することで、周囲への印象を“クリーン”に保とうとしているのかもしれません。これは社会的防衛反応かと思われます。 そして何より大きいのは、自己効力感を高める効果です。 独立初期は不安も多いです。 だからこそ、 「ゼロから挑戦する自分」を言葉にすることで、自分自身を鼓舞しているのかもしれません。 また、この言葉には通過儀礼としての意味もあると思います。 古巣との心理的な切断=再出発の儀式。 だからこそ、「ゼロから独立します」という言葉は、 事実の説明というよりも、自分を奮い立たせるための言葉だったのかもしれません。 「誇張」や「虚飾」と断ずるのは早計で、むしろ人が新しい環境に適応するための自然な心の防衛と再構築のプロセスと見るのが妥当だと思われます。 不安と希望が入り混じる、その瞬間の人間らしさが表れているのだと思います。