「大谷問題」について | 税理士ブログ

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まず前提として、大谷選手が「悪い」訳ではなく、

彼に群がる人々が良くないのである。

 

それを踏まえて、

最近のテレビは大谷を酷使していると感じる。

私としては、〇〇ロスの反対という意味で、「大谷フル」「大谷オーバー」である。

お腹いっぱいで食傷気味なほど、大谷報道でイラつきすら覚え、チャンネルを変えたり、それでも大谷の場合、テレビを消すことも多くなった。

 

彼は野球選手として、自分の仕事をしているだけであるから、悪いことはない。

むしろ成績が良いのであるから、立派なものである。

 

問題は、

メディアが大谷、大谷、大谷・・・・・・・と毎日の様に報道することである。

 

日本人が海外で頑張っている事を、簡単に伝えられるスポーツ選手の報道は

需要もあり、批判も少なく、「取材」も最低限で済み、安上がりだ。

しかし、結婚報道では流石に批判もあった様だが、朝から晩まで同じ報道を流すメディアは、

自らの責任を忘れているのではないか。

もちろん、ずっと政治や経済のニュースばかりでは味気なく、つまらないだろう。

しかし、メディアジャックよろしく、同じ内容を報道することは、視聴者も必要なニュースを知る機会を失う事になる。

 

今回の賭博問題で、日本メディアは

「日本は大谷をしっかり報道してきたから、彼の人となり(良い人)を知っているから彼を疑わないが、アメリカはそうではないから疑惑があると見ている人もいる」

という主旨のことを話していたが、

私は彼がいわゆる「好青年」とは思っていない。

それは、「ゴミ拾い」をしたのが偽善だとかではなく、結婚時の会見でも冗談なのかもしれないが、「あなた方がうるさいから」「それを言う必要はない」などの発言からわかる様に、どこにでもいる普通の青年であった、と言うことである。

歴史に残る野球選手ではあるが、完璧ではない「人間」である。

 

彼が周りの人を、うるさい、と思う最大の理由は、メディアの過剰な報道のせいであろう。

もちろん彼の人気、収入もメディアのおかげであるので、

「芸能人」ではないから、取材をするなという反論はできない。

 

しかし、メディアはいつもは報道の自由、知る権利などを武器に、政権批判する。

それは戦前の世論誘導の手先となっていた反省、反動であり、

政権批判をしなければメディアではない、ともとれる姿勢をとる。

ここに今回の大谷報道、メディアスクラム的な報道の原因があると思う。

 

とくダネ落ちを恐れ、他社(他者)と違うことを恐れるメディアの報道は、

それこそ現在の「多様性の時代」にとって時代遅れである。

 

一方で、テレビ好きの側からすると、

ゴシップや陰謀論として、

大谷はもう英語はだいぶ慣れた(日常会話くらいなら大丈夫そう)ので

お金のかかる、年上で、頭の上がらない兄貴分を排除しようとした、と言う話も面白いと思うが、

信頼してきた長年の通訳にお金の問題で絶縁?する事になった悲しみは計り知れない。

 

今後、彼の成績が落ちていった時のメディアの報道が思いやられる。

(好成績かもしれないが)