今日6月8日は、終戦の年(昭和20年)に特攻(神風特別攻撃隊)により沖縄方面で戦死した中島秀彦陸軍大尉のご命日です。


中島秀彦大尉については、実姉白川栄子さんの書かれた「沙羅の花」で知り、このご本で本当の優しさとは何か?を考えさせられましたので、ご紹介させていただきます。


「沙羅の花」によると、中島秀彦大尉は大正13年に大分県中津市に5人兄弟姉妹の長男として生まれ、18歳で陸軍士官学校入学、21歳で卒業後航空士官学校入校し飛行機の操縦を学ぶ、時に昭和19年4月、同年9月には所属基地に配属される。その後各地に配属後、鹿児島県「万世特攻基地」を最後に神風特別攻撃隊として沖縄方面に出撃戦死す。とあります。


では、母(たか44歳)息子(秀彦23歳)の手紙の遣り取りより、お二人の相手を思ん慮る気持ちを感じ取っていただけたらと思います

昭和20年5月11日(秀彦より母たか、へ)
拝啓 久しくご無沙汰いたしました。只今当地にいますが本日出発致します(注:前進基地への移動)去る4月22日、○○隊長として命課され目下、猛訓練を実施致して居ります。以下略
(注:前年暮れに特攻隊員に決定)


昭和20年5月17日(母より秀彦へ)
三重県と静岡県の葉書同時に拝見致しました。天皇陛下に帰一し奉る日の、いよいよ近まりましたことを深くお喜び申し上げます。生死を超越しての上は思う存分職務を遂行できると、固く信じています。家の方は家内一同達者で、あなた様の武運をお祈り致しております。ご先祖代々の御霊も、そして幼き貞子の魂も、今は仏の身となり、あなた様をご誘導して下さることでしょう。
散る桜、残る桜も、散る桜。あの美しかった桜の花びらも、今はひとひらも残っていません。みんな散ってしまいましたが、桜葉は青々と空一杯に茂り、栄えています。姿は変わっても御霊は永遠に盛るものと信じます。遅くとも、早くとも、しばらくの間です。また皆、かの国にて、ご面会の上は積もる話を楽しく語り合いましょう。

字数の都合で一部割愛し後半部分より掲載

大阪駅でのお別れを最後と諦めておりましたが、また、都城(宮崎県)でご面会ができ、私の楽しみが一つ増えました。この手紙がお手元に着きましたならば、またお便り下さいね。楽しく楽しく読みます。ではお体に気をつけて下さいね。秀彦様。母より。


5月25日(秀彦より母へ)
拝啓 ご書面拝承仕り候。文意しかと承知致し申し上げ候。
八日市より戦友に依頼して柳行李を送付候間、大貞駅にて受領相成り度し。右ご通知まで。
敬具


6月8日 (母へ)
色々と御世話になりました。晴れの出撃も後数時間後です。お体を大切に一歩お先に、さようなら。

以上が特攻出撃する直前の手紙の遣り取りです。


中島秀彦大尉戦死後の昭和20年6月18日の妹(佳代)の日記より

お兄様の遺品到着、小さな小包郵便物であった。一瞬なつかしい気持ちで小包を開くのもおそしとふるえる手で母と一緒に包みを解いた。誰も無言で開かれつつあるものへの注視、開いて一つ一つていねいに触れて見た。まだお兄様の香りがそれに満々ていた。使い残しの葉書一枚、便箋封筒等の僅かな残りものにも、たった今まで使用していたと思えば、更になつかしさがこみ上げてくる。何に使ったであろうか純白の布一尺あまり、ホロリと母の涙がそれに落ちた。以下略


特攻隊員となった息子と母。母は息子が後顧の憂いを懐かぬよう気丈に振る舞い、息子は母を思ん慮り淡々と振る舞う。そこに、相手の心の安寧への配慮が感ぜられ、本当の優しさを見ましたが、皆様は如何感ぜられたでしょうか。


今日ご紹介したご本「沙羅の花」(文芸社)はお勧めです。ただし、読後は極論ですが我々周辺の溢れるような優しさが、随分と軽い浮ついたものに思われるかも知れません。


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