お久しぶりです
今日からまた書いていきます(^o^)
まず僕自身も色々仕事場であったり飲みの席で陰謀説や都市伝説みたいのを話す事が多いのですが…
みんな「やりすぎコージー」の都市伝説に影響されすぎ(笑)
特にセキルバーグこと関の言う都市伝説。
たしかに面白い
ただそれだけ
やっぱり芸人だから話がうまいし、うまくまとめてるし、「信じるか信じないかはあなた次第」という決めセリフによって、絶対ではないという逃げ道を作っているし
とりあえずこないだ関信者から熱く語られたから言うと、
服部半蔵は松尾芭蕉だった。それで松尾芭蕉が徳川埋蔵金のありかをカゴメの唄で全国に広めたという話。
物凄く面白い話ですが、
少し歴史詳しい人だったらわかると思いますけど、半蔵と芭蕉では生きている時代が違いますし、
服部半蔵となるものは初代から十二代目までいて、誰の事を言ってるか的を得てなくわからないし、
そもそも初代服部半蔵(保長)は、松平清康に仕えた武将。
(初代のみ忍者だったという説もあります。)
保長の息子、二代目服部半蔵(正成)も松平清康の孫である
徳川家康の代まで親の保長とともに忍者部隊を率いる武将として仕えた。
結局初代、二代目ともに武将です。
↓二代目服部半蔵(正成)
忍者?(笑)
完全に武将ですよね
しかしよく服部半蔵の名で知られているのは、
この二代目服部半蔵(正成)の事なんですよ(笑)
よくわかりませんよね
話は戻して松尾芭蕉との関係性なんですが、
まず時代がっ!(笑)
松尾芭蕉1644年に伊賀で生まれ、1694年11月28日に大阪で死没します。享年51歳でした。
↓松尾芭蕉
一方、初代服部保長は生年不詳だが1596年に死没されたと”戦国人名辞典”には
記載されております。この年号が正しいがわかりませんが、
初代半蔵に関しては約50年程差があり、松尾芭蕉が生まれる前に死没していることがわかります。
二代目服部正成は1542年に三河国に保長の四男として生まれ、1596年に死没されたとなっております。
どちらにしろ松尾芭蕉とはかぶってもおりません。
まぁ確かに松尾芭蕉の有名な”奥の細道”での高齢での移動スピードが
異常だった説がありますが、服部半蔵とは完全別人でしょうね
ただ松尾芭蕉自身も忍者発祥と言われている伊賀出身でしたし、
松尾芭蕉が忍者だったのでは…
とまた面白い話になりそうですが、
僕の予想では、あの時代に様々な土地へ行くのは
普通では不可能なことだったのに、
松尾芭蕉は可能だった、と考えれば、
なにか公認の探偵みたいな方だったのでは(笑)
なんて考えております
まぁ真実は誰にもわかりません(^o^)
ただ服部半蔵=松尾芭蕉はあり得ませんので、信じすぎもいけませんよ
歴史の教科書は嘘ばかりですが、いちおそこらへんも勉強しましょう
おしまい.