チェーホフ・ユモレスカ(新潮文庫):アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ | 夜の旅と朝の夢

夜の旅と朝の夢

~本を紹介するブログ~

【ロシア文学の深みを覗く】
第28回:『チェーホフ・ユモレスカ』

チェーホフ・ユモレスカ―傑作短編集〈1〉 (新潮文庫)/新潮社

¥620
Amazon.co.jp

チェーホフ・ユモレスカ―傑作短編集〈2〉 (新潮文庫)/新潮社

¥620
Amazon.co.jp

今回紹介するのは、チェーホフ(1860-1904)の短篇集です。

チェーホフの主な仕事は、戯曲と短篇小説です。戯曲も評価は高いですが、短篇小説家としてのチェーホフは世界でも有数というような評価を得ています。

チェーホフの特徴は、同じく短篇小説の名手として知られるモーパッサンやポーなどと比較してみると分かり易いのですが、「物語」を排除したことにあると思います。読者の意表を突く展開がないどころか、起承転結すらはっきりとしないことが多いです。

と、そんな紹介をすると、つまらなそうに聞こえるかもしれませんが、そうではありません。チェーホフは、ある状況における人間の行動や心の動きに注視し、それをユーモアとアイロニーとペーソスを用いて描いて、それが読者に深い感慨を与えてくれます。ですから、物語の筋ではなく、登場人物に注目して読むとチェーホフの良さが分かると思います。

さて、当初、チェーホフは、苦学生としてモスクワ大学の医学部に通いながら、生活費を得るためにユーモア短篇を濫作していました。しかし、グリゴローヴィチという小説家に濫作は才能を浪費しているだけだと戒められ、その後、気持ちを入れ替え、文学に真摯に向き合うようになったと言われています。

今回紹介する『チェーホフ・ユモレスカ』は、濫作時代のユーモア短篇を集めた傑作選です。チェーホフの本当に優れた作品は、文学に真摯に向き合うようになってから生まれた後期のものですから、それらの傑作と比べると、本書に収められた作品は、完成度などの面で一段劣ることは否定できません。

しかし、物語の筋よりも人間描写に重きを置くチェーホフらしさは既に現れていますし、ユーモアに特化しているため、読んでいて素直に楽しめるという良さがあります。

ちなみに、『チェーホフ・ユモレスカ』は単行本では3巻までありますが、文庫では今のところ2巻まで。文庫で3巻目が出版されてから読もうと思っていたのですが、待てど暮らせど3巻目が出版されないので、今回は文庫の1、2巻だけ読みました。

1巻目には65篇、2巻目には49篇収録されていて、さすがに全部は紹介できないので、気になった作品をちょっとだけ。

個人的に最も異色と思えたのは、2巻に収録されている「飛ぶ島」。本作は、ジュール・ヴェルヌの小説の翻訳という体裁をとっているのですが、実際にはヴェルヌの小説のパロディです。SF仕立てで珍しく物語があって、ドタバタ的ですがこれが中々面白い。

また、本書には小説とは言えない、エッセイ的なものも収録されていて、そのうちの一つに「小説のなかで一番たくさんでくわすものは」という作品があります。タイトル通り、小説でよく見かける状況や人物をリストアップしたものですが、チェーホフの着眼点などが分かって面白い。少し引用するとこんな感じ。

『美しくはないが感じのいい魅力的な人物。暴れ馬から女主人公を救う主人公―度胸があって、あわやという瞬間に力を発揮する。
 果てしない天空、広大無辺の……不可思議な遠方、ひとくちに言って、大自然!!!
(中略)
 召使は、先代のことから勤めていて、主人公のためなら火のなかへでも飛び込み覚悟を持っている。辛辣な皮肉屋だ。
 口が聞けないだけが人間と違っている犬、オウム、うぐいす。(1巻P27-28)』

現代日本文学などには当てはまらないかもしれませんが、ロシア文学では確かに多いと思わせるものが多数。というか、チェーホフの短篇小説にも見られることもあるのですが、それはもしかしたら、パロディとして書かれたのかもしれない。なにせ、ヴェルヌの作品のパロディ小説を書くくらいなのだから。

とそんなバリエーション豊かな短篇集。実は面白さがよく分からない話もあるのですが、全体的に見れば、楽しみながら読める本だと思いますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。

単行本はこちら。
チェーホフ・ユモレスカ/新潮社

¥1,890
Amazon.co.jp

チェーホフ・ユモレスカ〈2〉/新潮社

¥1,890
Amazon.co.jp

チェーホフ・ユモレスカ〈3〉/新潮社

¥1,890
Amazon.co.jp