ドストエーフスキイ全集2(河出書房新社): フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー | 夜の旅と朝の夢

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【ロシア文学の深みを覗く】
第23回:『スチェパンチコヴォ村とその住人』他5篇

ドストエーフスキイ全集〈第2巻〉スチェパンチコヴォ村とその住人 弱い心 白夜 他 (1970年)/河出書房新社

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世界文学全集のような叢書系の全集が廃れてから久しいが、特定の作家に係る本来の意味での全集は、今でも新刊で様々なものが手に入る。とはいえ、衰退は否めず、例えば、ドストエフスキー全集は複数あるが、いずれも絶版または品切れ重版未定という状態だ。

全集は、文庫全集のような例外もあるけど、基本的に重くて持ち運びに不便だし、置き場所はとるし、値段は張るし、まあ、忌避されるのはよく分かる。だけど、全集でしか読めない作品もあるので、忌避してばかりもいられないのだ。

というわけで、今回紹介する本は、河出書房新社の『ドストエーフスキイ全集』の第2巻。米川正夫による執念の個人訳である。

ちなみに、河出書房新社の『ドストエーフスキイ全集』には何種類かあって、同じ2巻でも異なる作品が収録されていたりするので、購入の際には注意が必要。本書は、1969年から1971年にかけて出版されたもので、河出書房新社の『ドストエーフスキイ全集』の中では最も新しいものだと思う(紛らわしいことに、「決定版」とは別なのだが・・・)。

さて本書の収録作は、『スチェパンチコヴォ村とその住人』、『弱い心』、『人妻と寝台の下の夫』、『正直な泥棒』、『クリスマスと結婚式』、『白夜』の7篇。

【スチェパンチコヴォ村とその住人】(1859)

長めの中篇小説というべきか、短めの長編小説というべきかは分からないが、とにかく本書の主要作品。前回紹介した『鰐』と同じユーモア小説の系統に入るのだが、その長さといい面白さといい、その系統の作品の中では頂点に位置するような小説だ。

スチェパンチコヴォ村の地主エゴール・イリイッチは元軍人で学はないももの誠実な人物。しかし、意思が弱く、かなり頼りない感じがする。エゴールの母は、再婚相手の将軍と死に別れ、スチェパンチコヴォ村でエゴールと一緒に住むことになる。母は、スチェパンチコヴォ村に越してくる際、何人か引き連れてくるのだが、その中にフォマーという男がいた。

フォマーは文学を志していたが芽が出ず、将軍の道化を演じることで、何とか将軍家に食客として居座ることができていたのだ。しかし、将軍が死んだ後、少し耄碌した母や人の良過ぎるエゴールを与しやすい人間と見るや、道化から暴君に豹変し、道化を演じさせられたことに復讐するかのように、スチェパンチコヴォ村を意のままに操るようになったのだ。

そんなスチェパンチコヴォ村から離れて一人暮らしていたエゴールの甥セルゲイは、エゴールから手紙を受け取る。スチェパンチコヴォ村に帰ってくるようにとのことなのだが・・・

本作は、セルゲイの視点で書かれており、セルゲイがスチェパンチコヴォ村で過ごした2日間の出来事がメインとなっている。とはいえ、セルゲイは単なる語り手であって、本書の主役はタイトルにもあるようにスチェパンチコヴォ村の住人。登場する住人の数は比較的多いのだが、そのほとんどが変人で、どのキャラクターも立っている。そんな変人たちが暴君フォマーの下で右往左往する様子が面白くないわけがない。

だが、最も面白いのはフォマー自身なのだ。まあ、嫌なやつだし、自分のことを閣下と呼べと言ったり、すぐに駄々をこねたりと子供じみているし、それでいて自尊心だけは強いしで、かなり困ったちゃんなのだが、なぜか憎めない。フォマーという人物は、ドストエフスキーが創造した全人物の中でも最も記憶に残る人物だと思う。

【弱い心】(1848)

比較的長めの短篇小説。下級官吏と思われるヴァーシャとアルカージイは親友同士で同じ部屋に住んでいる。ヴァーシャは、結婚が決まり、アルカージイに報告する。共に喜びを分かち合うヴァーシャとアルカージイであったが、ヴァーシャはちょっとした問題を抱えていた。

ヴァーシャは、役所の仕事とは別に、あるお偉いさんからの個人的な筆記の仕事を受けており、その収入はこれからの結婚生活のためになくてはならないものだった。このときも、ヴァーシャは筆記の仕事を受けていたのだが、結婚に浮かれてしまい仕事に手が付かない。仕事が進まないのに、期限は近づいてくる。仕事を落とすかもしれないという恐怖に耐えられない、弱い心の持ち主ワーシャは・・・

冒頭はコミカルだが、徐々にシリアスにそしてグロテスクな様相を呈して、いつの間にか物語にのめり込んでしまう。あと、何気に語り手(≒作者)の立ち位置なども面白く、実験的な試みが行われている気もするのだが、よく咀嚼できていないので、再読する機会があれば、その辺りにも目を向けたい。

【人妻と寝台の下の夫】(1860)

『鰐』に収録されている「他人の妻とベッドの下の夫」と同じ短篇小説なので省略。

【正直な泥棒】(1848)

小さな部屋に下宿しているアスターフィがその宿主に語る思い出話。アスターフィが貧しかった頃、何の因果か分からないが、さらに貧しくアル中で仕事もしないエメリヤーヌシカを養うはめになった。エメリヤーヌシカというのがタイトルにある正直な泥棒なのだが、なぜ正直なのに泥棒なのか、彼は悪人なのかそれとも善人なのか・・・。ラストが切ない愛すべき掌編。

【クリスマスと結婚式】(1848)

こちらは嫌な読後感を覚える掌編。数年前のクリスマスパティ―で出会ったろくでもない男がまんまと自分の思い通りに事を運ぶ物語。憎まれっ子世に憚るのは、ロシアも同じか。

【白夜】(1848)

『やさしい女・白夜』で紹介済みなので省略。

総合的に見ると、「弱い心」も捨てがたいけど、やはり「スチェパンチコヴォ村とその住人」が一番面白い。「全集でしか読めない作品」の一つなのだが、それが不思議なくらい。後期の5大長編小説のような重厚さと深刻さには欠けるので、人によっては凡作という感想を抱くかもしれないが、個人的には文庫化してもいいくらいの傑作だと思う。

さて、今回でドストエフスキーは終了。次回はレフ・トルストイの予定です。