マスカラード(明窓出版):ミハイル・ユーリエヴィチ・レールモントフ | 夜の旅と朝の夢

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【ロシア文学の深みを覗く】
第10回:『マスカラード』
マスカラード 仮面舞踏会/明窓出版

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今回も前回に引き続きレールモントフ(1814-1841)の作品を紹介します。前回は小説でしたが、今回は戯曲の『マスカラード』(1835-36作)です。

タイトルの「マスカラード」とは、仮面舞踏会のことです。英語のカタカナ表記で「マスカレード」と書かれることが一般的ですが、ロシア語からの翻訳なので「マスカラード」と書かれていると思われます。

仮面舞踏会は、出席者が仮面を付け素性を分からなくして行われる舞踏会。その秘匿性や見た目の怪しさなどが印象的で、文学や映画など題材にもよく選ばれます。

まあ、参加したことは当然ないのですが、運良く誰かに誘われたら出席してみたいですよね。I can't dance(Genesis風に)ですが、どうせ仮面付けているんだからなんとかなるでしょう。

以前は放蕩の限りを尽くしていたカゼーイリンも今は結婚して裕福になっていた。カゼーイリンは久しぶりに赴いた賭博場で、財産をすってしまったズベージッチ公爵に対して金を用立ててやる。意気投合したカゼーイリンとズベージッチ公爵は、賭博場に出て仮面舞踏会に出席することに。

仮面舞踏会でズベージッチ公爵はマスクを付けたある女性に言い寄るのだが、女性はそれを拒否し、落ちていた腕輪をズベージッチ公爵に渡して立ち去ってしまう。しかし、その腕輪はカゼーイリンの妻ニーナのものであったため、カザーリンは妻がズベージッチ公爵に言い寄られたと勘違いしてしまい・・・

とまあストーリーは単純な勘違い愛憎劇ですが、ラストの壮絶さには目を見張るものがありますね。ただ、本書の主眼は愛憎などにあるわけではないでしょう。

マスクには素性を分からなくするだけではなく、「マスクを付けた人には魂も地位もない、体だけ(P23)」になるという効果もあります。つまり、上流階級の人々が世間体などのために付けている「仮面」が物質的なマスクを付けることで逆に引き剥がされるというアイロニーがあるわけです。そのアイロニーを用いて上流階級の人々のエゴや当時の社会情勢などを批判しているのだろうと思います。

ちょっと気になる点としては、登場人物表に載っているシュプリッヒという人物が劇中から早い段階で出てこなくなり、代わりに登場人物表に載っていないスプリッチという人物が活躍するところ。スプリッチはシュプリッヒの誤記と思っていいのだろうか?

あとよく分からない訳註も一箇所ありました。それに底本の記載や全訳なのか抄訳なのかの表記などもなく、困惑してしまう。まあ、小さな出版社だし、こんな売れなさそうな本を出版してくれるだけでありがたいんですけどね。