(前回の記事 のつづきです)


「○さん(私の名前)ってさぁ」

そう切り出しながら、Yは伏目がちに、

煙草を口にくわえてライターで火を点けようとしていた。


どうせまた他の同期と同じように、大学はどこなの?

とか訊くんだろう。火が点いて、彼は一度肺の奥深くまで

吸い込んだ煙を、ほうっと吐き出した。



「○さんって、まつげ長いよね」

あまりに予想外の彼の言葉に、私は「は?」と頓狂な

声を上げてしまった。



「俺、さっきの入社式で○さんの斜め後ろに座ってたんだけど、

こんなにまつげの長い子いるんだなぁと思って、

社長のゴアイサツそっちのけで見入ってしまった」



私は思わず笑った。

「これはメイクだから。マスカラで頑張って長く見せてるだけ」


彼は鼻の先で「ふうん」と言いながら

煙草の先をトントンと揺らして、安っぽいアルミの灰皿に

灰を落とす。


私は続けて言う、

「どうせまた、大学はどこ?って訊かれるのかと思った」



「ああ、大学ね。みんなそんなことばっかり言って、くだらないよほんと」

そう言いつつ、彼自身も東北の国立大を出ていることを

私に話したが、他の同期のように、隠し切れないほどの

得意げな様子はどこにも見られなかった。



「ねぇ、白鳥がどうやって眠るか知ってる?」

彼は、一つの樹木に留まり続けられない小鳥のように、

好奇心が向く方向へせわしなく話題を変えた。

知らないと私が言うと、Yは嬉しそうに続けた。



「やっぱり都会の人は知らないんだなぁ。

白鳥は一本足で巧くバランスを取って眠るんだよ。

首は長いから、体にぐるっと巻きつけるようにする。

折りたたんである方の足がまた可愛らしくて、俺は好きだね」




Yは酒のせいで上気した頬をますます緩めて嬉しそうだ。

残り少なくなったグラスの中のビールを、彼はぐいっと顎を上げて飲み干す。



「そっか、Yくんの大学は自然が多いところだったから、

白鳥とか野鳥がいっぱい居たんだ」

そう言って私は空になった彼のグラスに、すかさずビールを注いだ。



「俺の大学の周りは何しろ田舎でね。田んぼしかない所だったんだけど、

冬になると近くの湖から飛んできた白鳥が、時々田んぼの真ん中で、

立ったまま何羽も昼寝をしてた。

俺は初め、よく出来た鳥型の案山子かと思ったよ



彼の声は低く穏やかで、聴いていると妙に安心した。

そんな同期たちのなかにも、唯一違って見える人物がいた。


名前をYといった。

彼は私に、人がこだわりを持つべき部分と、

付録にすぎない部分とをはっきりと線引きして教えてくれた。


彼と初めてまともに言葉を交わしたのは、

入社式の後に設けられた飲み会の席だった。

誰もがこの先の忙しい未来に不安を感じながら、

その不安を吹き飛ばそうと闇雲に酒を飲み、

大声で話しまくっていた。


その姿を見て私は、威嚇し合う獣みたいだなと思った。

弱いからこそよく吠える。


私が隅っこで一人、グラスにビールをつごうとしていると、

いつの間にか隣に彼がやって来て「俺が注ぐよ」と言った。

黄金色に透き通ったビールがなみなみと注がれ、

グラスの淵から泡が溢れそうになる。私は慌てて唇を近づけた。



「名前何だっけ。俺はY」

彼はビール瓶をテーブルに置きながら、眼鏡の奥でゆったりと微笑んだ。

「あ、○○です」

「なんか、名前が2つあるみたいだね」

「あー、うん。よく言われる」

それは小学校の頃から、からかいの種にされ続けてきた事で、

とてつもなく不快に感じるのが常だったが、不思議なことに、

その時は少しも嫌な感情を抱かなかった。



「みんな浮き足立ってるよなぁ。

ほら、あんなにエライ人たちの周りに群がってる」



彼の視線の先には、トドみたいに恰幅の良い人事部の

部長にお酌をしたり、しかつめらしい顔をして役員の話に

聞き入る、数人の同期の姿があった。

「なんか蟻みたい」



私がぼそっと呟くと、彼はふっと口元を緩めて笑い、

「たしかに」と言った。酔っているためか、

切れ長の涼しげな目の回りが、ほんのり赤くなっている。

よく
「あの仕事は自分に向いてない」
って言う人がいるけど、その気持ちは
会社を辞めた今なら分かる気がする。

それは諦めとか、無気力と言ったらあまりにも単純で、
一度失敗をした者だけが知る、自己防衛本能に似た
気持ちなのかもしれないなと思う。

ある痛みを感じて、出来ることなら同じ道を通り
同じ傷を負うことを避けたい。
「向いてない」
という言葉は、そう思うからこその選り好みや足踏みなのだ。


時は去年の春に戻る。

A会社。それが私の勤めた会社だった。

その年共に入社した同期は全部で80数名。
業績が伸びていたためか、新入社員の人数も
近年まれに見る大人数であったそうだ。

同期はみな努力家で頭が良かった。学歴も粒揃いで、
私が受験して落ちた大学や、受験する前に諦めた
大学を卒業してきた人達がうんざりするほどたくさんいた。

いつの間にか同期の中で、出身大学の派閥が作られて、
誰もがそうやって帰属意識を高めて仲間を作ろうとやっきになっていた。
「○○大飲み」などと称し、自らの通った大学の仲間を集めた
飲み会を開いては大学時代の思い出を語り、哀愁にひたる。

私の卒業した大学からは数名しかいなかったために、
当然派閥などという勢力が起こるはずもなかった。

過去の優越感に顔をほころばせる同期を尻目に、
私はそういう派閥を成立させ、またそこに寄生する人物の名前を
一刻も早く覚え、絶対に友人にならないよう固く心に誓いたいくらいだった。

学歴なんか、そんなものは犬にでも食われてしまえばいい。
そんな小さなものさしで一体人の何が計れるんだろう。

一流企業と言われる場所に合格する人達でも、
これほどつまらないことにこだわっているのかと知った時には、
うまく説明出来ないけれど、世界に裏切られたような気持ちがした。