「ごめんください?」
「…また、ここまで辿り着いてしまう者がいましたか。
 悪い事は言いません、生あるうちにお帰りなさいな。」
「と言って、帰った者はどれくらい?」
「全くいないわね。」
「そう、報われませんわね。」
「もう慣れましたわ。」
「でもねぇ、私は他と、少しだけ違う。
 桜ではなく、貴方に興味がある。西行寺のお嬢さん?」
紫が言い終えると同時に、何かが鋭く空気を引き裂く。
その何かが、わずかに紫の首筋をなぞった。
気付けば、喉元に日本刀が添えられている。
刃は触れていないが、その向きを返す気配は微塵も無い。
「何者だ。ここに桜以外の目的でやって来る者などおらん。
 加えて、ここから出る事が無い幽々子様の素性を知るとは…。
 妖かしか? それとも桜の怨念か…。」
「その二択で、どちらかと言われれば、妖ですわ。
 それにしても、話も聞かずに問答無用で刃を向ける。
 少し無礼が過ぎるのではないかしら? 魂魄妖忌さん?」
妖忌は、瞬き1つしていなかった。
にもかかわらず、妖忌の目に紫が映っていない。
いつの間にか、紫は妖忌の背後に回っていた。
そして、背中には熱を帯びた扇を押し当てられている。
(何が起こった…!? 初動作すら見切れんとは…!)
「妖忌、下がりなさい。私に用件とおっしゃっているわ。
 私の従者が無礼を働き、申し訳ありませんわ。
 初対面で失礼な事を言うかとは思いますが、
 私に免じて、手を下げていただけませんか?」
落ち着いた表情のまま、幽々子が話しかける。
これを受け、すぐに紫が扇を下ろす。
妖忌も幽々子の指示に従い、後に下がった。
刀にかけていた腕も、今は下ろされている。











山奥の秘境にある、弘川寺。
獣も妖怪も寄り付きそうに無いこの地に、来客が絶えないのは、
山の外から、明らかに他と異質な、見事な桜がそびえている所為。
足を踏み入れるのが難しいのは、この素晴らしい桜が、
人を寄せ付けまいと、その路を閉ざしてしまったのではないか。
そんな逸話が囁かれるほど、不自然に美しい。
まるで、求婚を難題でかわした美しい姫君の話だ。
皮肉な事に、その逸話がより人々の興味をくすぐった。
しかし、誘惑に負けて山へと踏み入った者は、帰って来る事が無い。
唯一戻って来れたのではないか、とされる者もいるが、
こちらは気が違い、どこかへ失踪してしまったとされる。


そんな曰く付きの桜の元、住まう者が居るとの噂があった。
にわかに信じ難い話ではある。
しかし、遠くからでもわずかに見える物がある。
桜の木のそばに、確実に家屋がある。
実は、これは噂と順序が逆、というのが真相だ。
この住居の庭に、見事な桜が育ってしまった、というのが正しい。
それ以来、神木として代々大切に扱われている。


この入り組んだ事情に興味を持った妖がいる。八雲 紫だ。











桜とは随分離れた、また違う場所。
4,5人で住むには、あまりにも広過ぎる、大きな洋館。
1人の少女が、何かを振り払うように歌っている。
しかし、それを続けるには、少女は余りに幼い。
襲った運命は、小さな背中には重過ぎる。
「…姉さん…何処へ行ってしまったの?
 どうして私の歌に応えてくれなくなったの?
 いつも、あんなに楽しくコンサートごっこをしたのに…。
 私の事が嫌いになっちゃったのかな…?
 また…一緒に歌いたい…淋しい…。
 ルナサ姉さん、もっと一緒に笑いたいよ…。
 メルラン姉さん、また沢山お話したいよ…。
 リリカ姉さん、私を置いて何処へいってしまったの…?」
歌声が擦れて途切れ、瞳から大粒の涙が溢れる。
「レイラ! 早く降りて来い!!
 さっさとしないと、また地下へ放り込むぞ!!」
「は…はい! すぐ向かいます!」
涙を拭い、声の主の所へ急ぐ。
レイラ・プリズムリバーの表情は、疲れきっていた。