ロッキード事件もみ消しをアメリカに要請したことば暴露されたまっ黒ゾンビ中曽根康弘が著書のなかで書いているそうだ。
「(キッシンジャーは私に)ロッキード事件をあのようにとりあげたのはまちがいだった。こういうことをやるべきではなかった。」中曽根康弘にかかると彼の問われるべき責任問題は、他人に転嫁されるらしいが、ただひとつ中曽根は忠告めいたことを語っている。「ロッキード事件の原点は角栄の石油政策にある。」
だとしたら、中曽根康弘は、キッシンジャーの要求どおりアメリカの高い石油をかいつづけることを良しとする立場なのだろうが、中曽根のアメリカ追従が今日の国際金融資本による秩序破壊を喚起していることについてどう考えるのか?

ロッキード事件と小沢裁判との登場人物

田中角栄=小沢一郎

児玉誉士夫=中曽根康弘

正力松太郎=ナベツネ
東京地検特捜部=いつまでたっても東京地検特捜部

キッシンジャーの日本人観
東京新聞2006 5 22
「ジャップは裏切り者だ」
ニクソン大統領の中国訪問など1970年代のアメリカ外交政策を主導したキッシンジャーが1972年夏、田中角栄が日中国交正常化交渉の計画を知り、「ジャップ=日本人への蔑称」との表現を使って、日本を「最悪の裏切り者」と非難していたことが26日までに解禁された公文書でわかった。キッシンジャーの懐疑的な対日観は解禁済みの公文書から明らかになっているが戦略性の高い外交案件をめぐり同氏が日本に露骨な敵愾心を抱いていたことを伝えている。繊維交渉などで険悪化した当時の両国間を反映しており、1970年代の日米関係を紐解く重要資料といえよう。(…)
ハワイで日米首脳会談が行われた1972年8月931日付けの部内協議メモの冒頭で「あらゆる裏切り行為の中でもジャップは最悪だ。」と発言し、日中共同声明調印のために田中が中国の建国記念日に訪中することを非難。首相訪中に関する日本からの高官協議の申し入れを拒否した。
またフォード大統領訪日を直前に控えた1974年11月12日付けの国務省総会でも「田中角栄は嘘つきだ」と言明した。

(「小沢は人によって話が変わるから注意したほうがいい」とキャンベルにアドバイスした前原といい、スパイ教育で頭がいかれた人間が政治の中心舞台にいるのは、悲劇だとしか表現できない。シオニストは、世界政府樹立のために、アジア共同体の伝統が心底恨めしいらしい。愛を知らない民族だ。)
キッシンジャーについて、面白い話がある。http://mblog.excite.co.jp/user/satehate/enter/detail/inddx.php
クライン将軍が質問するとキッシンジャーはナチスの迫害からのがれて米国に移住したと答えた。キッシンジャーに好感をもった将軍は部下に命じてキッシンジャーの身辺調査を依頼した。(すると驚くべき事実が報告された。)キッシンジャーは1938年、ナチスの支配下にあった東欧から米国に逃れたと述べているが、36年には東欧のユダヤ人は収容所に幽閉されていて逃げることのできる状態ではなかった。(…)唯一の逃れるチャンスはソ連のスパイ養成所NKVDとGRUに入り込み、ソ連のスパイ教育を受けた後、アメリカに亡命するという方法だった。驚いたクラインだったが、彼は、キッシンジャーが南アフリカの金鉱山一族(核燃料の原料ウランも手掛けていた)オッペンハイマー財閥の末裔であることに注目し、後にイスラエルの最大軍事産業アイガンベルク社で核開発の中心人物となるクラインは、キッシンジャーを核原料調達係として利用できると判断し、徹底的にアメリカ(というよりはイスラエル)仕様の洗脳教育を施した。

ことの真相は定かな内容かどうかは分からないが、キッシンジャーが、田中角栄の政治活動を好ましく思っていなかったことは事実のようだ。

田中角栄が日中国交回復交渉の前年に中国を訪問したキッシンジャーは1971年の周恩来との会談で日米安全保障条約に基づく在日米軍の駐留が日本の軍国主義を抑えており、日米関係わ解消すれば、日本は手に負えない行動を取り始めると警告している。キッシンジャーのミッションは、何としてでも、日中国交回復を阻止したい熱意が感じられ、その情熱は、日本ならば、前原、石破に受け継がれ、アーミテージ、マイケル グリーンなどの悪徳ペンタゴンに引き継がれ、今執拗なまでの日中断絶を工作しているわけだが、田中角栄の決意は、総じて有権者として評価する僕には、やはりロッキード事件は、アメリカによって(否アメリカ帝王D)によって作られた捏造だとしか思えない。奇しくも、キッシンジャーはホワイトハウス記者ジェリー ムーンが「ロッキード事件はあなたが起こしたんじゃないですか。」との質問に「オフコース」と答えている。
10 20 アラブ産油国がイスラエル支持国への一方的輸出停止を決定10 23 オイルメジャーのエクソン、シェルが原油価格を4倍に引き上げる
10 25 エクソン、シェルが10%の供給削減を通告、原油価格は4倍にひきあがる
11 14 キッシンジャーは中国訪問の帰路日本に立ち寄り、田中と会談
「今アメリカは、中東和平工作を進めているので、日本がアラブ寄りに外交方針を変えることはひかえてほしい。無理をすると日米関係にヒビが入る。」と強調した。これに対して田中は、日本の中東に対する石油依存度は極めて高く、アメリカが代替供給をしてくれない限り、日本はアラブ寄りにならざるをえないと訴えた。
11 22 新中東政策
閣議でアラブ支持を表明
・武力による領土の獲得及び支持反対
・1967年戦争の全占領地からのイスラエル兵力の撤退
・同地域の全ての国の安全保障措置
・パレスチナ人の正当な権利の承認と尊重

また田中内閣の三木武夫は中東8ヶ国を訪問した。後に「石油ごい外交」と言われたが、日本はこの経過に懲りて以来、米国追従の中東政策の機軸をイスラエルからアラブ諸国に移し始めた。同時に日の丸石油(民族資本)開発に力をいれることになる。

ついでに、日米貿易摩擦は、70年までは対米黒字は数億ドルだったものが、71年には25億ドルに達し、72年には30億ドルを軽く突破する見込みとなっていた。