また眠ってから、そのまま放置していた壱号とどんぐり君。

壱号はやはり産卵していた。

小さな卵が一つ。

大切な卵が一つあった。産卵したがっている。しかし産卵されても孵化させることは出来ない。

それとやはり気になっていたので残った画像を漁り、やや脚の引き摺り癖のある2号と同じ個体と同一と判断。なので4号ではなく、2号くん。

この2号はまだ亜成虫の時期に採取し、一度逃しており、脚の引き摺り癖があったので、両脚が無くなっていたのはぎこちない後ろ脚が更に弱くなり、片脚が取れ、もう片方も負荷に耐えきれず自然に取れたか自切したものと思われる。


壱号が自切したのは隠れ家に2号が入り込んだ際に、出ようと際に変形して既に負担がかかりすぎていた後ろ脚が取れてしまった。幸いというか、残った脚も変形しているがこれがうまく力を分散しており、普通に跳ぶことも出来る。流石にもう片方までなくなるのは非常に怖いので極力刺激しないようにしていた。


バッタ類に多い自切。

飼育している場合だと床材の隙間に落ちて骨折や損傷、飛び跳ねた際に足場が悪かった場合など衝撃で衝撃で取れてしまう事が割と起きやすい。


元から取れやすい仕組みなので、片方だけない個体も野外に多くいるが天敵にさえ見つからなければ支障はあまり無いことが多い。しかし、カマドウマの場合だと片方失うと元からアンバランスな体格ゆえ、死亡率が高くなる。そうではないケースも勿論あるが、片脚となった個体はそう長くはない。その事を踏まえるとやはり2号は驚異的な生命力。

寧ろ死んでいてもおかしくはなかった。

まだ若く、体力も十分あったのもあるだろう。それ以外の要素を除くと強い遺伝子を受け継いでいた証。昆虫は一部を除いて親を知らない。孵化したらすぐに動いて後は食われたり踏まれたり、病気になったり、成虫になるまで強く、運も左右する。


泣き腫らした目をこすりながら、

庭に出ると驚くほど沢山のクラズミウマがいた。かなり大きなメス、オス、小さな幼虫、脱皮前の壱号のようなメス。雨あがりや小雨の夜は集まりやすいがこれほどいるのには驚いた。あちこでぴょんぴょん跳ねている。

数えただけで5匹。これだけいるのは本当に珍しい。


ケースから出すと壱号は早速産卵をしていた。やはりあちこちに産む。

どんぐりは…じっとしている。


生態はクラズミウマと似ているそうだが、頻繁に逃げ回るクラズミウマとはやはり異なりのんびりというか、よほど驚いた時にしか逃げない。

同族、見つかるといいな。

案外、見つけていなかっただけで古い木造の民家が密集する住宅地に生息していたんじゃないかと思っている。

近年の温暖化で北上したか、卵がどこかに持ち込まれたか。

気になるのは南方面に生息している、ということは越冬はどうしてきたのだろうか。


東北の冬はとにかく厳しくあまり寒くないと言われる仙台も冷たい海風が入り込み、おまけに乾燥しているので突き刺すような強い冷たい風で気温は昼と夜で十度も降下する。


今年の一月はとにかく氷点下の日が続いた。

氷点下になると室内は暖房をフルにしても20度に届かない。

ちびたち二匹はよく耐えた。

11月のやや暖かい昼に偶然見つけた今年見つけたメスたちよりやや小さめのメスと更に小さなオス。どちらも昼間という非常に危険な時間に目立つ場所にいた。

よほど餌に困り出てきたのか、とにかく鳥の的にしかならないのでそのまま飼育。


脱皮時に変形してしまったのか口髭が片方曲がっていたが食べることに支障はなかった。

この時期になるとハエなど見つからなくなり、タンパク質を補うのに苦労した。

ちびくんの場合はほぼ見つからなくなり、人工餌と昆虫ゼリーや野菜や果物がメイン。

人工餌に切り替えると下痢がつづいたが何とか慣れ、落ち葉を食べたり見る見る痩せ気味のお腹が膨らんでいた。交尾済みかどうかは全く分からない。


クラズミウマは民家の軒下や場合によっては室内に入り込んで暖をとろうとする。

寒い地域に適応し、他の昆虫なら動けない気温でも活動するので生息地によって耐寒性を持っているのかもしれない。昆虫は種にもよるが環境への適応能力、危機回避など早ければ二世代で引き継がれていく。

だからこそ昆虫はそう簡単に減りはしない。というか昆虫が減る=人類の大危機と言っても過言ではない。木々や普段口にする食材。これらは勝手に実るわけではないし、家畜にしろ魚介類にしろその一番下支えをしているのが虫たちやその他小動物など

彼らなくして自然界は成り立たない。


話を戻すが、

無印カマウドウマが成虫は死んでも東北でも過ごせるだけの耐寒性を持ち、卵で越冬している可能性もある。

そもそもカマウドウマなんてどこにいるのか分からないので、例えば空き家にいたとか、温暖化に伴い生息域を広げてきたか。

その可能性も十分にあると学芸員の方も仰っていた。

ずっと気になっていたカマドウマの交尾もしっかり目撃した。


脱皮後の成熟したメスとなった壱号を見て、後尾後に受精卵を持つメスの産卵管がやや色が濃くなることに気付いた。


交尾前




交尾後、既に何度か産卵した状態。


庭にいたメスたちもやや小雨が降る夜、産卵しに来たのだろう。

オスはメスを探し回っている。


メスばかりだった夏を過ぎると今度はオスをよく見るようになった。

やはり今年の個体はどれも大きい。

飼育下にあると小さくなりがちだと知り、

野外で立派なオスを見るたび、あの子にも後ろ脚があれば、と歯痒い思いをしていた。

両脚があれば恐らくもっと大きな個体になっていただろう。

それでも。


2号の生命力は驚くほど強く、餌もよく食べ四本脚だけで跳ぶことも出来た。

寿命かも、などと考えていたのは杞憂だった。単なる糞詰まり。人工餌だとたまに起こる。



まだ未来のある命をまたも失ってしまった。

障害物となるものを置いていなかったことや、サルビアの根本に埋葬したので墓はない。別に墓などなくてもいいし、でもなんとなく形として残したい。

足場代わりにしていた小石と適当に置いておいた木の枝。

亡骸がないのに墓をつくるのもおかしな話だな、とちびと先月旅だった11号ちゃんの墓にそれぞれ小石と枝を刺した。


そして2号くんの遺伝子を宿した卵を持つのは壱号だけ。

腹部の膨らみ具合や、餌をかなり食べることから完全に産卵体制。

壱号なら片脚だろうときっと生き抜くだろう。

壱号まで飼育中、死んでしまうと2号の受け継がれた遺伝子まで失なわれてしまう。それだけは絶対に避けたい。


命の意味。

それを教えてくれた二匹。

特に2号は不可能はないと見せつけるようにいつもそこに居てくれた。


全てを片付け、残った餌などは庭に撒いた。

置いておいても腐るので野菜やハエの死骸を求めて集まる他の昆虫もいるし無駄にはならないだろう。腐ればただの肥料になる。


もう何もない部屋の一部。

壱号の取れてしまった片脚は残している。

それは彼女がまだ生きているから。


2号の死は奪ってしまったものなのでありがとうだとか、ごめんなさい、なんてそんな生温い言葉では許されない。

一生背負う。それが今後出来ること。


ここには書けない、としたのはそれは家族のせいにしてしまうことになるし、そもそもきちんと見ていなかった自分に責任がある。


前に、仕事に出る時に暑さ対策として保冷剤を入れた段ボールごと風呂場に避難させていた際、蓋を開いたままにした事に気づきまさかと探すと2号がいなくなっていた。


鉢底ネットがあるので自力で外に出ることが可能になっていたのをすっかり忘れていた。

風呂場という最悪の場所。終わった。頭が真っ白になったがまず探さなくてはいけない。

よちよち歩きの2号はそう遠くに行けることは無理なので、

どこかの隙間に落ちて見えない浴槽などの隙間にいる可能性が高いと考え排水溝は蓋をし、シャワーであらゆる場所を当てると流れてきた。

拾い上げてすぐにティッシュで水分を取ると何事もなかったようにすぐ動き始めた。


そのまま見つからない可能性もあったし、溺れ死んでいたかも知れない。


そんな教訓があったのに防げなかった。


価値観がそれぞれちがうので自分から見れば2号はすぐに見て分かるし、大切な存在。

でも、他人から見たらよく分からないただの虫。しかも後ろ脚がないので恐らく何も事情を知らない者からすれば相当不気味だろう。嫌がるやを無理に見せることはなかったがせめて伝えるべきだった。4本脚のよちよち歩きがいたらそれは飼育しているものだと。

飼育していることは勿論知っていた。



その相違と意志の疎通がうまく出来なかったゆえに起きた、2号にとって最悪の悲劇。

2号には恨まれ続けていい。

あれほど苦しみ、のたうち回る姿にさせ命を奪ってしまったのだから。自由も、命も奪ってしまった。

どんな後悔も懺悔も、2号には届かない。


これでブログは終わりです。

精神的に疲れ切っているのと体調不良も重なり今はとにかく体を治す事に専念します。

向き合うということ、2号の生きた意味を考えること。

それだけです。


壱号に託した2号の命。

彼女に後は全てを託した。

どんぐりもきっと仲間が見つかると信じるしかない。

これだけ大きくて立派なオスならまだ体力は十分ある。


2号、壱号、どんぐり。

今はもう全ていない。いや、まだ生きている二匹は見なくてもいい。彼らの居場所は彼らが一番分かっている。


このブログは2号のせめてもの弔いとして残しておきます。

色々とコメントを交わしたブロガーさん。

いいね、をして下さった皆様に今更ながら感謝申し上げます。暫く眠れない日々と心の痛みは伴うでしょうが、生きているものは生きなければならない。

2号の為にも、歴代のカマドウマたちのためにも忘れないでいる。


ありがとうございました。