4号ですが、もう間もなく旅立とうとしています。

反射なのか右の触覚だけ動いていますがこれは例えば自切した脚が暫く動くように、まだ微かに残された部分を動かしているだけで整体機能はほぼ停止しています。


吐き戻しから様子見に切り替え一時は元気になりましたがやはりもう…



最期の一枚。

壱号と対面させると、すぐに寄ってきて脚をタンタンと鳴らしながら何かを確かめるように脚でつついたり、背中に乗ろうとしたり、やがて隠れ家へと入って行きました。

昆虫の最期というのは単に死ぬだけではなく壮絶な場合が多々あります。

特に生命力が強い個体やまだ若い個体は這いずりながら嘔吐を繰り返し、長い個体で2日。決して美しい最期というものはなく、ただ傍観するしかない。


4号は両脚がないながらも4本の脚だけで四ヶ月も生きていました。



脱皮後に再生しなかった後ろ脚。

それでも4号なりにどうしたら移動できるのか自ら学習し、時に後ろ脚の欠損など感じさせないほど強く、自分より体格の大きな相手に果敢に挑む強さ。生命力。

不可能はないとシンボルのような存在でした。


最期に食べたのは大好きな蒸したさつまいも。

亡骸は墓ではなく、ケースから出たがっていたのでベゴニアの根本に埋葬します。


そして無印カマドウマのどんぐりくん。

他にもしかしたら仲間がいる可能性もあります。

狭いケースで命を終えるより、何処から来たのか不明ですが必ずその末裔がいると信じて。

壱号は4号くんの卵を頻繁に産むので彼女の強い生命力、すなわち子孫を残すために逃します。

壱号も片脚になりながら生きる術をきちんと心得ています。


何より、強い遺伝子を持った4号くんの後継者がまた生まれてくる可能性もあるので強い者同士、やや人寄りの見方になりますが絆のような強い繋がりを持つオスとメス。

産卵が不定期かつ断続的なカマドウマ。

不定期なので、突然産卵しては数ヶ月おいてまた産卵したりと分からないことばかり。


今はこころに吹き荒れる嵐でまともな思考が殆ど出来ません。

それをどうか察して頂ければ幸いです。


ありがとうとか、ごめんなさいと言う言葉は自分に向けたもの出会って本当に向き合う言葉ではないような気がするのです。
ひたすら生きてきた命に、詫びようと感謝しようがそれは自己満足。
脚の硬直が始まっても、外に出ようと必死だった4号。
この4号、実は3月下旬に見つけた、やたら脚を引き摺る幼虫と絵合わせや癖などでやはり同じ個体の可能性があります。



2号くんと名前をつけたこのオス。まだ亜成虫ながらもやはり脚を引き摺る癖なのか、独特の歩き方なので4号だとしても不思議ではありません。
オスが中々見つからず、メスばかりだとオスは非常に目立つ存在。
何故かやたら庭に餌を求めて徘徊するカマドウマたちのなかで両脚のないこの4号を見つけました。
ベゴニアの幹の下で這うようにしていたこの四号。

残ったどんぐりくん、壱号。
壱号はちびのようにまたしてもえびぞう、ちびくんと別れたように、仲良しかは分からないものの、いつも側にいた11号ちゃん。そして同じ時期に脱皮し、いつしか交尾するまでになった間柄。
強い遺伝子を求めるメスにとって4号くんは壱号ちゃんにとってやはり選ばれた存在。
その4号とも別れをする彼女に、ちびの面影を重ねてしまいます。

命の価値観はそれぞれ。
虫だからと簡単に割り切るほど私の価値観は複雑で、自分の一部が死んでしまったような、悲しみさえ湧かない状態。
やはり昆虫は昆虫。人は人。
どれほど愛でて大切にしてもどうすることも出来ない。
そこに感じる孤独。

ややこしい文章となりましたが、
暫く、否もしかするとこのまま更新しないかもしれません。


4号くん、ここまでずっと頑張ってきた4号くん。
さようならは言わないし、きっと壱号が受け継いだその遺伝子は残るだろうから。

さあ、生まれてきた土へと戻ろう。



この小瓶が誰か拾ってくれたならそれは誰かの中で存在した証になる。

ここにまた小瓶を流します。