世論感情についていけない理屈狂アスペルガー障害者の赤心を推して人の腹中に置く -3ページ目

エール?!伝わってくる想い

俺の心を見透かしているのか?
それとも自分達のような境遇の者が辿る道なのか?
または単なる偶然なのか?

どちらにしても痛いほど共感する貴方のつぶやき
「辛かったね、頑張ったね」と言ってあげたい気持ちと
そして「辛いけど、挫けても諦めないで」とハッパをかけられている気分が俺の中で交互に入れ替わり続けいる

大切なものを守る事、それが男として生まれた醍醐味だと思って生きてきた
暗いラビリンスに迷い込んだ時に全てを失い、捨て去ったと思っていたが・・・
その先で瓢箪から駒のように、僅かな人達ではあるが俺を優しく受け容れてくれた
今では貴方とピア(対等)である事が本当に心地よい
そんな想いにさせてくれる貴方に
難有りてこその”共感”を心から有難う


なあんて、俺の勝手な思い込みかもしれない(苦笑)
ドアをこじ開けるほど自己中ではないつもりだけれども、でもベールに包まれたものに夢を見るくらいは許して欲しいな
そんな人並みの小さな欲も同時に取り戻させる貴方のつぶやき(笑)

俺は絶対に「求め過ぎ」ではない

何故、多くの人に「求め過ぎ」と言われるのかと不思議だったし不快な事だった
でも、おぼろげに見えてきた、世間の人には理屈や道理を言う事が「求め」であり「ワガママ」なんだろう・・・
俺が、理屈や道理、事実を差し置いて空気感・イメージ・フィーリングを言う人こそ「求める人」と感じるように・・・
理屈や道理、事実の上では、俺は絶対に「求め人」ではない、でも世間の人には「求め過ぎ」となる
やはり理屈や道理、事実つまり「1+1=2」は俺の味方で、「理屈では1+1=2だけれど、世の中、1+1=3で動いているだろう、ワガママ言うな、空気をよめ」と言う世間の人達は俺の不理解者なのだろう・・・
いくら考えて、考えて、考え抜いても解らない世間・世の中・・・
まあ、だからアスペルガー症候群・精神障害者であり手帳も発行されたのだが・・・

俺の事を解ってくれる人、受け入れてくれる人が世の中にどれだけいるのだろう・・・

誤解

人は俺を誤解する
まあ俺の障害は他人の誤解との闘いでもあるが(苦笑)

平均的に人が苦手とする分野(知識や計算、論理など、人の嫉妬を誘い褒めたくない事)で高い能力があるが為に、平均的に人が得意とする分野で不器用であると人並み以上に『あんな事が出来るのに、こんな事も出来ないの?!』と罵倒されてしまう
忍耐力でもそう
『あんな事が忍耐強く継続や我慢が出来るのに、こんな事に挫けて弱弱しい』と言われてしまう
極端に言えば、特技が不器用な部分を罵倒される口実にしかされないという事
人は簡単に俺に強要する『貴方なら我慢出来るでしょ、貴方まではかまってられない』
でも、そんな俺だからこそ、人の『こんな簡単な事』に手も足も出ず途方に暮れる事もある、力を借りたい時もある

そうやって人一倍、孤立感・孤独感の中にいる事を人は解ってくれない

ある時に大切な人に言われた事、貴方は心を許せるタイプではないと・・・
思えば親父も、男3人兄弟の中の俺とだけはフザけたり・ジャレ合ったりはしない、いや、してくれない
でも、何故、人が俺に心を許せないのかが解らない・・・
まあ、俺の障害の典型的なパターンなのだろうが・・・

いつも思う、発達障害ではなく知的障害であったらなら、どれだけ他人に、ありのままの自分を認められ受け入れてもらえる人生をおくれるだろうにと・・・
気難しい気質、難しい話を言い出す発明王・エジソンではなく、人気者で人が心を許してしまう裸の大将・山下清さんであったらと・・・

その昔、まだドンキホーテのように接客業をやっていた時の事
自分が対人障害者とは知らず、ただひたすら仕事上の義務として人当りの修練をしていた
時として人は俺の笑顔を褒めてくれるが、その笑顔は、その仕事上で身につけた技・創られた笑顔
自業自得ではあるが、その創られた笑顔の為に、どれだけ『あいつは元気、大丈夫』と誤解をされ続け、人にかまってもらえなかった事か・・・
封印したいと何時も思えど、素直に自分を表して良い時ほど、その禁断の笑顔の仮面をつけてしまっていた・・・
不器用なものだ、数少ない人の御気遣いに、人に頼る事を忘れ、かまってもらえる嬉しさの余り、その偽りの仮面をつけていた

つくづく不器用・・・

一番利口な生き方・・・

人と上手く付き合えないからアスペルガー

治らないから障害

冷静に考えれば、自ら行動する度に人が離れていくのは当然の事・・・

かけて頂ける声にだけに、お応えして、あとは閉じこもる

これが俺にとっての一番利口な生き方なんだろうね・・・

・・・

自分が他人から気難しいと思われがちな事実は判る

自分が人並みの嗜好や関心を持てない事も判る

でも、その理由は解らない・・・

自分の短所なのか長所なのかも判らない

事実は、現実でもネット上でも俺に声をかけてくれる人が極めて少ないという事

恐らく、俺には人を寄せつけない空気があるにだろう・・・

でもアスペルガーの自分には、その空気感は判らない

唯一、判る事は、自分らしさや自分の感情を捨てれば、そのジレンマが解消されるという事

感情・感覚を捨て、世論感覚というプログラムがインプットされたコンピューターロボットのように生きる

いや下手に世間様と交流するより、引きこもったまま餓死する位のほうが、幸せなのだろうか・・・

恐らく、そうなのだろう・・・

「恐れる心」の大切さ アニメ映画『豆富小僧』より

映画『豆富小僧』予告編


【あらすじ】
豆腐をお盆に載せてたちつくすだけの異端の妖怪“豆腐小僧”の自分探しの珍道中を描いたファンタジー・コメディ。
時は江戸時代。妖怪なのに人間を恐がらせることが苦手で、父親である妖怪総大将の見越し入道に怒られてばかりの出来損ないの妖怪、豆富小僧。
ある日、そんな冴えない日々に嫌気がさし、別れたお母さんに会いたいと、もの知りの達磨先生を伴い旅に出ることに。ところが、途中で妖怪と対立するタヌキに捕まり、しばらくして閉じ込められたお堂から出てきみると、なんとそこは二百年後の現代の日本だった。
やがて豆富小僧は、人間には見えないはずの自分に気づいた一人の女の子アイちゃんと出会う。
父親を亡くして孤独なアイちゃんと次第に心を通わせていく豆富小僧だったが…。


【感想】
はっきり言って、典型的なベタな勧善懲悪のドジキャラヒーローアニメですね、結末も「やっぱり、そうなるのね」とアルアルの展開、それに完全にE・Tのパクリシーンまであって(苦笑)
しかも偶然とはいえ東北の震災直後のGWの公開という事で、科学の進化に対する反感が高ぶった時期と重なり、映画のPRや評価が感情的になった事も手伝って、物語の根本にある「恐れと欲」のバランスの大切さの主張が薄れたのは残念だと個人的には思っています

「悪い事をしたらバチがあたる」
古い時代から言い継がれた、この言葉を守ってきた者達
「人の恐れる心が見せるもの、それが我われ妖怪」
超常的な自然現象、それを妖怪の仕業とし、それを恐れる事で行き過ぎた欲を持つ事を自制してきた人間

一方で、(『平成狸合戦ぽんぽこ』に登場する生来のんきものの狸達ではなく)狸おやじの言葉の如く腹黒く「人間の欲にとりつき、欲を煽り、操っていく」狸達が欲の象徴、物語では人間の良心の葛藤のように大昔から森の奥で妖怪と狸が果てし無い抗争を続けていた

物語では狸達の力が増大し均衡が崩れたように描かれているが、現実社会では人間社会の知恵や科学力の向上により超常的な自然現象が一つ一つ解明され、人間は恐れる心を少しずつ失っていく、それが人による妖怪の存在への否定にも繋がり、妖怪と狸、つまり恐怖と欲のバランスの崩壊に発展していく
恐怖と欲のバランスの崩壊、その究極が人間による自然の完全コントロール、つまり自然の完全支配である
物語でも狸達は「(妖怪は消え去り)人間は恐れを無くし、欲のかたまり、ワシ等には操り放題」と勝利の宴で歓喜し、まだ欲にけがされていない子供は「(大人は)みんな、偉くなる事とお金の事ばっかり考えている」と心を痛めていく
まあ所詮はドジキャラヒーローアニメなので、物語ではベタにアルアル展開で妖怪が復活し狸に勝利するんですがね(苦笑)
自然のコントロールに大失敗した時に人の心に再び恐怖心がよみがえり、その象徴として妖怪が復活していく
「これで人間も自然を恐れる心を取り戻せるだろう、ワシ等がおるのは人間の心の中なのだ」という妖怪総大将の見越し入道の言葉は、行き過ぎた人間の欲に対する戒めそのもの

ただ・・・

この物語のラストで、欲の象徴の狸達が完全消滅をしたわけではない
妖怪に敗北し服従した形ではあるが生き続けている
それは、「人の欲」というものへの完全否定ではないと個人的には解釈しています、大切なのは恐怖と欲のバランスを保つ事であると!

人が心の中に妖怪を住まわせる事、つまり人間が「恐怖」を持つ事は、悪事や強欲を抑え、良心を保つ為に必要不可欠な事、その原点が自然に服従し、自然を尊ぶ姿
人が腹の中に狸を住まわせる事、つまり人間が「欲」を持つ事は、便利さや防御への夢を育て、知恵や科学の発展の為に必要不可欠な事、しかし、その行き過ぎが自然のコントロールという傲慢な支配欲による自然破壊
だからこそ恐怖と欲、両方が両立してこそ両方共に意味の有るものと言える
恐怖と欲のバランスが崩れ、人の良心というものも恐怖心だけに創られたものとすれば、これもまた否定される事、だからこそ良心の判別は難しい(苦笑)
されど恐怖心を持つ事は、決して否定や罵倒される事ではなく、人が生きていく上で大切な事、欲もまたしかり、だからこそ生きるって難しい(苦笑)


PS.険しい顔の奥にあるだろう貴方の「恐れる心」、その「恐れる心」が良い意味で未来の貴方の笑顔に繋がる事を祈って!

You're My Only Shinin' Star

You're My Only Shinin' Star ~English Version~



月が波間に浮かぶと
あたたかい夜が忍んでくる
沈む夕闇に瞳 わざとそらしたまま打ち明けた
星と同じ数の 巡り合いの中で
気がつけば あなたがいたの
You're my only shinin' star
ずっと今まで困らせてごめんね
大切なもの それはあなたよ
いつまでも側にいて I Love You


何故だがわからないけど
理由もなく涙つたってくる
こんな時に泣くなんて
らしくないよと 肩をだきよせ
はにかんだ微笑み
あいかわらずなのね 月灯り二人照らして
You're my only shinin' star
あたははきっとたえまなく流れる
星の輝き 私を包む
永遠に終わらない shootin' star


時が運んでくる
不思議なときめきを
追いかけてここまできたの
You're my only shinin' star
ずっと今まで困らせてごめんね
大切なもの それはあなたよ
いつまでも側にいて I Love You

君は一人じゃない だからもう泣かないで 君は素敵だ

THE BEST OF LOVE(7 inch analog single version)


THE BEST OF LOVE


真夏から声が届く 今だから忘れられる

ふり向くことはない 二人のために

記憶の中に光る 日々さえ
          
想い出の海へと 帰る・・・
          
Best of love 今届け
          
Best of love 僕の全て
          
Best of love 君は一人じゃない
           
          
さよならは出会いの言葉 未来へと夢をつなぐよ
          
だからもう泣かないで 君は素敵だ  
          
かがやく時に 背を向けるほど
          
愛を縛ることは ないさ・・・
          
Best of love 今こそ
          
Best of love 目をさまそう
          
Best of love 変わらぬ心へと
       
          

ふり向くことはない 二人のために
          
季節はただ 寄せ来る波間を
          
ときめきの夏へと 走る・・・
          
Best of love きらめく朝
          
Best of love 生まれ変わる
          
Best of love,I promise I love you foreve



PS レコードだよ、レコード(苦笑)

ふたりは!

フィギュアスケートにおけるカップル競技、ペアとアイスダンス

知らない人が「女性はジャンプを手伝ってもらって、男性はエスコート役にすぎない」という誤解を持っている事は多いという

ルールの解釈とか技の見極めが難しい競技なので、なかなか集中して中継を見る事は難しいと思うけど、是非とも最終グループ6組の演技だけは見て欲しいと常々思っているし、五輪のメダリストが確定した今でも、その御勧めの気持ちは変わらない

少なくても上記の誤解は解けるのではないかと期待を持っている

実はカップル競技における女性スケーターに求められるパワーは女子シングルの選手に引けをとらないし、カップル競技における男性スケーターに求められる華は男子シングルの選手に引けをとらない

ふたりは対等!

そこにあるもの、そして一番必要なのは対等であること

男性スケーターが力強くエスコートするほど女性スケーターは力負けしないように体を張っていなければならないし、女性スケーターが女性特有の華のある動きをするほど男性スケーターは柔らかく、そして同じように華を出していかなければならない

ふたりの対等が崩れた時、技は崩れ、華のバランスの悪さは、そのまま醜い見栄えになってしまう

諸刃の刃という言葉があるが、一方が優れているほど、もう一方の劣りが大きく目立つ

だからこそカップル競技での息が合った演技というものは、シングル競技とは全く別次元の凄い魅力で溢れているのだと思う

力や技術だけではない、ふたりにとって心も大事な課題だと思う

誤解のないように先に言っておくが、だからと言って彼らが必ずしも私生活でもパートナーであるというわけではない

大切な事は、どこまで心を開いて互いを理解し、または妥協に逃げず二人がカップルプレーをしているかだと思う

余計な争いを避ける為に、表面的に仲の良さを取り繕う事は簡単だし、もちろん適度な距離も絶対に必要なはずだ

しかし、はたしてパートナーに不信感や諦めを心に抱いたまま演技をして、人の心を感動させる演技が出来るものなのか?

恐らく、いやきっと、リンクに物を投げつけるほどの怒り、コーチ・スタッフが間に入らなければ全くコミュニケーションがとれないほどの冷戦など、こういった激しい対立を何度も何度も乗り越えているからこそ、ふたりがどうあるべきかという答えを二人三脚という根太い絆で実践しているはず

パートナーと根太い絆を結べない者が、どうして見ている者と感動の共感で心を結べると言うのか?!

パートナーと根太い絆を結ぶ者だからこそ、裸の心をもって、見ている自分達を魅了させてくれるのだと!


ファンは知っている、女だ男だとか関係ない

キス&クライで落胆する男性を女性が抱きしめ包み込む、コブシを突き上げ歓喜する女性に一歩さがるように男性が後ろで拍手をする、こんなシーンを何度見た事だろう

国内や世界のトップ舞台で競う人達の絆と、恋人や夫婦の絆と同じに考えるのはナンセンスなのかもしれない

でも、近づく事への試みを挫けても、諦めない事は大切なのかもしれない


2014world FreeDance - Nathalie PECHALAT / Fabian BOURZAT (FRA)
キダム 『シルク・ドゥ・ソレイユ』より

4月8日22時NHKドラマ『サイレント・プア』

サイレント・プア | NHKドラマ10
http://www.nhk.or.jp/drama10/silentpoor/index.html
NHK総合 2014年4月8日(火) 午後10時から
【再放送】総合 2014年4月15日(火) 午前1時25分から(月曜深夜)

番組のみどころ
サイレント・プア――声なき貧困。いま、そんな「見えない貧しさ」が社会に広がっている。それに立ち向かうべく新たに全国各地に登場したのが、コミュニティ・ソーシャルワーカー(CSW) という仕事だ。
里見涼(深田恭子) は東京下町の社会福祉協議会CSWとして、今日も愛する町を駆けまわる。
涼が出会うのはゴミ屋敷の主、引きこもり、ホームレス、若年性認知症など、懸命に生きながらも現代の社会的孤立の淵に沈んだ人たち。彼らに手を差し伸べ、それぞれの人生にふれていく涼だが、そんな涼自身にも独りで抱え続ける絶望的な孤独があった。

人は何度でも生き直せる――この信念で走り続けた涼がその先に見出したのは、自らが手を差し伸べてきた人や町に支えられ、新たな生へと踏み出す自分自身の姿だった。


個人的な見解
普段は深田さんを深キョン姫とアイドル視点で憧れていますが、福祉に携わる人達に大変お世話になり、絶望しかかった時には力づけて頂いたり、生きる意味へのヒントを頂く事もあったり、時として傷付けられ、生きる希望を消されたりする事もある自分としては、純粋に『サイレント・プア――声なき貧困』に視点を当てた人道ドラマとして注目しています
(もっとも、このドラマを知ったのは深キョン姫のファンだからですが(苦笑))
まだ放送前に、あれこれ見解を言うのはおかしいですが・・・
いつも個人的に思っている事
大震災や大事件など、ニュースや新聞などマスメディアに大きくとりあげられる悲劇だけが世の中の悲しみではない
有名人や芸能人が訴える悲劇だけが世の中の救うべきものでもない
ましてや、タイガーマスク伊達直人騒ぎに代表される、マスコミの営利目的ミエミエの世間ウケしやすい社会ニュースだけが世の中の優しさと錯覚するなど、とても愚かな事
本当ならば、食する動植物に慈悲の心を持つ事で、生き物の背負った罪(業)に向かい合う事から始めなければならない、それを忘れた瞬間に、全ての慈しみが自己満足に格落ちするのではないかと・・・
犠牲・切捨て有りきの世の動き、リーダーに意見集約能力ではなく独断性を求める世論など、みんなを対象としなくなりつつなる今の社会に、『サイレント・プア――声なき貧困』の存在を周知される事で、辛い想いや苦しい立場にいる人達(生物)が、その存在・その想いを知って貰える・聞いて貰えるだけで、かなり心が楽になる事が世間に認知される事を願わずにはいられませんし、それをこのドラマに期待したいですね