各種情報を消去し、読者登録していただいておりました皆様には、メインブログに移っていただきました。
が、なんだかちょっと寂しいですね(苦笑)

記事の転載や保存の目処が立ったら、完全消去します。
私には迫力というものがあまり無いようです。「先生わか~い」と良く言われます。それはそれで武器で、学生との距離を速やかに縮めることが出来るのですが、指導者としての説得力には欠けるのかも知れません。

そんなわけで、自分は教育者としてダメダメじゃないか、と思うことがときどきあります。
しかし、思っているだけじゃ、進歩がありませんよね。そこで考えます。

◆どうすべきか?
ひとつの考えは、迫力というか、力強さ、厳しさのようなものを身に付けられるなら、それに越したことはない、というもの。確かにそのようにも思われます。では、どうすれば身につくのか。自分をより厳しく追い詰めるのはひとつの考えですが、実はすでに試したことがあり、あまり効くとは思えません。前のやり方が不十分だった可能性もありますが……
まあ、とにかくそういう方法を模作する。

もう一つの考えは、「自分は自分、他人は他人。何もかも他人と同じようになんかできない。無い物ねだりに時間を浪費するくらいなら教育スキルの向上に努める」という考え方。

これが悩ましいところで、どちらに片付けるわけにもいかない。教師が「無理なものは無理」とふんぞり返って自分にないスキルの追求をしなかったら、生徒だって「自分にも無理なことはある」と苦手科目を放置してしまうかも知れない。だからといって、何でもかんでも「向上向上」と言っていると、いつの間にか大事なものを見失ってしまうこともある。

◆教師とは如何にあるべきか
それはそれとして、自分が完璧でないから教師として働けない、と考えるのはナイーブすぎると思います。教育の現場では、とにかく人手が必要で、しかも中にはどうしようもない教師だってどんどん混ざっていく。たとえ自分で自分が教師失格だと思っても、それよりもっとひどい教師が教壇に立っている限りは、その悪影響を少しでも排除すべく、たとえ至らないところがあっても、そうした点を真剣に考え続けようとする人こそが教壇に立ち続けなければいけない。

先ほどの「厳しさ」云々に絡めて言えば、たとえ自分に自信が持てなくとも、悩みながらでも、その場で自分が納得できるまで戦い続けるのが厳しさというものでしょう。


そういう意味で、私は自分に疑念を抱きつつも、やはり教壇には立ち続けたいと思います。
先日の記事で「教育費節減のコツは言語的および数理的なトレーニングを幼少期から積んでおくこと」と書きましたが、言語的トレーニングの話しか書きませんでした。数理的トレーニングは、まだ「これが決め手だ!」というものを思い付いていないんですよね。

いくつか考えられることとして、まず、小学校の「さんすうせっと」でよく遊ぶこと。同じサイズの物が沢山あるような玩具(積み木とかレゴブロックとか)で遊ぶことも同様に効果があると思います。それに、テレビゲームでない、カードやボードのゲームをすること等々。子供が熱心に遊べば、基礎的なトレーニングになると思います。

しかし、こういう物に興味を示さない子もいるでしょうね。そういう子はどうしたらいいか。

今のところ考えているのは、家事を手伝う、ということなのですが。日常の家事をこなしていれば、めんつゆを二倍に薄めるとか、3人分の分量でレシピが載っていたら4人分にはどれくらい入れたらいいかとか、当然分かるはずではないですか。

「比の基本が分からない子」というのは、勉強が出来ないとかいう問題ではないと思うのです。比が分からなかったら日常生活に支障を来すはず。よほど日常を何も考えずに過ごしているのか、あるいは勉強というものを、何かよほど高度で難解で奇妙奇天烈なものに違いないと信じ込んでいるか、どれかではないでしょうか。

いずれにせよ、机に釘付けにするより、もっと日常の中で為すべき事があるんじゃないかと思う次第です。
近ごろつくづく感じるのですが、教育費節減のコツは、何と言っても言語的および数理的なトレーニングを幼少期から積んでおくことだと思います。言語的なトレーニングというのは、別に難しいことではなくて、子供に良く話しかけることです。嫌がる子供に本を無理やり読ませるより、その方が絶対に効く。

ただし、話しかけると言っても「ちょっとやめなさい!」とか「ほらほら気を付けて!」とかではダメです。文法的、論理的にある程度以上複雑な内容を話しかける必要があります。家庭内の会話というのは、しばしば単語単位で済んでしまうことがあるので、要注意です。
教壇に立つようになって、3ヶ月が過ぎました。
概して学生の皆さんに支持していただき、良いスタートを切れています。

さて、そんな新米教師が感じること。
いろいろなことを感じているのですが、とりあえず今日は失敗談からいってみます。
学生と教師の距離感、ということです。

始め私は、とにかく親しみの持てる教師を目指して、できるだけ学生との距離を縮めようとしました。ところが、どうもうまく行かない。授業によってうまく行く授業、行かない授業があったのですが、考えてみると、特に学生の側に歩み寄る努力を多くした授業で空回りしていることに気付いたのです。
で、ふと考えた。教師である以上は、学生はある程度は頼りがいのある人間であることをも求めている。だから、もちろん親しみやすさは必要だけれど、それだけではいけない。毅然としたところも無くてはならない。

距離は近ければ良いというものではない。バランスが大事なんだな、と思ったのでした。
3月12日:追記
親の前、教師の前、友達の前で、それぞれ子供は違う顔を見せます。それぞれの前でどのような顔を見せるか、その違いを文章で記述してもらう形式のアンケートを、指導開始後一ヶ月ほどの時に親御さんに対して実施すると、更に多くの情報が得られることに気付きました。子供は相手によって異なる顔を見せるものであり、そのそれぞれの場においてどんな顔を見せるかは、その子の価値観や対人関係を示唆する極めて重要な情報です。

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3月9日:追記
以下の記事は2月22日に投稿したものですが、その後、子供の精神史を親に筆記してもらうことも非常に有効だと気付きました。文章で書かれると定量的な処理が出来ませんが、それはかなり役に立ちます。
また、それとは別のアイディアとして、親子の双方に、互いに解答内容を見せあう事を禁止した上で同じ(あるいは似通った)アンケートを実施すると、親子の認識のずれから親子関係が明かとなり、指導に有意義な情報が得られるかも知れません。
ただし、概して、わざわざ問題を分析せねばならないような生徒は、自分の状況を客観的に記述する事はできないか、拒否する可能性が高いと思います。自分を非常にすらすらと分析してみせる子供は、自分についての(欺瞞的か、少なくとも粉飾を含む)解釈を聞かせることで、相手を欺こうとする子である可能性が高いという事は覚えておくべきでしょう。
親が子供の問題を曝露することを辱と感じて欺瞞を言う可能性も、併せて疑う必要があります。

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思うことをつらつらと。

私が今まで携わってきた「教育」とは、家庭教師としての受験指導でした。従って求められている仕事の中心は、まず学業成績の向上であり、そのための学科指導です。しかし、では問題を解かせて解説を聞かせていれば充分かというと、そういうものではありません。そういう指導では、伸びない子はまったく伸びませんから、成績不振の背景にある様々な問題を、学科指導と同時並行で展開していきます。

近ごろ思っているのは、この「成績不振の背景にある様々な問題」を網羅する必要性です。長期間指導する中で、何が問題かは徐々に見えてくるものなのですが、受験指導では「受験本番」というタイムリミットが存在しますから、それまでに確実に問題の本質を見抜き、適切な対策を立て、その対策を一定以上の期間に渡って実践し、効果を出さなければ職業人として失格といわざるを得ません。
だから、できるだけ早いうちに確実に問題の本質を見抜かなければならない。問題を見抜くのは、早ければ早いほど良い。できれば、最初の指導時にマーク式のアンケートに答えてもらい、その結果を機械的に計算すれば問題の所在が分かるようにしてしまいたい。まぁ、そこまでいかなくても「この側面とこの側面とこの側面はチェックする必要がある」というリストぐらいは自分で欲しいなと思い始めています。

チェック項目としては、生活習慣。主に食生活と睡眠生活ですね。それから精神状態。親や友達との関係は要チェック項目で、少なくとも子供がよく思考や感情を表出するか、抑制的かはチェックする必要があります。抑制的であれば、人間関係の不調を疑う必要があるし、言葉が少ないとすれば、ただ喋らないだけで頭の中には充分な言語能力が出来上がっているのか、それともそもそも言語能力が貧困で喋れないのか、確認する必要があります。逆によく喋る子は、優秀で頭の中身がいっぱいに詰まっているからよく喋るのか、それとも不安・不安定なために喋らずにはいられないのか。どういうシーンで特に喋るか、親の前、第三者の前、その両方が揃っているとき等々。それに話す内容はどうか。親の言うことにいろいろ口答えする子というのも多いですが、それをどのように理解すべきか。自分の感情はうまく統制できているのか。行動が衝動的ではないか。読書量もチェックしたいですし、読書内容も確認したい。そのために本棚を見ても、それを本当に読めているかどうか、疑う必要がある。古典児童文学が並んでいても、単に字面を追って、「よく読めたね」と親に誉められて、いい気になっているだけ、という可能性も高いです。

まとまりがないですね。
これをまとめていきたい。
大事業ですね。

必要な場合には家庭環境への介入も検討しなければ成績が伸びないことはあると思うのですが、これがまた難しい。家庭教師は親御さんと接する機会が多いため、ある意味、学校の教師や塾講師よりも家庭の状態を知悉できる存在であると言えますが、一方で学校の教師や塾講師と比べて立場が弱く、容易に首を切られる。たとえ家庭環境に問題を見出しても、ご家庭の教育方針とぶつかる恐れがあるようなことは、なかなか言いにくいというのが実際のところです。率直に何でも話してくださる御家庭だと非常に有難いのですが、そういう御家庭の場合は、こちらから言うべき事も無かったりして、茶飲み話で終わってしまったりします。

ま、それはともかく。大事業の第一歩として、雑感として書いてみました。これから時間をかけて、この項目を精緻化させていきたいと思います。企業が採用試験としてしばしば課す適性試験(SPI)や、精神科医のつかう診断基準(DSM)あるいは先日記事に書いた政府の食育対策方針のような、政府のガイドラインなどが参考になりそうです。

しっかし、やはり難事業だな……
3月9日:追記
以下の記事は2月4日に投稿したものですが、その後の研究で中高生には明らかに別のパラメータを用意せねばならないという確信に至りました。現在までに必要であると感じているのは、まず中高生になると「他人の目を気にする」というのが非常に重要な精神形成、行動形成の要素になるので、他人の目をどの程度気にしているか、あるいは他人の目を気にして自分を粉飾している程度がどの程度かを測るパラメータです。ただしこのパラメータは自尊心と似通った性質をもち、あるいは自尊心の項目に含めても良いかも知れません。正し粉飾傾向は早く見抜かないと指導を誤ります。自尊心のみでは粉飾は起こりません。
また、青年期独特の万能感と無力感との往復がどれほど激しいかについてのパラメータが必要かも知れません。
より多くの事例に当たって研究する必要があります。

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この記事、旧Blogで一度記事にしたのですが、その後パラメーターを拡充したので、全面改定の上、再掲載です。これは私が家庭教師をする上で、子供の能力を分析するために作った分析項目で、この項目に沿って子供の性質を分析していくと、弱点と課題が見えてくる、というわけです。本当は客観的な数値を入れていけば自動的にその子の能力バランスが分かるようなシステムを作りたいのですが、今の私にはこれが精一杯です。また、一応社会人から小学生までの指導経験や、自分自身についての内省も踏まえ、全年齢対応の分析項目を設計すべく努力しているのですが、小学生を指導しながら作ってきたので、どちらかといえば小学生向けの内容になっているような気がしています。

まぁ、能書きはともかくとして、まずはご紹介しましょう。

<精神面>
・克己心
・自信
・自尊心
・独立心
・向上心
・探求心
・問題意識
・集中力
・バランス
・現実感覚

<知性面>
・読解力
・語彙力
・暗記力
・知識力
・発想力
・視覚把握力
・法則運用力
・順序分析力
・情報抽出力
・統合力
・心理洞察力

読んでも、いまひとつ分かりませんね。少し詳しく説明を試みます。

・克己心
自分に打ち勝つ力。我慢強さですね。これを身に付けさせるためには、子供を厳しく追い込むのも良いのですが、教育者自身が自分に厳しく生きていなければ、本当に説得力を持って克己心の大切さを実感させることは出来ません。

・自信
読んで字の如くです。人間は自信を無くすと、学習能力も問題解決能力も大きく低下します。勉強するときも、テストに臨むときも、自信は非常に重要な要素です。
自信を失った子に自信を取り戻させるのは大変な作業です。時間がかかります。しかし、不可能ではありません。方針は二つあって、一つは「成功体験を積ませる」つまり「正解できた!」という経験をたくさん積ませることです。しかし、これなら正解できるだろうと思って与えた問題が出来ず、逆に自信を崩してしまうことも往々にしてあります。そこで二つ目の方針ですが、「無根拠でも良いから『君はデキル!デキル!デキル~~!!!』と言いまくる」という方法があります。出鱈目なように思われるかも知れませんが、実際は人間の考えなんて曖昧なものなので、年がら年中「君は力はあるから」なんて話を聞かされ続けていると、そのうち暗示にかかってしまうものです。

・自尊心
自信とどう違うの? と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、「俺はエライ」と思いつつも、実は自信のない人って、いるでしょう。自信と自尊心の違いは、そういうことです。
自尊心は自分に関する美学です。「自分はこうでなければならない・ああであってはいけない」という内容が、自尊心には含まれます。従って「自分が悪い成績をとる事は許せない」という形で自尊心に火がつけば、これは強い。ただし、「自信」の場合はありさえすればパフォーマンス向上につながる面があるのに対し、「自尊心」は、周囲から認められている人が持っていればプラスに働きますが、周囲から認められていない人の自尊心はしばしば反社会性の芽になるので危険な要素でもあります。例えば社内での評価の高いサラリーマンの自尊心は「俺はどんどん仕事をこなしていくんだ!」といった形になるでしょうが、社内で評価されていない人は「会社の人間なんかどいつもこいつもクソ喰らえだ。会社の犬になんかなってたまるか」といった感覚につながる。
あればエネルギーになる。しかし扱いに失敗すると暴発する。それが自尊心です。自尊心は、あったらうまく使いこなす。無かったら無いで、別に構わない、という類のものです。極端に欠けている場合には、無節操な人間の例を一つあげて、自尊心のない人間というのはああいうものだ、と言ってやれば、「ああはなりたくないな」と自尊心が芽生えることもあります。「自尊心が極端に欠けている子」というのは、実は「周囲から認められていないために反社会性に転化してしまった自尊心の持ち主」だったりもします。

・独立心
これも自尊心と似ていると感じる方がいらっしゃるかも知れませんが、自尊心は強いけれど依存度の高い人というのもいます。
独立心が低い子供は、周囲、特に親御さんの影響を強く受けます。というと親御さんが「勉強しなさい」と言えば素直に従うと考えるかも知れませんが、実際には依存心・甘えはしばしば反抗心という形を取ります。つまり親御さんが「勉強しなさい」と言うと、その影響を受けて気分を害し、逆に勉強する気を喪失したりします。
親御さんに言われなければ勉強できない、というようでは、もはや好成績は望めません。従って独立心は極めて重要な要素であると言えます。しかし、これは子供だけの問題ではありません。親御さんが子供に干渉するから、子供はその干渉に頼って独立心を失うのです。そして子供が独立心を身に付けたとき、親御さんが子離れできていないと、親御さんは寂しい思いをしなければならなくなります。これは親子共通の課題であることを忘れないで下さい。
独立心の欠けた子への対処は、その子が親や周囲に依存していることを指摘するだけで事足りる場合が多いです。だれでも「君はまだガキだな」と言われたら嫌だと思うものです。ただし、指摘の仕方を注意しないと、子供に一気に嫌われて教育者としての影響力を喪失する恐れもあるのでご用心。なお、親への反抗が独立だと勘違いする子もいるので、その点は戒めます。本当に独立心旺盛な子は、親御さんの言葉に対して過剰に感情的に反応したりはしません。

・向上心
今よりも良くなろう、という気持ちです。今のままでいいや、と思っている子に、何かの改善は望めません。
これが欠けている場合、ダラダラしたタイプなら世間の厳しさをガツンと思い知らせてやることで改善が望めます。本や映像、実体験など、刺激が強いものを与える必要があるでしょう。NHK「映像の世紀」のアウシュビッツやソ連シベリア抑留の映像など、「何かをしなければ!」という気持ちを起こさせる効果があるかも知れません。

・探求心
対象と自己との2方向があります。対象への探求心があれば、学びが深くなり、自ら解法を模索したり出来ます。自己への探求心は、自分の弱点と長所を知り、自分を修正したり、勝負時のための戦略を立てたりするのに役立ちます。
探求心が欠けていると、他の能力が空回りする、という危険性があります。克己心があっても無駄な努力に時間を費やしてしまったり、自信は慢心に変わり、自尊心は高慢に、独立心は無根拠な反抗心に、向上心は単なる「夢見がちな性格」に、すべて堕落してしまいます。
探求心に欠ける子への対策は、とにかく考える習慣を付けさせること、思いもよらぬ事が世の中には存在するのだと教えることなどが考えられますが、比較的難しいように思います。具体的な対策としては、作文で考えをまとめさせたり、読書をさせたりしています。
対象への探求心はあるのに自己への探求心が欠けている子もいますから、そういう場合は「もっと自分自身についても考えてごらん」と示唆すると良いでしょう。対象を探究できる子は、自己もそれなりに探究できます。

・問題意識
このままではいけない、という意識です。小学生にはあまり求められませんが、高校生以降では勉強の大きなモチベーションになります。社会問題や人間の奥深さ、難しさ、悲劇性といった事柄についての知識を与えることが対策となります。基本的には読者と社会科の勉強が対策となります。

・集中力
分かりやすいですね(笑)
集中力のない子については、自信の有無や健康上の問題の有無を確認します。それが特に見あたらなければ、あとは、ひたすら言い聞かせるしかないでしょう……改善の難しい項目です。その場合、本人に「集中力を身に付けよう!」という強い意志がなければ改善は望めません。従って、前提として克己心や独立心が求められます。これらの項目が低い場合は、そちらから改善していく必要があるでしょう。この項目を有意に改善させることが出来るようになるのは、高校生以降ではないでしょうか……
なお、スポーツやゲームが好きな子には、スポーツやゲームに熱中している状態を例にして「要するに集中するとはどういう状態なのか」を教えてやることは、場合によっては有効かも知れません。

・バランス
最近あらたに立てた項目です。ちょっと、まだうまく説明できません。

・現実感覚
探求心と似た項目なのですが、要するにどこまで現実的に物事を考えられるか、です。これも最近立てた項目で、ちょっとまだうまく説明できません。

<知性面>
・読解力
文章を読んで話の流れを理解する能力です。が、他の項目との差異に注目してください。国語の成績を単純に語彙力と読解力に分けるのは、いかがなものかと思います。

・語彙力
知っている単語の数です。語彙力の問題、というと、しばしば漢字の書き取り問題や語の意味を答えさせる問題だけが語彙の問題だと勘違いする人がいますが、それは間違いです。小学生の場合、知らない言葉の意味を逆に取ってしまったために選択肢を間違う、といった間違い方があり得るので、話の流れは分かっているらしいのに明らかにおかしい選択肢を選んでいたら、語彙の問題を疑う必要があります。年が上がるとそこまで極端な例は少なくなりますが、単語のだいたいの意味は知っていても、ニュアンスが分かっていない、という事は中高生でも少なくありません。それで足をすくわれることは、ままあります。
ちなみに、単語は国語辞典で調べるだけでは不十分で、実際の使用環境におけるニュアンスを大人が教えてやる必要があります。例えば「人相」という語を国語辞典で調べると「人の顔つき。特に、心の内面を表した顔つき」などと説明が載っていますが、「人相」と言えば9割方は悪い人相の話です。こういうニュアンスが、国語辞典からでは意外と分からないので注意が必要です。国語辞典さえ与えておけば事足りる、というのは間違いです。
語彙力は、基本的には御家族との会話のなかで培われるとお考え下さい。もちろん、これが問題だとなったら家庭教師としてできる限りのフォローをすることになりますが、基本的に暗記物は時間をかけるしか打つ手が無く、家庭での努力が重要です。

・暗記力
そのままですね(笑)暗記の速度、正確さ、保ちの良さを見ます。鍛えると言ってもなかなか難しいので、暗記力のない子は、そのぶん時間をかけるより他ありません。

・知識力
語彙力や暗記力とどう違うのか、と疑問に思われるかも知れません。語彙力は単語に関する知識の量で、暗記力とはこれから知識を増やしていく能力ですが、知識力とは事柄に関する既に得た知識のことで、たとえば「小学生だけど物質が分子や原子から出来ているのを知っている」「高校生物で習う前から遺伝子やDNAといった概念を知っている」「小学校で日本史を勉強する前から、あるいは中学で世界史を学ぶ前から、日本史や世界史を一通り知っている」といった能力です。あるいは英語でも、英文が良く分からないのに「ああ、あれの話か」と文章内容について察しがついてしまったり、国語でも文章内容に気を散らされずに問題に取り組めるなど、いわゆる「暗記分野」以外でもジワリジワリと効いてくる力です。数学だって、なんとなく複雑な解法を知っていれば、知識は力になります。ただし、語彙力と同じで普段の御家庭の努力に大きく左右される部分です。

・発想力
この後でご説明します「視覚把握力」や「順序分析力」と混同されがちですが、私は別の能力だと思います。基本的には理数系の問題に要求される能力で、「理詰めでは出せない解法を発案する」能力です。
発想力、というのは曖昧で一体何なのかはっきりせず、そのために「発想力が足りない、頭が固い」と思っても、どうしたらいいか分からない人が多いでしょう。しかし、発想力といっても、全くの無からアイディアを産み出すことなど誰にも不可能で、だいたい「発想力がある」ように見える子は、少ないヒントを敏感に見つけだしているものです。発想がなかなか出てこない子でも、他の能力によって、理詰めでギリギリまで攻めて、「だいたいこの手の問題はこのあたりにヒントがある」という知識を応用することで、発想力を補うことが出来ます。
なお、発想力自体を強化するためには、自信を持って自由に思考を展開できるようでなければならず、間違うことを恐れていては豊かな発想力は期待できません。発想力の基礎は自信です。

ええっと、そろそろ記事を書くのが疲れてきました……

・視覚把握力
低年齢で差が大きく、物を言う能力です。問題内容を視覚的に把握する能力。典型的なのは算数の文章題で図を扱う能力ですが、計算にも応用できたりします。

・法則運用力
理数科目では、法則や公式、解法を厳格に適用せねばならず、プラスとマイナスを一つ間違えただけで点がまったく失われてしまいます。しかし、日常ではここまで厳格に従うことが要求されるルールというものは滅多に無いため、受験勉強を始めたばかりの小学生にはなかなかその感覚が掴めないという事があります。高学年での法則運用力は、性格に法則に当てはめるという発想がない、というよりは、その法則を感覚的に使いこなせるほど身に付いていないことが問題となります。(低年齢のそれと高年齢におけるそれは、別の項目として分けた方がいいのかも知れません)

・順序分析力
複数の段階をふむ問題(たとえば食塩水に水を足し、食塩を足し、半分にし、蒸発させ、といった多くの操作を重ねていくタイプの問題)で、その順序をきちんと追える能力。あるいは自分で順序を組み立てる思考能力。低年齢ではもちろん、高年齢でも弱い人が多い。コツは「問題を部分毎に切り分けて、問題とする部分以外は固定して、問題とする部分のみを思考の対象とする」この弁別、切り分けをきちんと出来るかどうかです。

・情報抽出力
問題文中から解答に必要な能力を抽出する能力、ですね。問題のどこに着目したらいいのか、解答のどの段階でどの情報を用いたらいいのか。解答中に傍らで見ていると、(ほらほら君が求めたがっている辺ABの長さは問題文に書いてあるよ~)なんて事が、小学生ではしばしばあります。問題の全体像が見えていないことが、関係しているのかも知れません。

・統合力
考えをまとめる能力。作文が書けない子は、これが欠けている事を疑います。逆に言えば作文が出来ない子は自分の考えをまとめることが出来ない子である可能性がある、という事でもあります。考えをまとめられないと、どうしても感情的な方向に流れてしまう事になり、対人関係に支障をきたす恐れもあるので、底上げは欠かせません。

・心理洞察力
小説の登場人物の気持ちを理解する能力は、読解力とは別の能力です。話の流れが分かっていても、気持ちは理解できない、ということが有り得ます。また出題者の意図がどの辺りにあるのか、出題者の意図を読み取ることも、必要な能力です。

……すみません、最後の方は説明が明らかにいい加減です……


各能力は5段階(普通・良い・大変良く武器になる・悪い・大変悪く対策が必要である)で評価します。今後も研究を重ねて、より確実に子供の能力の「穴」を発見できる分析ツールを構築していくつもりです。いまは年齢によって、項目を変える必要もあるかも知れない、と考えています。
重要なのは、このようにして子供の能力を分析してみると、成績が悪い子には必ず致命的に欠けている能力があるということです。一方で必ずひとつくらいは良い能力を持っていたりするもので、何も持っていない子というのは、まず存在しません。子供の成績を上げたいという時に、ただ闇雲に勉強させることには、私は反対です。叱りとばすのも、なだめすかすのも反対です。成績が良くない子には、良くない理由がある。その理由をきちんと見つけだし、解決してあげなければ、いくら勉強をしても、なかなか成績は上がらず、かえって「自分は出来ないんだ」と思い込んでしまったり、間違いやすい癖を身に付けてしまったりする恐れがある。
勉強を教えるとき、多くの先生や親御さんはテストのできなかった問題には注目しても、そのできないメカニズムや、そこから読みとれる子供の能力のアンバランスなどに想いを馳せる事は少ないように思います。精神面についても、多少意識を払う人はいるでしょうが、側面的な問題と捉えて重視しなかったり、対策の立てようのない問題と考えて放置したりというパターンが多いように思います。しかし、好成績を収めるには様々な能力を複合的に活用する必要があり、成績不審も足りない能力をひとつトレーニングしてやることで、一気に解決する場合もあるのです。そのための見立てと対策を、私は重視します。

重視するのは良いんですが、いっぺんに書き過ぎて頭痛いです……
私の教育メソッドは、基本的に子供本人の力を引き出すことに重点を置いています。そのために子供に様々な刺激を与えて自我形成を促進する、といったスタイルを採るわけですが、そのひとつの手法として、「小中学生には家事を、中高生にはクラブ活動を、高校大学生にはアルバイトをさせる」というのは、どうかなぁ、と考えています。

つまり子供に社会参加をさせよう、ということですね。小学生や中学生には、最小の社会としての家庭運営に参与してもらう。家事の一翼を担ってもらう。はじめは簡単なものから始めるのが良いでしょうが、とにかく一単位のことを計画から実行、後かたづけまで、すべて一人で行う事が重要です。たとえば「お料理を手伝う」と称してイチゴを切るだけなんてナンセンス。一食分のメニューを作らせるか、せめて一品を最初から最後まで作り上げる。できたら必要なものを買い揃える段階からやるべし。何を作るか決めてもらって、材料も揃えてもらって、ぜんぶお膳立てしてもらっての「お手伝い」では、おままごとの域を出ず、効果が期待できません。なにより、子供の依存心を育てるばかりで、一向に目的を達成できません。とにかく一人でやらせる。計画、準備、実行、後かたづけ、すべて自分の手でやって、はじめて自立心を育てるのに寄与すると言えるでしょう。役割分担と持ち分を設定して、担当分野に関しては子供に最終的な責任を負わせる、というのがポイントです。その責任を果たさなかった場合の不利益が子供自身に降りかかるようになっていれば、責任を果たさないとどうなるか、という点を身を以て体験できるので、好ましいと言えるでしょう。

中高生のクラブ活動は、ただクラブに参加しているだけでは駄目で、クラブ運営に腐心したり、仲間とぶつかり合ったりといった経験が必要になります。小学生のクラブや部活は、所詮先生のお世話にのっかっているだけになりがちですから、あまり意味がありません。同様に、何をするかが決まり切っている部活も不可。中高生自身が何かを計画し、仲間と折衝し、時には衝突し、傷ついたりする経験が必要です。

高校・大学生のアルバイトは、金銭の絡む本格的な社会参加となりますから、それ以前に社会に参与できるだけの判断力が形成されている事が大前提となりますが、緊張感を伴う他者との接触、責任の分担は、非常に有意義な経験となるでしょう。

いずれにせよ共通する目的は「責任を持たせ、社会の一翼を担うという感覚を持たせること」です。受験だ何だと勉強が忙しくなると、こういう事はなかなかできませんから、やるなら小学校低学年のうちから始めるべきです。また、忘れては行けないのは、いずれも実行するには下地が出来ていなければならないという事です。アルバイトには特に当てはまりますが、他の事についても、例えば料理をさせるには刃物の安全な使い方を身に付けていることが前提となりますし、中高のクラブ活動も、最低限、同年齢の友達と普通に遊べるだけの対人関係能力が身についていて始めて、ここに書いたような目標が達成できます。クラブに参加しても、その中で指導的な立場に立たなければこのような経験は出来ませんから、人から信頼されないようではうまくいきません。もっとも、指を包丁で切って刃物の使い方を覚え、クラブで他人との関係が破綻して対人関係の難しさを知る、というのでも構わないわけですが……

そしてまた、いずれの場合にも適切なお手本があることは重要な要素となります。親や教員、あるいは先輩の中に、尊敬に値する人を見つけだせれば、子供の成長に大きく資することでしょう。
中高生ともなると、知識も増えるし頭の回転も速くなってきて、そろそろ大人と対等にやり合えるようになってくる。そうすると、ちょっと早熟、あるいは社会勉強や人間観察に長けた人間の中には、こういう悩みを抱え始める連中がいるわけなんだな。

 「親がバカだ。ハッキリ言ってうざい」

そういう諸君らへの、メッセージ。


諸君、親がバカだと思うようになったら、それは諸君が独立すべき時が来たということに他ならない。まずその事を明確に意識してもらいたい。諸君のような連中がいつまでも親とベッタリの生活を送っていると、諸君は親に対して苛立ちを募らせるし、親御さんたちは親御さんたちで、諸君が親御さんに向ける反感を、そのまま社会に対する反感と勘違いしたりして、慌ててますますバカなことをし出す。早めに距離を置いた方がいいのだ。お互い、その方がいい。

さて、しかし諸君は大学を卒業せねばならない。敢えて断言するが、諸君は大学、それもある程度以上の学力を要求する大学に合格「せねばならない」のだ。何だってそんな義務を負わなきゃいけないのか、と諸君は思うかも知れないが、これには充分な理由がある。この文章で「諸君は」と呼びかけている対象は、早熟で社会問題への造詣が深く人間心理に通暁した中高生だ。才能ある中高生だ。もちろん、その才能を開花させるもドブに捨てるも、諸君の自由。私ごときがとやかく言う問題ではないはずだ。はずなのだが、それがそうはいかない。
たとえばボートを漕いでいて、溺れている人を見かけたとする。ボートに引き上げれば助けられる。そこで無視して溺れ死ぬに任せたら、それは見殺しというものだ。同様に、社会に様々な問題があり、溺れかかっている人が数あまた存在する。諸君がそれを救助しうる能力を持っているのであれば、やはり諸君はそれを実行せねばならない。もちろん、諸君が何をしようが自由だ。が、能力があるなら、やはり救命活動に参加してほしい。
そのために諸君には社会的影響力を身に付けてもらいたい。そして影響力を身に付ける方法のひとつが、大学卒業、資格取得なのだ。
現代社会は、4年制の大学を卒業して企業に就職する、という形式が確立された社会だ。諸君のように早熟で賢い連中には、そういう道が用意されている。その道筋を踏んで始めて、諸君は社会に対して一定以上の影響力を振るうポジションにつくことが出来るようになる。いわゆる「学歴」と呼ばれるものや、医師免許、弁護士資格、教員免許、臨床心理士資格、あるいは地方/国家公務員試験、司法試験等々。テストが出来るばかりではなく、社会的関心もあって人間心理への洞察も鋭い人に、そういったパワーを身に付けてもらい、社会の中心で活躍してもらわなければ、社会は良くならない。諸君にはその道を目指してもらいたいのだ。
しかし、大学を卒業するまでには多額の資金が必要だ。たくさんの勉強もせねばならないから、親御さんに家事と資金を世話してもらう必要がある。経済的・物質的にまで独立することは出来ない。それを下手に急ぐと、かえって将来に至るまでの痛手を被ることになる可能性がある。

そこで、諸君にはまず、親御さんからの精神的な独立を果たしてもらいたい。何をするも、自分で決める。一人で事を決定するのは間違いの危険もあるから、親御さん以外にアドバイザーとして信頼できる大人を確保できると好ましいが、それは別の問題で、まずは御両親への精神的依存状態を解消してもらいたい。
なに? そんなこと既に果たしていると?


親がバカだバカだと苛立つこと自体が、親にもっと賢くあってほしい、そして自分を支え、あるいは守ってほしいという願望の現れなのだ。親がバカだバカだと騒いでいる時点で、諸君は親離れできていないのだ。親がバカだと思うなら、もう親がバカだと言うな。言わなくても分かっているのだから。そして、そんな親のことにかかずらわるのは止して、いま自分がすべきだと思うことに集中することだ。親御さんは様々なことを言うだろう。言わずにはいられないのだ。諸君は賢いのだから、それくらいの人間心理は理解してやってもらいたい。そして許してほしい。それが度量ある人間というものだろう。

親御さんとは、20歳になるまでに和解すればいいでしょう。20を過ぎて、現実的な問題として進路のことを考え始めたり、就職活動を始めると、親御さんと相談したいことも出てくる。それまでに和解すれば、一時的に仲が悪くなったり、距離を置くようになったりしてもいい。ただ、その間は自分一人なのだから、自分の行動にはしっかり責任をもって、大きな過ちを犯したり、不用意に他人を傷つけたりしないように、それだけ気をつけてください。慎重な行動を心がけること。そして本を沢山読んで下さい。小説ばかりではなく、各社の出版している新書なんかもね。

諸君が才能を発揮して、活躍できる日が来ることを祈っています。
最近、これが教育の根幹なのではないか、と思っていることがあります。それは「子供は他人だ!」という事です。子供は他人だから、こちらの思うようにはならない。教えたことは覚えないし、話したことは違う意味に取る。こちらが急いでいる時に急ごうとせず、こちらが落ち着けと言っても慌てる。もう、そういうもんだ、と思い切ってしまうことが重要なのではないか、と。

よく「どうして勉強しないの?」「前教えたでしょう?」「なにグズグズしてるの!」「なんでこんな問題もできないんだ!」と怒ったり呆れたりする話を耳にします。が、これらはいずれも「当然、熱心に勉強すべきだ」「一度教えたことは、少なくともある程度以上は覚えていなければならない」「服ぐらいさっさと着るべし、マーケットの中は真っすぐ歩くべし」「単位換算ぐらいできて当然」といった大人の常識を、子供に押し付けているものではないかと思うのです。

もし「子供というのはまったくの他人なんだから、大人の予想を裏切って当然だ」と考えていたらどうでしょうか。まず子供というのは何が飛び出すか分からないブラックボックスですから、しっかり観察するでしょう。きちんと子供を見るようになる。これが子供を他人と思うことの効能その1です。
そして、観察して自分の常識との食い違いを発見したら、とうぜんその食い違いを埋めなければ、と考えるでしょう。これが効能その2です。親が期待するほど勉強しない子、というのは、親が持っている勉強についての感覚を共有できていない子である、と考えることができます。だったら、共有する努力をしなければなりません。まず子供が勉強についてどう考えているのかを丁寧に聞き出し、自分の考えを、これまた丁寧に説明し、認識のズレを埋めて、勉強に対する意識を擦り合わせていく必要があります。同様に、一度教えたことをちっとも覚えてくれない子は、「教わったことは覚えなければならない」という感覚が欠如しています。そういう子に対しては「きちんと教わったことを覚えて、使いこなせるようにならないと、いつまでたっても成績は変わらないよ」と丁寧に語りかけます。もちろん、それ以前に「成績を上げることが目標だ」という共通認識は作り上げておかねばなりません。やる事が遅い子には、そのスピードでは困ったことが起きるのだ、という事を理解してもらいます。(もっとも、小さい子がデパートなどでうろうろするのは当たり前のことなので、これは大人が我慢せねばならないこと、という側面もあるでしょうが……我慢しきれない分については、頭ごなしに叱るのではなく、きちんと子供に大人の事情を説明してほしいのです)あたりまえの問題すらとけない子は、その子が悪いのではなく、その子を育てた周囲の大人に原因があります。両親か学校の先生か塾の先生かは分かりませんが、ともかく大人が反省して、一から教え直すべし。

「なんで○○できないんだ!」と怒ることは、要するに「あなたは私の理解の範疇を超えている!」と、自分の常識の狭さ、自分の理解力の欠如を露呈しているに過ぎないと言うこともできます。アカの他人に対して、いきなり「オイコラ」扱いする人はいませんよね。「子供もまた、他人なのだ」という意識を忘れずに、必要な感覚のすり合わせを行うようにしていけば、少しずつ大人と子供の関係はスムーズになっていくのではないかと思います。