福島県いわき市のガレキ撤去から戻って一段落。
細切れの短期でしか出来ないけどこれでやるしかない。
次はいつ行けるかな。
震災当日は勤め先の近くの霞ヶ浦で橋が落ちたり勤務先の建物も壁にひびが入ったりした。
でももう一箇所の東北にある工場の方が被害が大きくて、たまたま休みで気仙沼に出かけてた人が亡くなったり、また社員の家族でも亡くなった方が居てしばらく混乱した。
こちらの工場も停電で電話はもとより携帯のネット、メール、共にだめで、唯一ショートメールが一時的に繋がり嫁と子供の無事は確認できた。
でも僕のボロ携帯ではテレビは見られないので津波の事はその日しばらく知らないまま自分の所の直下型だと思っていた。
会社はすぐに帰宅解散となったが用水路の土手が一部崩れた、との事で帰り道にカブで行って見ると、そんな深刻な状態ではないものの土嚢積みが必要となり、しばし土嚢袋に土を入れる作業をする。
最初2人で始めて最後は8人くらい集まって、個数も短時間で100個超えならいいだろう。
でも後から消防が来て「この泥は土嚢袋から染み出るからダメだよ」と言われてしまった(泣)
後から重機が入るので、上にブルーシート被せてその上に乗せればいいよ、という事で、取り合えず防災倉庫の脇のひさしの下に置くことに。
移動を終え重機を待つが、土砂降りの雨の中余震がずっと続いていたので家が心配になり帰ることにした。ショートメールはもう通じなかった。
電車は止まっていたのでいつもは電車に乗る工程も全てカブで移動した。
5ℓのガソリン携行タンクを持っていったのだが、後日はこれが移動の生命線となった(^-^)
信号の消えた交差点は土砂降りの中非常に緊張したけど、足掛け三都道府県を走ってやっと帰宅、ニュースで津波映像を見てショックをうける。。。
時系列で記憶を辿って貰えば分かると思うけどその後の原発の状況をテレビはあまり伝えてくれなかった。
記者会見の時点でNH〇が30㌔カメラで映してた事を知らなかったのかどうかは不明だが、大本営があの爆発を「爆発的事象」と言ってしまった時点で大本営発表に対する海外メディアの評価は定まっていたのだと思う。
その後、首相の浜岡停止要請や原発政策見直し発言以降、色々な許されざる事実関係が次々と表メディアで報道され始めてるけど、それらに新しい物はなくて、ほとんどが初期段階から指摘されていたものが「事実でした」という形で発表されたり表メディアで報道されているだけだと思う。
情報の透明性はやはり必要だと思う。
でも自分がどうにも我慢ならないのは学校の土壌の堆積調査と乳幼児の体内被曝に対する対策情報と、原発全般に対する津波対策を含む耐震補強工事に関する事です。
耐震補強は運転するにも停止するにもどちらにも必要。
いま日本が無事なのはその場所に津波や地震が来ていないから・・。
来たら福島と同じ事がおきます。そういう前提での思考が必要なのです。
事実、今になって各電力会社は動いています。
今回GW、嫁と子供の里帰りで島根に行ったけどここにも島根原発があります。
今日の報道で低かった防波堤が15mにかさ上げされるという知らせを聞いた。
今まで無視だったのに、ここ数週間の流れで一気に変わった感じがしてちょっと複雑だけど、大きな変化があったのはとても良い事だと思う。
今回接触した地元農家の人も本音を語ってくれて本当に良かったと思う。
地元の有力者でも何でもない普通の人たちだったけど。。。
リスクを負って仕事をする農家、またそれに限らず所属する地域や会社や組織でそれぞれの細かい事情がある。
だから今回も耐震工事の推進以外の話はしていない。
論点を完全に絞った議論をした。
それは耐震工事は原発を「やる」にしても「止める」にしてもどちらにしても絶対必要だからだ。
絶対譲れない必要な事だけを伝えた。
結果的には「今」の状況などその時は予測すらしてなくて先は長いと思っていたから、その後の転がるような展開に双方が驚いてしまっている。
いずれにせよ堤防のかさ上げは行われるようだ。
耐震補強工事、これまでの安全評価とは別に、すべての原発に施されるといいな。
震災支援のボランティア作業は津波の映像に雪が映ってる地方もあるくらいで凍結とガソリン不足、バイクでは直ぐに動けない状況に苛立ってワナワナした。でも何も出来なかった。
ネット上では関西のグループがトラックにドラム缶(ガソリンと言っていた)を積んで救援物資を運んだと伝えていた。芸人の人が行ったより前で、高速の崩壊の修理はまだ全部は出来てなくて給油も不可能な時期にすごいな!と思って気持ちが焦った。
でもトラックだから軽油かもしれないけどドラム缶での燃料移送は大きな事故一発で命の動脈である国道6号や4号を応急修復不可能にまで崩壊させる危険もある・・どうなんだろう?
でも彼らは無事物資を届けて帰還したそうだ。
それを見ても自分の考える安全ラインを満たした上で動ける方法は見つからない。動けず落ち込んだ。
そんな中、原発事故に関する海外メディアと国内メディアの温度差を見るにつけ、これは耐震工事を進める凄いターニングポイントなのかも、と考えた。
耐震補強の必要性はもう何十年も言われ続けてきたことである。
そして今回まだ「世の中が雰囲気が脱原発にシフトする」なんて思ってない時期。。。
支援作業に行けないのなら、その間に他の事をやればいい、と思った。
今、それが実を結んだとは全然言えないレベルだけど、草の根だけど、、それぞれの属する立場や利害に関係なく必要なのが耐震強度だという事に集中して述べれば論者の中に反対者はいなかった。
そしてガソリン供給の問題が解決して気温も上がり自分の時間を取れる時期を見計らってようやく動く。
被災地に集まるボランティアの人数にも場所によってバラつきがあって、行くなら人手の不足している所が良いわけで・・。
そんな場所というのは福島第一から30キロ圏内にかかる地域とか、結果的にそういう所を選ぶ事になる。
作業は塩害で塩と一緒にガレキの流れ込んだ田んぼからのガレキ撤去や以後、津波で砂が流れ込んで硬く埋まってしまった下水の復旧とか。
今回は阪神淡路大震災の時とは違って「オートバイの有用性」はあまり発揮出来なかった。ちと悔しかった。
不人気なエリアは人も少ないし震災直後の混乱が修まる前の時期はともかく、今は渋滞は皆無で、むしろボランティアが持ち込んだ車に道具を積んでグループ移動するなど、活躍したのは個人のクルマだった。
テレビでは「ボランティアが持ち込んだマイカーで駐車場問題が・・」みたいな報道もあって、行くまではそこに神経使ったが、それは地域によって事情が大きく異なるのであり報道を鵜呑みには出来ない。
でも事前に電話やメールで問い合わせることは現地の事務処理を増大させるので無駄足覚悟で飛び込むのが正道なのだ(^-^)
したがって最初の茨城北部はバイクで良かったが、いわき市の時はクルマの方が良かったかも。
結果、平スコップや安全長靴やテントをバイクに山積みにして震災で荒れた常磐道をぴょこぴょこ走ることになる(笑)
ほか具体的な話、下水溝に溜まった硬い砂には何故か割れた瓦が大量に混じっていてスコップが跳ね返される事とか、塩害の田んぼの磯の匂いや腐敗臭がキツい事とか、スコップ積んで高速走ってると自衛隊車両が敬礼してくれた事とか、想い出はいっぱいだけど、書かずにおきます。
許可を得て撮った数少ない写真。
作業中は撮影禁止なので全て終了後に。
ピアノのキーを押してみたけど砂が詰まって動きませんでした。
社会福祉センター内に設けられたボランティアセンターは実にシステマチックで、阪神淡路大震災の頃みたいな殺伐とした雰囲気は無い。
「[自分探し]に来たのなら帰れ!」みたいな会話は全くない。
自分の知る限りではボランティア難民になっている人は見なかったしスムーズだった。
阪神淡路の頃、ネットも携帯電話も無かった頃と違って事前に情報が多く得られるという事もあるだろうけど、でも本当に変わったのは何度かの災害に対処することで「社会が経験値を重ねた」という事だと思う。
問題が起きて反応熱が出て対処して改善する。
思いつきじゃなく何かあった時に大勢が示す反応みたいなものが以前より良くなっていく。
民度が上がっていくのをリアルタイムで見られる・・・そこがいいんだ。
500キロを超える広い被災地域の一部しか見てないけど、「社会性の進化した日本」。
もうボランティア難民が居たとしてもその場で受け入れ必然の中で機能させてしまう、そのくらいの流れが出来ている・・そう感じた。
30キロ圏内に引っかかってるので放射能のスクリーニング検査を任意で受けられます。
強制ではありません。
避難区域とは反対側なので大きな数字は出ません。
本当に気にしなければならないのは「ホットスポット」と「子供」の関係です。
乳幼児の体内被曝と土壌堆積、その扱いと情報の問題は憤りを感じることが多くありますが、「不安を煽るな」となるか「知っていたのに黙っていた」となるのか、そこは正直自分でも分かりません。
具体的対策をはじめ今後どう対処するか、暫く悩むしかないようです。
でもこの事を真剣に考えています。
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