東京の天王洲アイルにある日本航空本社。出社した西松社長が向かったのは、だだっ広い役員室。窓際に並ぶ席のひとつが社長の席だ。普通のオフィス机よりは広いが、大企業の「社長のデスク」というイメージはない。この「大部屋役員室」は西松さんが就任してすぐに設けたものだ。かつては役員一人ひとりが個室を持っていて、互いに顔を合わせるのは週に一度の会議の時だけだったという。「役員同士で気楽に会話が弾み、情報交換が増えることに意味がある」西松社長は、まずは役員同士の風通しを良くしようとしたのだ。次なる課題は、社員たちの風通し。西松社長はある日、ジャンパー姿で成田空港の整備部門を訪れた。食堂に集う整備士たちの輪の中に入って声を掛ける。
「朝は何時からですか? ここは航空会社の根幹を支えるからね」現場を回って社員と直接対話をすることで、上にものが言いにくい体質を変えようとしているのだが、突然の社長の訪問にみんな押し黙ったままだ。ぎこちない雰囲気のまま、客室乗務員の訓練現場へと向かった西松社長。しかしここでも「もしよろしければ応接室の方へ」と腫れ物にでも触るような応対を受けた。長い間にできていた社内の壁は簡単に崩せるものではないようだ。
そして、西松さんの前に更なる壁が立ちはだかる。それは、日本航空が長年抱える複雑な労使関係だ。実は、日本航空には労働組合が八つもある。最大勢力のJAL労働組合は、労使協調路線。他に、機長や客室乗務員など職業別組合が七つあり、これらはJAL労働組合とは対立関係にある。そんな複雑な労使関係を抱える日本航空に、新たな問題が起きてしまった。二〇〇八年三月四日、小松空港でJAL機が停止線に気づかず滑走路に誤進入を起こした。同時に自衛隊機も着陸態勢に入っていたため、一歩間違えば大事故になっていた。実は、その二週間前にも新千歳空港で誤進人トラブルが起きていた。吹雪で視界不良のなか管制官の指示を待たずに離陸しようとしたのだ。
小松と新千歳のトラブルには共通点があった。どちらも訓練中のパイロットが操縦悍を握っていた時に起こっていたのだ。教官の指導のもと訓練生が操縦すること自体は、法律で認められていて問題はない。しかしそのやり方に問題があったようだ。訓練生が管制官からの指示を十分に把握しないまま、滑走路に入ってしまったというのである。訓練生が教官に確認を取るような人間関係がなかったのが原因だ。ものを言えない社風が安全という航空会社の根幹まで揺るがしていた。事態を重く見た日本航空は乗客を乗せた旅客機での訓練の中止に踏み切った。
対応を迫られたのが、安全対策の責任者である岸田清専務。高度な専門職のパイロットは、会社側にとって時に対立することもある特別な存在。会社の対応瀧を一方的に押しつけるだけでは事態を打開することはできないと、岸田専務は考えていた。「労働組合も今回のトラブルのことを、今だかつてないくらい真剣に考えている。そこで四つの組合を招集してお互いに知恵を出し合っては、どうか」岸田専務は考え抜いたプランを、西松社長に告げた。岸田専務の提案は事態打開のための会議に、機長組合にも参加してもらおうというものだった。春闘など待遇をめぐる交渉以外で、労使が同じテーブルに着くのは異例中の異例だ。