発達グレーゾーンの私が「定型寄り」になれた理由 | アスペルガー夫とカサンドラ妻についてとことん語るブログ

アスペルガー夫とカサンドラ妻についてとことん語るブログ

アスペルガー夫、カサンドラ妻について私が思うことをいろいろと記述していきたいと思います。

私は自己紹介のところでも述べましたが、幼少の頃は機能不全家族のもとで育ち、アダルトチルドレンの要素も含み、20代の頃は、不満があればすぐに相手に飛びかかっていくような「発達グレーゾーン」の人間でした。

 

20代、30代の頃の私は、自分のことしか考えられず、人の心について考えたこともなかったのです。

 

そんな私ですが、今はだいぶ定型発達のように振る舞うことができていると思っています。

 

なぜ今、定型発達のように振る舞えるようになったのかを自分の記憶をたどりながら述べていきたいと思います。

 

(1)結婚をしたかったから

 

  「出会いから結婚まで」というのはもちろん運もありますが、女性に好かれるためにはやはり努力も必要です。

  なので、私は結婚をするために女性に好かれるための本を何冊も買って研究しました。とくに私の人生に大きな影響を与えた本が次の2冊でした。

 

 

 

 女性の脳と男性の脳は違う

 そういうことに気付かされた2冊です。

 

(2)結婚をしたから

  

  妻ほど私のことを客観的に見て語ってくれる人はいません。

  それで自分の悪いところに気づくことができ、修正することができたのだと思います。

 

(3)うつ病になったから

  私は47歳のときにうつ病を発症しました。

  と同時に極度の対人恐怖症も発症しました。

  当時、私は、かなりのお給料をもらっていましたが、うつ病のため、そこをやめる寸前まで追い込まれたのですが、「自分が家族を養っていかねば」と思って踏ん張れたのです。

 

  私がうつ病になったときの職場はかなり変わっている職場でした。

  仕事が暇なときは、出勤をしてから退勤するまでの間、ずっと雑談をしている人もいる職場だったのです。(給料泥棒ですね・・)

  私はうつ病にかかって2ヶ月ほどうつ病を治すために自宅生活を送ったあと、復職し、復職してからは1日中雑談をしている人の会話内容をズボンポケットに忍ばせたメモ帳に記入していきました。

 

またテレビのひな壇芸人、小窓芸人の会話も記録し、しゃべくり7のような番組の会話も研究しました。

 

 そうやって職場でこっそりメモ帳に記録する生活は3年間続き、会話の内容は、メモ帳6冊ほどになりました。

 

その頃にようやく定型発達がどのようなことを考えて会話をしているかが見えてきたのです。2年じゃだめだったと思います。今振り返ってみて、やはり3年続けたから見えてきたのだと思います。

 

 今、あらためて思うことは、

 

  定型発達の会話とアスペルガーの会話はやはり違う

 

ということです。自分のことしか考えていないアスペルガーの会話に対して、定型発達の会話は人のことも考えているのです。

 

また、あらためて思うもう一つのことは、やはり、私がいた職場は異質で異様な雰囲気だったということです。

 

・ 不思議で異質な上下関係

・ 無理矢理の団結心、一つの思想植え付け

・ いじりいじられを楽しむ風潮

・ 毒を吐き続ける上司・先輩

・ 学校生活の延長と思われるようなノリ

 

など、今考えると、その空間を生きるしかなかった人たちの知恵・生き様だったのだと思います。

 

復職してからの私は、その人達のそういう会話を記録し続けて、そういう異質な空間を乗り越えたからこそ、ひとつの壁を乗り越えたのだと思います。

 

(4)アスペルガー夫、カサンドラ妻の存在を知ったから

 

 そして、一番私の思考を変えさせたのは、アスペルガー夫、カサンドラ妻の存在です。

 これで私はどのような人間が人間に嫌われるのかを把握することができました。

 

こういう経験を積んで今私は50代。

今の私を見て、私を発達障害だと思う人はあまりいないのではないかと思っています。

 

といっても未だに直せない部分もあるのですが、そこは気にせずに生きていこうと思っています。