アスペルガー夫とカサンドラ妻についてとことん語るブログ

アスペルガー夫とカサンドラ妻についてとことん語るブログ

アスペルガー夫、カサンドラ妻について私が思うことをいろいろと記述していきたいと思います。

私ももう50代ですが、若い頃は「どうやったら人に好かれるか?」と真剣に考えていた時期もありました。

 

そのために、「人に好かれる50のコツ」、「人に好かれる話し方の方法」みたいな本を買い集めては読んでいたことを思い出します。

 

私が人に好かれることよりも嫌われないことを目指すようになったのは、「カサンドラ」の存在を知ってからです。

 

女性にプレゼントをしたり、女性にキザなセリフを言ったりすれば「女性に好かれる」という目的は達成するかもしれません。

 

会社でも上司にゴマをすったり、アフター5に積極的に出れば「上司に好かれる」という目的は達成するかもしれません。

 

また雑談などで人を笑わすことができる人は、多くの人に好かれるでしょう。

 

しかし、私はアスペルガー夫とカサンドラ妻の存在を知ってからは、「人間は人生を生きるにあたって好かれることはあまり重要ではない」ということに気づいたのです。

 

むしろ、好かれる努力ゼロ、嫌われないようにする努力100でも人に好かれるといってもいいくらいです。

 

なので、「どうやったら人に好かれるか」に注力するのではなく、「どうやったら人に嫌われないか」に注力したほうがよいと私は思います。

 

誤解を恐れずに書けば、人に好かれる瞬間というのは一瞬です。人にプレゼントをすればその一瞬は好かれるでしょう。

 

しかし、人に嫌われると一瞬では終わらず、延々と続くのです。

 

最近のスーパーはセルフでのお金のやり取りになっているので、減りましたが、昔のスーパーではレジのところでもたもたと財布を取り出してお金を支払う人が見受けられました。こういう場面では、後ろに並んでいる人は相当イライラするものです。そういうことを察して人のことを考える人は、最初からどう支払えばよいかを意識しています。

 

そう考えると人に嫌われないためには、「日頃の自分の取り組み方をしっかりする」ということが大事だということがわかります。

 

大事なのは

 

どのように自分を見せかければ人に好かれるか

 

ではなく、

 

普段からどのように過ごせば人に嫌われない人間になるか

 

ということです。

 

なので、「話し方テクニック」のような本もいらないですし、「敬語入門」のような本もいらないのです。

 

中身のないうわべだけのテクニックはやがて化けの皮がはがれます。

 

私はこれまで私のブログで「どうやれば人に嫌われないか」ということもたくさん書いてきました。

 

ようは人に嫌われないためには

 

人をカサンドラにさせない

 

ということです。

 

上記のようなことを書くとアスペルガーの方にお叱りを受けるとは思うのですが、

 

アスペルガーは脳の問題だから仕方ないでしょう。

 

ただ、アスペルガー者も「どういうことが人に嫌われることなのか」ということを理解すれば、私は改善の余地はあると思っています。

「カサンドラ妻に嫌われる内容」がわかっていれば、「カサンドラ妻に嫌われる=人全般に嫌われる」ということであるので、人全般に嫌われないようになるためには、その逆をすればよいだけなのですから。

 

アスペルガー夫氏は、そういうところを真摯に受け止める必要があるでしょう。

 

しかし、いかんせん、私のブログは8割、9割方カサンドラの方に読まれているので、アスペルガー者に伝わらないのが残念ではありますが。

 

 

 

 

 

 

理屈、マナー、流行り・・・

 

人はそのようなことを基準にして物事を判断しますし、理屈、マナー、流行りなどを使って人を説得しようとします。

 

私は、このブログで「アスペルガー者はなぜそのような行動・言動をとるのか」を追求してきました。

 

と同時に「定型発達はなぜそのような行動・言動をとるのか」ということに関しても日々考えてきました。

 

 

ここで注意したいことがあります。

 

それは

 

アスペルガー者、定型発達者の言動・行動のすべてを法則性で説明することは不可能である

 

ということです。

 

これだけ精神医学が発達した現代においてもまだまだわからないことはいっぱいあるのです。

 

たとえば今Aさんが変な行動・言動をとっています。

 

そのときに、「なぜ?」と考え、考えられる法則にいくらあてはめてもわからないことが多々あります。

 

そのときにAさんに対してやさしくできる人というのは「理屈、マナー、流行り」を並べ立てて説得を試みる人よりも、Aさんの現在のみたままをそのままとらえて理屈抜きでやさしくする人ではないかと私は思うのです。

 

変な行動・言動をとる人に、「理屈、マナー、流行り」を説明してもその人にはたいてい理解されないのです。

 

逆に言えば理解していないからその人は変な行動・言動をしているのだと考えられますし、本人にしてみれば「自分は正当なことをしている」と信じて疑わないのです。

 

「自分は正当」と思っている人に対して、どんなに理屈を並べても「彼の心」にはひびきません。

 

それよりも「彼の見たまま」をとらえてやさしくするのが「彼」にとってのやさしさなはずです。

 

もちろん、人にはいろんな価値観、考え方がありますから、「それでもなお、彼に理屈を言って説得することが大事だ」と思う人もいるでしょうし、それもありだと私は思います。

 

ただ、一つ言えるのは、「理屈を並べ立てて説得することが大事だ」というふうに、「その思考」しか見えていないのと、「見たまんまをそのままとらえて理屈なしでやさしくするという考えもある」という思考もあるのだとしたうえで「それでもなお」と考えるのとではだいぶ違うということです。

 

2つの思考があるのだとわかっていればそのハイブリッド(中間)をとることもできるでしょう。

 

見たまんま、聞いたまんま、感じたまんま

 

それをなんのバイアスも通さずにやさしくする。

 

そういう発想はとても大事だと私は思います。

最近のネットニュースでは、石丸伸二氏の選挙後の言動について多く取り上げられていますが、その中で気になったことがあったので、今回のブログで取り上げたいと思います。

 

それは、都知事選選挙が終わった直後のテレビ番組で、古市氏が石丸氏に対して言った

 

「2位でうれしかったですか?」

 

という質問です。

 

この質問の真意について私はよくわかりませんが、石丸氏はこの質問に対してカチンときて、古市氏を完全に敵認定しました。

 

石丸氏はその後のユーチューブで、

 

「2位で嬉しいわけがないでしょ。落選して嬉しいわけないじゃないですか」

 

と述べています。

 

テレビでリアルタイムで見ていた多くの人が古市氏の質問に「悪意を感じる質問」と思ったか違和感を感じたのではないでしょうか。

 

ここで、今回の話を、アスペルガー夫とカサンドラ妻に結びつけて考えたいと思います。

 

石丸氏と古市氏の対話を見て私が思ったのは、

 

ASD者に「悪意がある」と思われて敵認定をされたらその後は敵認定者のどんな話にも応じなくなる

 

ということです。

 

石丸氏がASDかどうかはわかりませんが、石丸氏と古市氏の対話でもこのことがあてはまっています。

 

また、このことに関連して、

 

カサンドラ妻も古市氏のように悪意のある質問をアスペルガー夫に発してしまいがち

 

ということです。

 

というのは、カサンドラ妻は常日頃から夫に不満を持っています。なので、自分では意識していなくてもつい悪意のある発言になるというのはありえると私は思うのです。

 

私自身も仕事をしていて、疲れているときとか、嫌いな相手のときには、つい悪意のある言い方になってしまうというのはあると思うのです。

 

「2位でうれしかったですか」

 

は、コンピュータに質問をすれば単純に「はい」か「いいえ」です。

 

しかし、人間に対する質問においてはそこに「心」や「それまでの思い」があるから単純ではなくなるのです。

 

私もこの「2位でうれしかったですか」という質問の真意を汲み取れないので、こういう質問はよくないと思いますし、自分でもこういう質問はしないように気をつけようと思ったのです。

 

こういう質問は「含み質問」であり、質問の中になにかを含んでいるのだと思われますが、今回の古市氏の質問は、それが明瞭ではありません。

 

「2位でうれしかったですか」という質問に対し、もしかしたら人によっては「当選はしなかったけれど、2位で嬉しかったです。」

と答える人もいるかもしれません。これも「なにに重きを置くか」です。あくまでも当選に重きを置く人は当然うれしくないですし、古市氏の質問は嫌味でしかありません。しかし、今回小池百合子氏が当選することは事前調査ではっきりしていることでしたから、2位を取ることに重きを置いたのであれば、「2位でうれしかったですか」に対して「嬉しいとはいかなくても目標に達することはできたと思っています」という返答になろうかと思います。古市氏ももしかしたらそういう返答を期待したのかもしれませんが、実際は石丸氏に悪意のある質問と受け取られ、敵認定されたわけです。

 

ASD、定型発達問わず、人は、人の質問に対して「この人はどういう意味でこの質問をしたのだろう?」と考えます。

問題はその次です。

定型発達の場合は、真意を確実に理解するか、理解できない場合は、無難にやり過ごすか、真意を直接聞いたりしますが、ASDの場合はすぐに「悪意」ととらえて敵認定してしまうところです。

 

「古市氏の質問はおかしい!」

 

と批判するときに、もう一つ考えなければいけないのは、

 

もしかしたら自分も古市氏の質問のようなことをやってしまうかもしれないと、自分に置き換えて学ぶ

 

ということではないかと私は思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

石丸構文はいつも発動されるわけではなく、相手の質問に悪意があるときに発動されます。

 

この場合の悪意は、石丸氏が答えにくい質問も含まれます。

 

この「石丸構文」が発動されれば見事にはぐらかされてしまいます。

 

ASDにも似たような構文を用いる人がいます。

 

今回は、ASD構文にどう対応すればよいかを考えてみたいと思います。

 

1、そもそも前提を入れない

 

 石丸氏は、元乃木坂の女性コメンテーターの質問に対しては

 「そもそも前提が違う」と言って、けっきょくコメンテーターの真意を汲み取ろうとはしませんでした。

 ならば、対策として「そもそも前提を入れない」が考えられます。

 

 たとえば、前提を入れてしまうと

 質問者:「Aさんは今川焼きが好きだとうかがったのですが、あんことカスタードクリームのどちらが好きですか?」

 Aさん:「そもそも今川焼きが好きだという前提が間違っています。以上」←けっきょく答えない

 

となってしまいます。

 

だったら、前提を入れずに「Aさんは今川焼きの中身はなにが好きですか?」と言えば素直に答えてくれるかもしれません。

 

2、○、✕、選択式で答えさせる

 

 「Aさんは今川焼きの中身で、あんこは好きですか?はい、いいえで答えてください」

 

 「今、スケッチブックにいくつか項目が書いてあります。この中で当てはまることに丸をつけてください」

 

このように答え方に「これしかない」を取り入れれば相手はそのように答えるしかなくなり紛れがなくなります。

 

3、あらかじめ回り込まない

 

  テレビを見て、コメンテーターが石丸氏に質問をするときに、石丸氏が返答で逃げないように、あらかじめ逃げ道を封鎖しようとする発言が見受けられます。

 

たとえば次のような例です。

 

「今川焼のあんことカスタードクリームどちらが好きですか?以前もある番組でこれと同じ質問をしたときにAさんは答えられていなかったようなので、今回は答えていただくようお願いします。」

 

すると、次のように返されるでしょう。

 

「はい、あのときは限られた時間内でしたのでそのように返しました。以上です。」←けっきょく答えていない

 

石丸氏がASDかどうかはわかりませんが、仮にASDだとした場合に、質問をする際はよけいな付け足しはしないほうがいいのです。それでも相手が答えなかったとしたなら、それはそれで仕方ないとあきらめます。ASDとの対話においては、時には引き際も大事ということです。

 

ASDとの対応においては、できるだけ紛れを少なくするほうがこちらのペースに持っていけると思います。

 

石丸氏は「悪意のある質問に対しては、こちらもそのように返す」というようなことをおっしゃっていますから「悪意」と受け取られたら石丸氏はぜったい答えないということはハッキリしました。

 

ASD構文に対応するためには、質問は一文でするべきだと思います。さらに言えばそこに悪意を感じさせないような工夫も必要です。

 

次のように長ったらしい質問をされたら私も混乱します。

 

「私は東京のあるお店の今川焼きがとても大好きです。あそこの今川焼はとても人気があるんです。そこでAさんは今川焼が好きかどうか調べたところ、ネットで好きだと書いてありました。そこで、私は気になったのですが、中身はどのようなものが好きでしょうか?あ、どんな答え方でもかまいませんよ。Aさんの答えられる範囲でよいので答えていただけたら嬉しいです。」

 

上記のように質問されたら、多分たいていのASDの人はまともに答えられません。

 

ASDは「視覚優位で聴覚が優位でない」と言われています。あまりにも付け足しの枝があると、相手の質問の真意がぼやけてしまい、けっきょくなにを言いたいのかわからなくなってしまうのです。

 

ASDはあいまいなことが苦手です。ASDの人に「どのように答えてもいい」と言われたらそれこそ答えにきゅうしてしまうのです。

 

次のような言い方もあいまいな言い方の例です。

 

「あなたはいつもはぐらかして終わっていますね。」

 

上記もぼやけた言い方であり、ASDにつけこむ隙を与えています。

 

「私がいつはぐらかしたというんですか。はぐらかした場面と内容を教えてもらえますか」

 

とASDは言うと思います。そして、それを言ったとしても、さらに反論が返ってきて終了です。

 

またASDは「自分のことにはものすごい興味はあるが、相手のことにはまったくの無関心」という特徴があります。

 

したがってASDが興味をもってくれる質問はオーケーですが、「私は最近、眠れなくて困っていますが、相談にのっていただけますか」など、ASD自身とはまったく無縁の話をされると恐ろしいほど興味を示さずスルーされます。

 

ASDに対抗するためには、ASDの性質を汲み取ったうえで、それにそった質問をするのが効果的だと私は思います。

 

なお、石丸伸二氏は世のカサンドラ妻たちを敵に回したというのは、ここ1週間の石丸伸二氏の行動・言動でハッキリしたようです。世のカサンドラ妻たちはそういう類の人間には本当に愛想を尽かしているのですから。それでも今後票をとれるかどうかは今後の見どころでしょう。

 

なお、今日の泉氏との議論のように、違う角度から痛いところをつかれる質問をされ、石丸氏は都政においてなんの具体策もなかったというははっきりしたようです。石丸氏と言えど議論の巧者には負けるということです。

 

なお、私の私見なのですが、

 

そもそも都知事選に参戦するときに、「都政についての具体策を必ず示さねばならないのか」とか「具体策を示せば真剣に取り組む姿勢だと言えるのだろうか」と個人的に思っています。

 

たとえば進学校を受験するときに「進学校を受験するからにはなにになりたいとか普通は目標があるはずですよね。となりの家のAくんは目標をしっかり持っていますよ。目標をお答えねがえますか」と質問され、「今はなにもないです」と答えたときに「そんな人は受験する資格はないですけどね」と言われたらその受験者はどう思うでしょうか。

 

しかし、マスメディアは具体策ということにこだわっているようです。

つまり、マスメディアは「石丸氏のやり方はイメージ戦略だ」と言っているが、自分自身もイメージで語っているということに気づいていないということなのです。

 

 

 

 

前回の記事で私のメンタルヘルスランキングは24位、全体ブログランキングは2819位になりました。

 

多分、「石丸伸二 アスペルガー」で検索をかけた人が私のブログを閲覧したのだろうと想像します。

 

石丸氏は、選挙後、日を置いて、テレビ朝日で女性アナウンサーと1時間20分の対談を行っています。

 

その中で、石丸氏は、宮根氏の番組内で、元乃木坂の女性コメンテーターに対し、容赦ない発言をして批判を浴びたことについて言及していました。

 

石丸氏は

 

「そういう方(元乃木坂の女性コメンテーター)に対してはちょっとかわいそうだったかなって」

 

と行き過ぎた自分の発言に対し反省を見せつつも

 

「真剣勝負で(私が)切ったら、相手(元乃木坂のコメンテーター)は、竹刀も持ってなかったみたいな。ただ、あれはもう1回あの場にいても同じふうにやっちゃうんです。女・子どもに容赦をするっているのは優しさじゃないと思ってる。優しく言ってあげれば良かったのかな。(頭を)ポンポンってやってあげる感じが良かった?それも失礼ですよね。やっぱり失礼じゃないですか。相手もプロとしてあの場にいらっしゃるんだから」

 

と述べていました。

 

これに対して私が思うことを述べたいと思います。

 

まず、この発言に対して「女・子ども」というワードに反応して「女性差別だ」とおっしゃっている方がいますが、それは違うと私も思います。話の流れで「女・子ども」と言っただけであり、そこに噛みつくのは、「過剰反応」だと私は思います。ただ、「頭ポンポン」は私ならこういう言葉は使わないかなと思います。

 

さて、本題ですが、

 

まず、私が一番強調しておきたいのは

 

女性だろうと子供だろうとプロと同じ立ち位置でその場にいるのであれば、石丸氏が人によって発言を変えるのは相手にも失礼であり、よくない

 

というところは私も同感です。

ただ、そういうことは誰でもわかっているのです。石丸氏は、その「誰でもわかっていること」をあえて発言したにすぎない。私はそうみています。

 

では、マスコミは元乃木坂の女性に容赦ない発言をしたことのなにに対して石丸氏は問題だとしているのか?

 

そこがポイントだと私は思っています。

 

まず、挙げられるのが

 

1、相手の言葉尻をとらえて、そこを責めることだけに終始し、相手が本当に言いたかったことに目を向けず、そこは一切答えなかったこと

 

これは、乃木坂の女性にかぎらず、男性コメンテーターに対してもです。

 

これは石丸氏も対談の中で述べていますが、「半分おちょくっていた」とのこと。たしかにメディアは、誘導尋問みたいな形で、石丸氏の今までの発言の矛盾点をあぶり出そうとしていて、そういうメディアの姿勢にも問題があるとは思いますが、それに対しておちょくるような発言をするのはけっきょく「大人げない」と見られてもしかたないのかなと私は思います。他にやり方(言い方)があったのではないかなと私は思います。

 

2、「相手もプロなのだからプロとしての対応をとった」と述べているが、石丸構文という手段で返して、相手の真意に対して答えないのは、石丸氏にもプロの自覚があるのだろうかと思う

 

3、世間には「いい政治家とはこういうもの」というできあがったイメージがあり、それを裏切る人物は好かれないということ

 

日本という国は明治維新によって現在の政府の骨格のようなものができあがり、その後もさまざまな変遷を経て現在にいたっています。その変遷の中で日本国民の頭の中には「いい政治家とはこういうもの」というイメージができあがっているのだと私は思っています。国民が持つイメージは個々によって違うとは思いますが、多くの国民が持つ「いい政治家のイメージ」というのはある程度一致しているのだと私は思っています。

 

例をひとつ挙げます。

 

今、仮に10人の国民が天皇の園遊会のような形で列をなして並んでいます。その中には10歳の子供もいるし、80歳のお年寄りもいるし、20代の女性もいます。

そのときに、「私はどんな人間でも同じく接します」といって同じ対応をしていたら国民から支持されないでしょう。

 

けっきょく、元乃木坂の女性に対する厳しい発言をみて、園遊会のような場面でもそのような発言・態度をしてしまうのではないかと多くの国民がイメージしてしまうのだと私は思います。

 

4、仮にプロとしてその女性を見るにしても、ものには言い方というものがある、石丸構文は適切ではない

 

ただ、これに関しては、石丸氏は番組側に質問される前から答えにくい質問に対しては「石丸構文」でかわそうとしていたはずなので、言い方を変えることはできなかったとみることができます。

 

これはあくまでも私の予想ですが、実際問題として石丸氏は、園遊会のような10人の国民の列に対してそれぞれの目線で話すことはできないのではないかと私は思っています。

 

以上が私の「元乃木坂の女性に対する石丸氏の対応」に関する私見です。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回、都知事選において、蓮舫氏をおさえて都知事選で2位になった石丸伸二氏ですが、ここ最近の石丸伸二氏のマスコミに対する対応をネットニュースで読んでいるうちに、「石丸氏はアスペルガーではないか」と思い、検索してみると案の定、たくさんヒットしました。

 

私が、最近の石丸氏に関するネットニュースを読んで、なぜ石丸氏のアスペルガーを疑ったかですが、次の5つの項目が挙げられます。

 

1 話が噛み合わない

 

  アスペルガー夫とカサンドラ妻のケースでは、妻の質問に対して、夫の回答がぜんぜん噛み合っていないという話をよく聞きます。石丸氏のマスコミに対する回答をみても話が噛み合っていません。

 

定型発達同士の会話では、質問に対して相手はどのように返してくるかというのがだいたい予想ができ、そのとおりに相手が返してきたときに、人は安心をするのです。

 

しかし、石丸氏の発言は、「定型発達ならこのように発言をするはず」という予想を見事に裏切った発言をしてきます。(世間で「石丸構文」と呼ばれている

 

アスペルガー者が噛み合わない発言をするのは、アスペルガーの思考回路が影響しています。アスペルガーの思考回路は定型発達の思考回路とはまったく構造が違っていて、そのために独自の思考回路を持つのです。その「独自の思考」が「話が噛み合わない」という一つの原因となっているのです。

 

また、今回、石丸氏の噛み合わない発言が目立つのは、マスコミが曖昧な質問をしていることも関係があるのではないかと私は思います。マスコミは回答に幅を持たすようにわざと曖昧な質問をしている可能性がありますが、アスペルガー者は曖昧なことが苦手であり、あいまいな質問をされると混乱してしまい、正しい回答ができなくなってしまうのです。

 

また、もう一つの理由として、「アスペルガーは視覚優位であり、聴覚優位ではない」というものがあります。

多くのアスペルガー者は、文字で見ると相手の言っていることが理解できますが、耳から入った情報だけでは理解度が弱くなります。

 

また、もう一つの理由として、敵の攻撃から身を守るというのもあると思います。

アスペルガー夫はカサンドラ妻から口撃されたときにそそくさと自分の部屋に逃げたり、見えない亀の甲羅の結界を張ってシャットダウンすることがあるといいます。マスコミから口撃されると前もって知っていた石丸氏は、「石丸構文」という亀の甲羅を使って自分を守っていたのかもしれません。

 

 

2 自分が正義、まわりが悪

  

  石丸氏は市長だったとき、議会と対立していましたが、孤高の戦士でした。

  これは、石丸氏自身が「自分が正義であり、周りが悪」ということに囚われているため、孤立せざるをえなかったのだと思います。

  アスペルガーには、すぐに人を悪者にする「敵認定」という思考がありますが、今回の石丸氏の言動をみるかぎり、「マスコミ=悪」とみなしているようで、マスコミを敵認定しているのです。

 アスペルガー者が一度敵認定すると、なかなかそれを外すことはなく、敵認定された人の意見に素直に耳を傾けなくなるのです。

 

3 誰にでも同じく接する

 

  アスペルガーの特徴に「誰にでも同じく接する」というものがあります。

  石丸氏は以前、高校生などとの討論でも大人に接するかのように遠慮しない発言がみられたという記事がありました。

  アスペルガーは「子供だから子ども目線で接しよう、大人にはこのように接しよう」ということができません。なので、女、子供だろうと容赦なく厳しい意見を言って、女性や子供を怖がらせてしまうのです。石丸氏は、元アイドルで今はコメンテーターとして活躍している女性に対しても容赦ない発言をしていました。またこの発言を見るかぎり、「噛み砕いて説明しよう」とか、そのような暖かみが感じられず、人の気持がわからないアスペルガーらしいと私は思いました。

 

4 上から目線

  「上から目線」というのはもちろん「相手を見下している」という一面もありますが、もう一つは自分の弱さを隠すためでもあります。上から目線をとるような人は、自分を大きく見せ、弱い自分をカモフラージュしているのです。

 

5 アスペルガーはたいていADHDも伴う

  ADHDというのは一言でいえば「おっちょこちょい」

  ネットニュースを読むと、石丸氏にもそのようなところが見受けられます。

  あと、他動的なところもあり、それもADHDの特徴です。

  石丸氏のネット戦略もこの「ADHD」から来ている可能性があります。

 

その他にも、アスペルガーには「一つのことにこだわる」とか「ルーチンがある」、「100・0思考」という特徴があり、石丸氏にも該当している可能性があります。

 

このようなネットニュースを見ても石丸氏の言動をおかしいと思わずに、石丸氏を支持する人たちも同様にアスペルガーである可能性があります。なぜなら行動思考が自分と似通っていれば支持するためには必要十分であり、ゆえに石丸氏を支持するという構図です。

 

最近のネットコメントでは、「石丸氏は2位でよかった」「石丸氏が当選していたら東京はどうなっていたんだ」という意見が寄せられています。

 

自分の信念を貫くためにはもちろん対立が生まれるのはしかたないことですが、けっきょくのところ、対立する人たちともうまくやっていかなければ自分のやりたいことは成し遂げられないのだと思います。そう考えると、石丸氏が仮に都知事になったとしても各方面との調整がうまくいかず、都政はうまくいかないということになっていたかもしれません。

 

 

アスペルガー者は、最初1回、2回会っただけではその人がアスペルガーかどうかはわからないのです。

 

しかし、どこか「違和感」というのは感じていて、さらに会う回数を重ねると、疑惑から確信に変わっていくのです。

 

石丸氏がアスペルガーかどうかよくわかりませんが、少なくともたくさんのアスペルガー要素を持っている方だということはいえると思います。

 

 

 

私のブログも最近はネタ切れ状態ですので、そろそろ本質的なおはなし(哲学的なおはなし)をしたいなと思い、今日は書くことにします。

 

認知症の人と会話をしたことがありますか?

 

私はあります。

 

認知症も重度になってくると、意味不明なことを言うようになってきます。

 

それでも相互のやり取りが可能な場合もありますが、認知症がさらに進むと一方通行となってまったくやり取り不能になります。

 

認知症の人が意味不明なことを言っているとき、本人は自分のことを正常だと思っているでしょうか?

 

「正常、正常じゃない」という概念すらわからなくなっていると思いますが、私の見解では

 

「本人は正常だと思っている」

 

です。

 

認知症の人が「食べられないもの」を口にくわえているとき、

 

それ(くわえているもの)を取り上げようとすると認知症の人はものすごく怒ります。

 

これは

 

「本人はその行為が正常だと思っているから」

 

という可能性が高いです。

 

私はこの事例から

 

人間という生き物は、どんな変な行動、言動をとっていても本人は正常だと思っている

 

という仮定を立てました。

 

これは、「認知症の人だから」と限定されるわけではありません。「すべての人間が」です。

 

つまり、人間はどんな人でも脳に支配されており、行動や思考は「自分(の意識)が決めている」のではなくて、「脳が決めている」⇒「自分の意思で自分の行動・言動を決められない」ということです。

 

だから、脳がなんらかの原因でおかしくなったとしても、本人はいたって自分は正常だと疑わないのです。

 

私がこれから先、なんらかの原因で脳がおかしくなってもそれに気づくことはできないという事実を受け入れなければならないと思っています。

 

脳はおかしくなっても意識はおかしくならないはずです。

 

意識自体はおかしくならなくても、脳がおかしくなれば変な言動にならざるを得ず、それを自分自身は「変だ」とは受け止めることができないのだと私は考えます。

 

認知症の人は認知症の初期に、あらゆる自分の所有物に名前を書くそうです。

 

これは自分の異変に気づき、「それは自分のものだ」とわかるようにしていると思われる行為ですが、脳はやがてそういうことにもなじんできます。やがて異変を異変だとも思わなくなるでしょう。

 

脳は変な言動・行動を「正常な言動・行動」だと思わせるように働く

 

ということです。

 

認知症の人が、いちいち「自分の行動・言動は変だ」と思って生きていないのは明らかです。

 

脳の損傷により、変な言動・行動をとるようになったとしても、脳がそれになじもうとするために、「自分の行動・言動は変だ」と思わないように、意識すら変えてしまうのです。

 

人間は、脳に支配されており、脳のされるがままに生きているのです。

 

私のここまでのおはなしを聞いて「怖い」と思ったでしょうか?

 

私は少し怖いなと感じます。

 

アスペルガーも脳の病気

認知症も脳の病気

 

人間は脳の支配で生きているのです。

 

現在の科学では「人間には自由意志はない」という立場をとっています。

 

参考となるホームページを貼っておきます。

 

 

【我々に自由意志はあるのか】

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事で単純なミスや恥ずかしいミスをすると

「こんな単純なことでミスするなんて、自分はだめな自分だ」

と思い、「どうやったら、こんな自分を直せるのだろうか?」と思ってしまうかもしれませんが、

「ミスも含めて自分なんだ、こんな自分とともに行きていこう」

と思ってみてはどうでしょうか。

 

以前、

 

「◯◯さんはこういう人だ」と思われたほうが人生かえってやりやすくなる

 

というお話をしましたが、それは自分自身に問うときにもいえます。

 

「自分はこういう人間なんだ」

と開き直ったほうが人生生きやすくなるのです。

 

とにかくいちばん大事なことは

自分で自分を追いつめない

ということです。

自分で自分を追いつめると鬱という病気になります。

 

三国志で敵を攻めたときにわざと敵の逃げ道を開けたという話があります。

敵は逃げ道がないと思えば死にものぐるいで反撃してくるでしょう。

逃げ道があるほうがかえって敵は戦意をなくし、敵を攻めやすくなるのです。

 

「逃げ道を作る」という発想はとても大事です。

 

「自分はなんてだめな人間なんだ」

と思うことは仕方ないとしても、自分自身の心の逃げ道も作っておきましょう。

 

どんな人間でもミスをしない人間はいないですし、優秀な人もそうでない人も

「同等の価値を持つ人間」

なのです。

 

「だめな自分を認めたら向上しないじゃないか」

 

と思った方もいるかもしれません。

 

一見、「だめな自分を認める」と向上心は相反するように思われますが、そうではありません。

 

「自分とはなんなのか」と問うことで、思考がはっきりし、むしろ、そこから向上できるのです。

 

逆に、そこができていないと出発点とならないのです。

 

「だめな自分を認める」とは心のマッサージです。凝っている心をまずはマッサージでほぐしてやるのです。

 

自分を本当に守ってやれるのは自分しかいません。

鬱になってからでは手遅れです。

「だめな自分(だめな自分だと思いこんでいる自分)」を鬱(への入口)から守ることが大事です。