刀のお手入れ 続々 | 蔵のスキンヘッドおじさんのブログ

刀のお手入れ 続々

今年も新年に飾る刀の手入れして拵えと刀身を合体させてました

 

本年は甲斐・武田の家臣として長篠の戦で死んだ望月某の佩刀と記録されている刀です

 

我が家は昔からの縁で井伊に紹介され徳川方で戦いました(以前書きました)

 

武田は憎き仇敵やる気満々でしたがそれ以上に我が家は困窮し逼迫してて恩賞にありつきたかった

 

いくさばでの首取の基本は首と兜のSetです が更に良いのがプラス鎧と佩刀の4点Set

 

勝ち負けが問題の直臣とは違い此方は恩賞目当ての雇われ

 

刀拾いと鎧集めと首取だけに専心して

 

獲った首は井伊に任せ井伊が適宜家臣や朋輩に分け与えて

 

我が家は銭で一括買い取り 

か 

恩賞により加増された碌の何割かを20年に及び頂くか 

 

いずれにせよ悪縁も作らせて貰うと云う方法で生き延びました

 

当座の銭は拾った刀や鎧兜・着衣まで奪ったものを売って暮らしていた

 

長篠の戦での事です

 

望月は滋野3家のひとつですが当時は武田より当主が養子に入りほぼ武田

 

敗走した望月某を狩ったのも我が家でした

 

自刃する事で残り少ないが家臣が逃げるのを許し

 

家臣どもは野良着に着替えて首だけ持って信州方面に逃げた(逃がしてやった) と云うのが我が家の伝承です

 

望月某の首は逃してやったので売れなかったが

 

何人分かの鎧兜や刀・槍や印籠(薬入れ)を手に入れて殆ど売っちゃた

 

 

望月某の佩刀と槍だけは今だに残ってます

 

流石に大将首・あれだけのおおいくさでしかも敗戦でも刀は使われた形跡なし

※刀身3尺2寸(約96cm)の立派な物です、信玄の甥の持ち物として充分な名刀です

※同じく望月某の槍は刀身は勿論柄もかなりボロボロで此方も残ってます、穂が1尺4寸で柄が5m40cmという大身槍です、穂先は潰れ刃も数か所で刃毀れし柄も彼方此方に刀傷やら硬い物に思いっきり打ち付けた様な凹みがあったり壮絶な物です

 

今年はそれに決めました