楷書の記録 中の弐
先日亡くなった大尉殿の家も正論の愚痴ばかりいう老婆の家も元々は我が家の家の子(郎党)の家でした
彼らにもほんの少しですが同じ血が流れています
武田の伊那侵攻(知久氏の没落)で我が家も大打撃を受け、織田の武田攻め、徳川の真田攻め等ありましたが、大した人員を集められず、まあそこそこの手柄しかあげられなかった
そして主家としては最後の下条氏の没落で武士の道を捨て帰農することになります
帰農する際に多くの家の子と主従の縁を切っていて、極一部ですが地元に残りました
苗字で云うと10家ほどで主従の縁を切ってからは、婚姻や養子を入れる等の血の交わりは幾つかの例外を除きありません
ただ戦前までは彼らは我が総家を殿様と呼んでいたと聞いていますし、これらの家から優秀な子供が出ると援助していたらしいです
亡くなった大尉殿も我が家の曾爺さんの援助で旧制中学(今で云う高校)・士官学校へ進んでいます
その関係か大尉殿も遺言で一切を私に残すと書かれてありました
もともとの主家に帰された形になりました
TarraTiger6X6と交換したのがこれ↓
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