※相変わらず長文で候。そして、ネタバレか否かは読者の自己責任なのであしからず


 シネマ#49 


 『1975年のケルン・コンサート』


 in静岡サールナートホール 


 監督/イド・フルーク


 出演/マラ・エムデ●ジョン・マガロ●マイケル・チャーナス●アレクサンダー・シェアー●ヨルディス・トリーベルetc 


 2026年/ドイツ・ポーランド・ベルギー合作 







 採点/68点 


 《GWシネマ音楽祭》

第4幕の今作は、
“プロデューサー部門”
にあたるだろうか。

1975年のドイツ・ケルン歌劇場にて、即興演奏の天才と謳われたジャズピアニスト●キース・ジャレットの伝説コンサートを開催に辿り着くまで悪戦苦闘する女性プロモーター●ヴェラ・ブランデスの道程を描いた物語。


ヤンチャな若者が世界的ミュージシャンと一歩も引かず対峙する自伝的青春映画ってぇッと、キャメロン・クロウの名作
『あの頃ペニー・レイン』
が真っ先に思い浮かべるが、常に客観的に捉える音楽ジャーナリストとは打って変わり、今作は、興行を打ち、全責任を負うプロモーターの立場なので、実現するまでの高いリスクの壁は、終始、シビアで、重苦しい。

持ち前の行動範囲の広さとメゲないバイタリティが自慢の若手のホープと云えども、素は未だうら若き女子校生であり、勢いの良さはたかが知れている。

ギャラの配分やら楽器の段取り、日程の手配、準備だけでなく、予算そのものが不可能であり、したたかな大人のビジネス社会に翻弄される苦痛に加え、両親との確執やドイツ特有の社会世相の酷しさに挟まれる境遇は、とても独りでは乗り越えられないと序盤から突きつけられた。

痛々しい展開は、純粋に観ていてツラい複雑さが特徴と成り、ストーリー全体を深く奏でてゆく。

トドメに、ブッキングしたキース当人が癇癪持ちでかなり我の強い性格のため、トラブルが増え、難題に衝突する事態は、ライブ当日の直前まで絶えず続き、銀幕から醸す不安感が観る者の胸中を支配する。

ゆえに、まだまだ半人前の彼女を支える多くの仲間達がセッティングに数多く協力しており、恋人や親友だけでなく、音楽誌のジャーナリストや事務所の大人達などの差し伸べる大人達の手助けが必要不可欠となり、危険を顧みない絆と覚悟が真の主役であると早々に気付く。

其の定義は、結局、自立できない子と親の関係にダイレクトに直結しており、家族物語として奥深い構造と云えよう。

赤コーナー●キース・ジャレット
VS
青コーナー●ヴェラ・ブランデス
スタッフ陣を巻き込み、無理難題な要求に振り回される厄介な攻防は、ジャズに疎い私は、同年代の大イベント
《1976年の猪木・アリ戦》
に置き換えて、勝手に追い掛け、解釈してしまった。




現に、劇場へ出向くまで、私は、キースとは、ローリング・ストーンズのギタリスト●キース・リチャーズやと勘違いしていたから、疎いにも程があると自分でも呆れ返る。



でも、肝心のライブ場面で、ピアノについてとか、演奏そのものにおいて、巨大な《??!!》がドカーンと降り掛かってきたから、歴史的アルバムの価値を知らないミーハーな私でも納得できなくなってしまった。

ほな、ギリギリまで頭を抱えてきた問題は一体何やったのか?!

そして、版権云々の諸事情に雁字搦めに陥った末のメインとサゲならば、映画をこしらえた意味は無く、本末転倒であるとすら虚しく感じた。

内容よりも実現するまでの経緯に付加価値が有ると評価が賛否両論激しく分かれるだろう。

そう云う意味においても、
猪木・アリ戦にカブって観てしまう宿命は、あながち間違いではないと、皮肉に思い、笑ってしまう。

そんな呑気な5月の昼下りなのであった。



では、最後に短歌を一首

『裸足振りぃ 足場に口笛 夢打つつ 駆ける即興(アドリブ) 春ぞ告ぐ独奏(ソロ)』
by全竜