宮崎アニメは好きだ。

僕は、世界観を持っている映画が好きだ。

特にアニメは、絵柄や表現手法等、出来る事が無限にある。

なのに、その作品の世界観を持たず、何処にでも出てきそうなキャラクターや、何処ででも見れそうな設定のアニメは、見る価値も無いと思っている。

その点、宮崎アニメは、何処まで行っても宮崎アニメで、その世界観は、常に一貫していてすがすかしい。

特にこのポニョの序盤10分は秀逸で、通常の思考をしていては理解できない世界がスクリーン一杯に展開して、作品に吸い込まれてしまった、、、、、、、

ただ、そんな夢のような気持ちは、その後一気に突き放され、、、、、、、、、、正直気持ちが悪くなった。


生命の誕生と死、それが生々しく時にマクロに、時にミクロ的に描かれていて、病的なまでのストイックさを感じてしまった。


この作品が、ただのジブリ版人魚姫に見える人は幸せだ。


作品の裏にHPラヴクラフトの小説が、、、等と言うつもりはさらさらないし、それを宮崎駿はくみ取る事を求めていないだろう。

でも、ポニョの端下記に
「少年と少女、愛と責任、海と生命、これ等初源に属するものをためらわずに描いて、神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。」

と宮崎駿は書いている、、、、、、、、

なぜ、あえて神経症と言う精神医学用語を用いたのか、、、、、



ポニョが包まれている泡に群がる無数の兄弟=====卵子に群がる精子

次から次へと押し寄せる波========膣内を移動する精子

子供、半魚人、かえる、魚に戻るポニョ====生命の進化の過程

車イスが水辺に整然と並ぶ========さんずの川へ旅立った老人達

人間と神の子==============魔法が使える半魚人


この作品に深読みは無意味だ。

深読みしても得る物は初めて見たインパクト程の物はないだろう。


ただ、僕の目には、病的な宮崎駿がはっきりと見えた。

可愛らしい歌にあのファンタジーな絵に、病的な書き込みと描写、、、、、、、

このコントラストが、余計に病んだ作品である事を感じさせる、、、、、、

大橋のぞみと藤岡藤巻、、、、、、、、、


この2つの相入れない世界をあえて合わせたのは、ポニョの作品上必要不可欠だったのかもしれない、、、、