毎日毎日人は死んでいる。

テレビでは殺人事件や戦争、サイクロン、地震で沢山の人の死が報道されている。

でも、全然悲しくない。


学生時代、そんな僕は薄情なんじゃないかと真剣に悩んだ事があった。

人の死が悲しくない、友達の親が死んでも、僕は悲しくなかった。

辛そうな友達の顔を見ても、僕には何も感じなかった。

可愛いあの子も、泣き顔はひどいもんだと思った。

その辛そうな意味が解らなかった。

僕が初めて身内を亡くしたのは30歳になった時だった。

一番初めは、ばーちゃんだった。

その頃には、ばーちゃんに流す涙はまだ貯まってなかった、、、、、



大学2年の夏、中学依頼の親友だった友達とスキューバのCカードを取りにサイパンへ行った。

初海外旅行だった、、、、

1週間後、帰国し、その翌日、僕はサークルの合宿で河口湖へ、親友はその翌々日、高校時代の仲間と大洗海岸へ、、、、

合宿から帰ると、親友のお通夜だった。


僕は短パン、タンクトップで駆けつけた。

お棺の中を見るまでは信じられなかった、、、、、

鼻と口にわたが詰められて青い顔のあいつの顔を、今でも忘れない

泣いた。

2日間、ず~っと泣いてた。48時間泣き続け15年分泣いた。

その後1週間は何も出来ずに、部屋に篭った、、、、

そして、実家を捨てて、今ここで生活している。


親不孝な事をしていると、後ろめたい気持ちは今でも持っている。

親は僕が家を飛び出しても何も言わなかった。

ただ、ひとこと

「私が死ぬより辛いでしょうね、、、、でも、○○君の分も生きなくちゃ」

と言っていた。

その時は何も思わなかったけど、それが、母親が俺に言える最大の慰めだったんだと今は思う。



親友が死んで、15年経ったある日、涙が戻ってきたと実感したのは、不覚にもポケモンを見ていた時だった、、、、、



人が死んで悲しいと感じる強さは、その人が心の中にどれ位住んでいるかによるものだと思う。

ちょっと話した事のある程度の人が死んだ場合、心の記憶のほんの一部分に穴が開くだけなので、驚きはするが悲しくはないだろう。

でも、最愛の人が死んだ場合、心の中はその人1色だから、その人が住んでいた部分、全てがぽっかりと穴が開く。

こうなると、その穴の大きさが痛みになり悲しみの度合いとなり、胸が痛む。

人の心は非常に良く出来ていて、しばらくすると、無事だった部分の心が、その穴を埋めようとする。

仕事に打ち込むのかもしれない、新しい誰かを見つけるのかもしれない。

その方法は人それぞれだけど、穴が何かで埋まった時、人は悲しみから解放される。


僕の心は、彼のいた場所、すなわち自分の生まれ育った街を離れる事を選んだ。

全てをリセットする事で手っ取り早く再製をしたんだと今思う。

それ程、僕の心は危険な状態だったんだろう。


夜中2時、僕は突然何も持たず、車を飛ばして東名高速を西に向けて走った。

たった1回、遊びに行っただけの、大学の先輩の家へ行く為に、、、

なぜ、そこだったのかは良く覚えていないけど、、、、、

そこが、僕の知っている一番遠い場所だったんだと今は思う。

その時、本気でこのまま死んでも構わないと思って、アクセルはベタ踏みし続けていた。

430セドリック、L28

モンローにショックを変えていたとは言え、フワフワとした足回りは、ちょっと体勢を崩せば、死ねそうな気がした。

その時、初めて本気で神様に身をゆだねた。





よくよく考えると、人が死んで悲しいと言うのは、自分の心が痛むからと言う、自己本位な感情だとも言えなくも無い。

と、仲間に言ったら、「そんな事、言うもんじゃない!」と本気で叱られた、、、、、