未来への希望とか、将来展望とか、そういうものを、ガンサバイバーと呼ばれる人の中には、根こそぎ刈り取られてしまう方も多いのではないでしょうか?
いつ、また再発して、ゼロになるかもしれない。その未来への不安が、未来への期待をそぎ取ってしまうのだと思います。

心して、そうなっているというよりは、食事をしたり、トイレに行ったり、眠ったり、その人の営みの当然あるべき部分と同じようなレベルで、「いつ死ぬかわからないから」と、進めるかわからない未来予測はしなくなるのだと思います。

術後、多くのものを失います。
また、抱えきれなくなった多くのものも諦めなければならなくなります。

それは、今を生きるために必要なこととして何を残すか、という自分の中をリストラクチャリング作用をかけている表れであるともいえます。
プライド?出世?熱意?家庭?誉れ?
ごく自然と、何を残し、何を捨てるのか、判別しながら歩み、死の怖れや生きづらさを避けているのだと思います。
 
私は、特に、未来への希望や目的というものを、可能な限りゼロにするという作用が出ているようです。
そして、それをそのまま放っておいたら、ただ毎日を単調に、無感動に、繰り返す、いわゆる生きた屍=リビングデッドのようになっていくのではないか、とも感じています。(このワードが浮かんだときには、笑いさえこぼれてしまいましたが、「おそらく、あるなぁ・・・」と、意外にしっくりさを感じています)。
 
そのため、希望や目的を自分でつくらなければなりません。
ベーシックで、自動的にどんどん未来への希望や目的がリストラクチャリングされていくので、逆に自分から生きる目的や必要性、生きる動機を作っていかなけれなりません。
 
その一つが一人海外旅行でもありました。
それを終えた今、簡単に行える新しいことが必要となります。
 
いろいろ悩みました。
壺でもつくるか?ドラムとか叩いてみるか?婚活アプリに登録してチャラってみるか?ポツンと一軒家してみるか?などなど・・・
 
その中で最も建設的なものだったのが、英会話でした。
思いついたら、すぐ行動。
早速、入会し、すでに3回の個人レッスンを受けています。
ほぼノーガードで、ひたすら先生の言葉責めを受けています。
汗か涙かわからない水分を失っています。
 
新しいこと。始めました。