訓練期間 | 記憶の欠片(ピース)

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病気がちで、甲斐性のないおっさんのブログ。
小説・ショートショートを書いていましたが、気力が失せたため、思い付きでいろんなことを書いています。

緊急事態宣言が解除されたのを受け、街は一挙に人手が増えたところもあるようです。

私の兄貴は、仕事の関係で大きな駅を利用することもあるのですが、人の多さに驚いていました。みんな怖くないのかね、とぼやいてもいました。

その兄貴も、飲んべえですから、この一年だって、ほとんど三日と空けずに行きつけのお店で飲んでいます。

まあ、それは、宣言の範囲内でのことだから、悪くないという意識はあるのでしょう。

 

ただ、それらは、政府とか自治体の「お願い、要望」的な書き方で、罰則のある強制ではないというのが、基本です。

なので、人によって受け取り方や対応がちがうわけです。

 

こういう状況の繰り返しは、果たしていつまで続くでしょうか。

数年でしょうか。延々でしょうか。

 

映画「アウトロー」(トム・クルーズ主演)の中にこんなやりとりがあります。

A>訓練にはどんな効果がある?

B>反射神経が上がり、体が覚える。無意識に行動できる。

A>どんなやつでも、訓練すればある程度形になる。認識を叩き込めば……

 

 

新型コロナの問題が数年続くとして、今年齢の低い小さな子供たちは、数年で大人になると言うことですね。

今学校などでは、マスクの着用とかソーシャルディスタンスとか、いろいろ生活上のことを指導されて身につけていると思います。

学校で防災訓練が行われるようになったときと、感じは似ているように思います。

すでに大人である人々のように、煩わしいことと受け取りません。

今は訓練期間であり、訓練を受けた子供たちは社会に出て、それら訓練を受けた内容を「生活上の一般的なこと」として身につけ行動するようになるかも知れません。そのようになると、世の中も今とは少し様相が変わっているのかも知れません。

それでも、「出来る者と、出来ない者」が出てくるでしょうけれど。

 

社会生活の中で、周囲の人を自分の思い通りに動かすことは出来ません。ほとんどの場合、「周囲に合わせて自分が動く」ことになります。

なので、場所によっては、「ここにいる人たちの、訓練の練度は低そうだ」と感じることがあるかも知れません。そういうのを見極めることも、訓練の一つでしょう。

つまり「訓練を受けたはずだが、出来ない人がここには多い。あるいは、それらを無視して行動している人が多い」ということを、自分が訓練を身につけていれば、自然と判断できる。ということです。

 

ぼやいていてもしかたがないのです。

すでに120分を超えて滞在している人はうちへ帰れ、とか言っても、そうはいかないでしょう。むしろ、おまえが帰れと言われるのが落ちです。

しかたがないときは、自分の方から避けるしかありません。

諦めなさい、と言っているわけではありません。「見極めが必要だ」ということです。

相手の行動が間違っているかどうかを判断するのではなく、自分が危険にさらされているかを判断するべきです。

自分の判断力を尊重し、判断できたことに自信を持つべきです。そして行動に移しましょう。

 

ただそれらの判断は完璧にリスクを取り去ってくれるわけではなく、「ちょっと下げてくれる」程度の効果だと思うべきです。

最終的には、運が左右すると考えた方が気楽であると思います。

 

さて、その「訓練期間」はすでに1年以上過ぎたものと考えられます。

どのようなとき、どう行動すべきか、自分でルールを口に出して言えるでしょうか?

わたしは、「マスクをして歩く。レジに並ぶときは距離を取る。建物に入る時、家に帰ったら手指を消毒する」それくらいならすぐに言えます。

 

子供は、親の背中を見て育つ、とも言いますね。

大人と子供がいて、先にルールを破るのは大人ではありませんか?

大人はいい加減なのですよねえ。