3月まで、大阪支社にいたときは、主に店舗内装の工事監理をしてました。
ほかの設計事務所やゼネコンの人たちと比べると随分ちまっこい工事だと思いますが、うちの会社は施主が特殊なので、周辺の事務作業がやたらと多く、別の意味で大変でした。
また、小さな店舗の内装工事なら業者さんもゼネコンとかではなく、街の工務店みたいなところなんですが、この人たちが一癖も二癖もあり、自分のスキル不足も相まって、いろんな人に迷惑かけつつ、途中で投げ出したくなるような事態もちょくちょく起こってました。
そうは言っても、3月の完成案件が4つあり、京都・大阪・神戸・沖縄と、4つの府県を行ったり来たりして、委託先の設計事務所の先生に色々とディテールを教えてもらいながら、自分が主担当としてお施主さんや工務店のおじさんたちと打ち合わせをしていくのは、自分で仕事をやっている、モノづくりの端っこで関わりを持てている、という感覚があって、それなりにやりがいがありました。

4月に異動してきた本社の部署はかっこよく言うとCRE戦略を立てる部署、ということになるらしいです。
これがまた曲者で、うちはグループ会社でたくさんの不動産を所有しているので、各会社、部署で計画する大規模工事の計画や新築、移転、廃止などのサポートをしながら、グループ全体の不動産の最適化の大きな指針を出すことが目標ですが、実際には調整ごとばかりで、全くモノづくりにも関わっていないし、ともすれば各部署に首を突っ込んで茶々を入れ、それでプロジェクトを止めてしまうだけのこともあります。
まあ、なんというか、いかにも本社らしいのですが、結局、幹部への説明のためのアポ取りや形ばかりの委員会の日程調整、外から突っ込まれないための理屈づけ、他部署と揉めないような話の仕方の段取り、そういうことが仕事の7割くらいを占めます。
あきらかに人が多すぎて、調整する人ばかりになっていて、意思決定のスピードが落ちています。そういうこともあって、仕事に打ち込む気が起きないんですよね。
自分が書いた文章をラインの全員で寄ってたかって文章を直すもんだから、直属の上司に直された文章を、もう1つ上の上司に持っていったら、修正前のに似た文章に再修正されて返ってくることもあります。
「誰々の意見を聞いてみよう」ということで、その人が捕まるまでストップしたり、打合せに出てない人が、全部まとまった案件を後からちゃぶ台返ししたり、幹部のアポが取れないために、行政への打合せに行けずに2週間過ぎたり、とか、そういうのがたまにじゃなくて、しょっちゅうあって本当にアホらしい。
しかも、みんな、それに気づいていて、出向の人が、ここでの1ヶ月の仕事は「自分の会社なら3日で終わる」とか、幹部が、逐一自分へ報告を求めるくせに「早く前に進めてください」と言うとか、そういうチグハグがそこここで起こっています。
さらに、これ本当に本社の人間が何人も寄ってたかって解決しないといけない案件か?みたいなちまっこいやつを小一時間くらい皆でどうしよかねーとかやってることもあって、それ考えてる時間の人工が、外部委託の費用上回るんちゃうか、と思いますね。
本気で「グループ全体の不動産の最適化」を考えるとするなら、人は少ないすぎるし、サポートに徹するなら人は多すぎるし、なんというかアンバランス。
ここまで、愚痴をつらつらと書いてきましたが、建築系の世界から不動産の世界に異動になって、視野が広がったことも事実です。
建築系の人たちの苦労を分かろうとしない不動産系の人間や経営者がたくさんいて、逆に、不動産や経営のことを微塵も考えない建築の人たちも結構います。
宅建の勉強をするとわかるんですが、この業界は建築よりも人間の業の深さというか、ドロドロしたところがよく見えます。
建築基準法は、あくまで建物の安全性や快適性を担保するための基準が設けられていますし、都市計画法は、(政治的な話もあるにせよ)よりよい街にするための規制や方針を決めるためにありますが、宅建業法や民法(の不動産に係る部分)は基本的には、悪さをする奴らを規制するという話と、揉め事を解決するときのための目安、みたいなものに主眼が置かれているような気がします。
完全に性悪説に基づいた世界なんですよね。
建築系の技術者が、特に職人気質の人や技術者として高い倫理観を持ち合わせた人が、性悪説でものごとを考える不動産屋と会話がそもそも噛み合わない、なんてこともよくあるような気がします。
また、建築の世界もしばしばそうですが、不動産の世界はそれよりお金に勝るものがない感じがとても強いです。
収益物件の利回りの話をするときでも、売買価格の参考にするための鑑定評価でも、最終的には数字の話に落ち着くというのは、意思決定という点では比較的単純明快ですが、なかなか融通がききません。
建築業界の人が、「これは文化的な価値がある建物だから保存すべきです!」と言ったところで、「保存のためのお金は誰が出すんですか。そもそも保存にいくらかかって、新築する場合に比べてどれくらい得なんですか」と言われて、建築側の人間できちんと答えられると人はかなり少ないと思います。
組織を動かす人の話と、不動産の話と、建築の話と、このあたりの話をボーっと考えていたのが、4月からです。
今の部署では若手とはいえ、建築の部署から来た人ということで、建築の話をよく質問されます。すると、2年しか建築の部署にいてない私でも、このおじさんたちよりは、建築の現場の切迫感を分かっているな、という自信が少しだけでます。
しかし同時に、数字は掴めていても、この工事を現場でやるときの大変さ、居抜きだから建物を第三者の事を考えると工期がかかるとか、基本設計が詰まってきたときに設計条件を変えることの手間とか、本社的には何気ない好奇心で知りたい情報について現場がその情報を集めるのにかかる時間とか、そういう想像力がまでない人たちがこの部署にいることに悲しくなることもあります。
逆に、僕はそういう人たちに遠慮して、遠慮することが多く、それは本当に会社のためか、という葛藤もあります。
本社的な仕事の回しは「きっちりきっちり」なので、もっと本当は現場から情報を上げてもらう必要がある、とか、会社の経営を考えれば、今ギリギリで現場が苦しい思いをしてでもコストカットのために変更を指示したほうがよいのか、とか、そういう意味私は大局観が全くなく、その場しのぎのでなんとか乗り切るのは現場に任せることを覚えたほうがよいかもしれません。
そういうジレンマのなかで、自分は建築側の人間だ、と思ってしまうんですが、その思いは、ある種の自負なのか、今の部署に合わないことへの言い訳なのか。
しかし、現場からすると「お前も全く現場のこと何もわかってないのに偉そうに」となることが目に見えています。
結局、今の仕事で何を産み出せているのか?
私は何ができるのか?
どっちつかずでも、どっちにも味方が多いやつになっていたい。
そもそも建築の世界と不動産の世界は二項対立ではないし、もっと意識高いこというと、架橋にならないと、自分の生き残る道はないと思っています。
でもそれって自分の嫌いな調整ごとでは?
あぁ、いつも通りの堂々巡り。