■ ある教会で起きたこと ― 私が信仰から離れた理由
私は数年前、ある福祉系の事業所(ここでは Y事業所 とします)に通っていた。
その頃、事業所内でキリスト教の伝道集会が開かれ、そこで出会ったのが、
近隣にある H教会 の牧師 K師 だった。
この出会いをきっかけに、私はH教会へ通うようになった。
■ 教会で感じた“居場所”と違和感
最初の頃、教会には温かい空気があり、
昼食会で出される300円のカレーは素朴でおいしく、
今でも数少ない“良い思い出”として残っている。
しかし、徐々に違和感が積み重なっていった。
教会にはLINEグループがあり、
個別のやり取りも頻繁だったのだが、
ある日、牧師K師の家族である M氏(K師の娘)から
突然こんなメッセージが届いた。
「あなたは悪魔に憑かれています」
冗談や比喩ではなく、
まるで断罪するような口調だった。
私は衝撃を受け、深く傷ついた。
今でもこの言葉は胸の奥に残っている。
■ 献金と「冷たさ」
私は4年以上、献金を続けていた。
100円の時もあれば7万円の時もあった。
決して生活に余裕があったわけではないが、
当時の私は信仰心から行っていた。
しかし、教会を離れようとした時、
私が受けた扱いは非常に冷たいものだった。
私は他団体への献金トラブルについて相談したかったのだが、
牧師の妻であり伝道師でもある A氏 は
私の文章をほとんど読まず、短くこう返した。
「支払いなどはありません!」
相談には乗らず、一方的に突き放すような返信だった。
その瞬間、
「ああ、この教会にはもう居場所はないんだ」
と実感した。
■ 信仰の“残り香”と嫌悪感
いま私は、仏教や神道に心が戻っている。
H教会からもキリスト教からも距離を置いた。
それでも、当時の名残で、
家には小さな十字架モチーフが1つだけ残っている。
今では信仰心はない。
ただの“遺物”のような存在だ。
正直、教会のことを思い出すと胸が悪くなる。
嫌悪している自分すらいる。
それでも、完全には忘れられない。
それだけ傷が深かったのだと思う。
■ 最後に
宗教そのものを否定するつもりはない。
救われる人もいれば、
私のように傷つく人もいる。
ただ、あの教会で受けた扱いは、
いまだに言葉にできない重さとして残っている。
この文章を書くことで、
少しでも区切りがつけばと思い、
ここに記した。










