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更新日:2026/09/25
裏切り者――
和田孝太郎=道孝太郎と渡部浩之について
人との縁について、僕はこれまで何度も考えてきた。
信じていた人間に傷つけられること。
嫌だったことを嫌だと言っても、それを軽く扱われること。
そして、もう関わりたくないと思うところまで追い込まれても、その境界線すら尊重されないこと。
僕には、そういう経験がある。
その中でも、僕にとって忘れることのできない人間がいる。
和田孝太郎=道孝太郎。
そして、
渡部浩之。
僕はこの二人を、僕自身の経験から「裏切り者」だと思っている。
これは、相手の心の中まで断定する話ではない。
僕が実際に何をされ、どう傷つき、どう受け止めたのか。
その記憶について書く。
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和田孝太郎=道孝太郎
和田とのことで、まず僕が強烈に嫌だったことがある。
僕が飲んだ缶やペットボトルに対して、舐め回すようなことをされた。
自分が口をつけたものにそういうことをされた僕にとって、それは非常に不快な行為だった。
さらに、僕の耳に息を吹きかけられた。
僕が嫌だと言うと、和田は笑って、
「鼻息だよ」
と言った。
僕が嫌だと伝えたことを、笑って済ませられた。
それも僕には嫌だった。
そして、トイレを溢れさせたのに、そのことを僕に伝えなかったこともあった。
その結果、僕は汚水で濡れることになった。
普通なら、トイレを溢れさせたなら、そのことを伝えるべきだったと僕は思う。
少なくとも僕は、その出来事によって非常に嫌な思いをした。
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そして、和田との関係が切れる寸前になった頃。
僕はさらに嫌なことをされた。
「イマドコサーチ」を突然2回もされた。
僕にとっては、これも非常に大きな出来事だった。
もう縁が切れる寸前だった。
それなのに、突然イマドコサーチを2回。
僕には、それが怖く感じられたし、僕の「もう関わりたくない」という境界線が尊重されていないように感じた。
ここまで積み重なってくると、僕は和田との関係について、
「ちょっと嫌なことがあった」
などという言葉では片づけられない。
僕の身体的な境界線も、嫌だという意思も、安心して過ごしたいという気持ちも、何度も踏みにじられたように感じている。
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渡部浩之
渡部についても、僕には忘れられないことがいくつもある。
まず、僕は渡部から暴力を受けた。
それだけでも、僕にとっては大きな傷になった。
さらに、僕が渡部から言われたことで傷ついたことを伝えたとき、
「そう感じるほうがおかしい」
という趣旨のことを言われた。
僕にとって、これは本当に苦しかった。
僕は傷ついた。
嫌だった。
それを伝えた。
なのに、今度はその「傷ついた」という僕自身の感覚まで否定された。
「そんなことで傷つくほうがおかしい」とされてしまえば、僕はいったい自分の気持ちをどうすればいいのか。
僕には分からなかった。
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そして、渡部からは罵詈雑言のメールを何度も何度も送られた。
一回ではない。
繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し。
何度も。
そのたびに僕は傷ついた。
メールが来る。
傷つく。
また来る。
また傷つく。
それが繰り返された。
僕にとっては、単なる「喧嘩」ではなかった。
言葉によって何度も傷つけられたという記憶として残っている。
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渡部については、それだけではない。
僕はいつも渡部にえばられているような感覚があった。
対等な人間として接してもらっているというより、いつも上から押さえつけられているように感じていた。
そして、僕にとって非常に印象に残っている言葉がある。
渡部が、和田に対して、
「おまえはやまゆり園に行け」
という趣旨のことを言っていたことだ。
僕は、その言葉も忘れていない。
人に対してそういう言葉を投げることを、僕は受け入れられなかった。
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さらに僕は、渡部から「呪いのお守り」を渡されたと受け止めている。
これについても、僕の中では嫌な記憶として残っている。
こうして振り返ってみると、渡部との関係には、一つの出来事だけでは説明できないほど、多くの嫌な記憶が積み重なっている。
暴力。
傷つく言葉。
僕の感じ方を否定されたこと。
何度も繰り返された罵詈雑言のメール。
いつもえばられているように感じていたこと。
そして、僕が忘れられない言葉や出来事。
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なぜ僕は「裏切り者」と呼ぶのか
「裏切り」という言葉は重い。
でも僕にとっては、そのくらい重い経験だった。
僕は人を信じた。
友人として付き合った。
それなのに、その関係の中で傷つけられた。
嫌だと言っても、それが軽く扱われた。
傷ついたと言っても、その感じ方がおかしいと言われた。
縁を切ろうとするところまでいっても、イマドコサーチをされた。
何度も何度も罵詈雑言を送られた。
そういうことが積み重なって、僕の中に残った言葉が、
「裏切り者」
だった。
これは僕が誰かを攻撃するためだけに使っている言葉ではない。
僕が経験したことを、自分自身の中でどう捉えているのかを表す言葉だ。
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僕はもう、自分の傷を小さくしない
昔の僕は、もしかしたらもっと我慢していたのかもしれない。
「自分が気にしすぎなのかな」
「こんなことで怒る僕がおかしいのかな」
「相手にも事情があったのかな」
そうやって、自分の側を疑っていたこともあった。
でも、今は違う。
相手が何を考えていたのかまでは、僕には分からない。
だから、相手の内心まで勝手に決めつけるつもりはない。
だけど、
僕が嫌だったことは、僕が嫌だった。
僕が傷ついたことは、僕が傷ついた。
僕が怖いと感じたことは、僕にとって怖かった。
それを、誰かに「そんなふうに感じるほうがおかしい」と言われたからといって、なかったことにはできない。
僕の記憶から消す必要もない。
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和田孝太郎=道孝太郎。
渡部浩之。
僕はこの二人との関係を振り返ると、そこに残っているのは、楽しかった思い出だけではない。
不快だったこと。
傷ついたこと。
怖かったこと。
尊厳を傷つけられたと感じたこと。
境界線を越えられたと感じたこと。
そして、最後には、
「もう、この人たちとは関わりたくない」
というところまで僕は追い込まれた。
だから僕は、この二人を僕にとっての「裏切り者」として記憶している。
これは、僕自身の過去を取り戻すための言葉でもある。
誰かに僕の記憶を塗り替えられないために。
僕が傷ついたことを、「そんなことはなかった」と消されないために。
そして何より、
僕自身が、自分の傷をもう否定しないために。








