「帰って来た橋本治展」 | ざっくの♡更新お知らせブログ(仮)

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2024/05/14(日)「帰って来た橋本治展」@神奈川近代文学館

先の日曜日は横浜・元町に出かけて、神奈川近代文学館に「帰って来た橋本治展」に行ってきました。

 

神奈川近代文学館はみなとみらい線の元町・中華街駅を降りて港の見える丘、そしてバラ園を抜けたその奥にあります。

 

遠くに今はもういないガンダムさんの夢の跡地も見えました。

 

私は普段はあまりこういう散策はしないので、良いリフレッシュができました。

私が橋本治さんの著作と出会ったのは二十歳を過ぎた頃でしょうか。当時「広告批評」という雑誌があって、そこに橋本治さんが寄稿していました。なんだかよくわからないけど面白そうなことを言う人だなあ、という直観があって、それから橋本治さんの著書を読むようになりました。

「シンデレラボーイ・シンデレラガール」という本は、私の生涯で最も影響を受けた本の一冊です。この本はとても薄い(ページ数の少ない)のですが、私にとってなんだか大切なことが書いてあるぞ、という本でした。

 

以下、2010年に書いた私の書評から
「この本は、橋本治の著書の中で一番好きな本だ。
この本の出だしは、まったく意味不明である。全く煙に巻くような物言いで、途中、突然、著者は逆ギレする。全く、意味がわからない。
しかし、この本の後半は素晴らしい。
世界は誰が動かしているのか? 世界は誰も動かしていない。なぜなら、世界を動かせるのは君だけだから。君が動かなければ世界は動かない、君が動けば世界は動く。
この言葉は、私に勇気を与えてくれた。私は希望を持って生きていっていいんだと思わせてくれた。」

橋本治さんは直筆で原稿用紙に原稿を書いています。初期の頃の作品は、なんだか文字を覚えたての小学生が書くような字体です。そして全盛期の頃の原稿は、原稿用紙のマス目いっぱいの大きな字で、言いたいことはあるんだぞ、と言わんばかりだ。また、「窯変・源氏物語」の原稿の文字は女性が書いたような(まさに紫式部が現代に源氏物語を書いているような)流れるような文字で書いている。それがとても興味深かった。
そして、とことん突き詰めるのが橋本治さんの性分なのだろう。「枕草子」を現代語(桃尻語)訳する時には単語帳みたいなものを創っているし、「双調・平家物語」では巻物のような年表を作っている。源氏物語の次は平家物語、三島由紀夫の次は小林秀雄、昭和が終わったから昭和と決別しなきゃいけない、20世紀が終わったから20世紀と決別しなきゃいけない。「誰もやりそうにないから、自分がやんなきゃいけない」という律義さが、私が橋本治、スゲー、と思う理由なのかもしれない。

 

私は小説家としての橋本治さんの評価はあまり高くない。むしろ私にとってはつまらない作品が多い。それでも「窯変・源氏物語」は素晴らしい作品だと思う。
何が素晴らしいかというと、「源氏物語」を光源氏の一人称で語らせたところ、そして光源氏が亡くなったとされる「雲隠」(空白のこの章を橋本治さんは創作されている)から、語り手を藤式部(紫式部)にチェンジさせるところ、そして世にいう「宇治十帖」では紫式部が千年先に生きる女性に語り掛けるように「源氏物語」を終わらせたところ。文学の研究者からすればトンデモナイことかもしれないが、それをやってのけた橋本治、スゲー、である。

 

展示は櫨本治さんが編んだセーターや描いたイラストの展示もあったが、例の東大駒場祭のポスター以外は私は全く興味がなかった。それでも、生原稿をじっくり見て読んでいるだけで2時間くらいそこで過ごした。

橋本治さんの死後、作品や遺品などは神奈川近代文学館に寄贈されたそうだ。橋本治さんはたくさんの著書を残されているし、また今や手に入らない本もたくさんある。(高価すぎて手の出ないものもたくさんある。)私もたぶん半分くらいしか、橋本治さんの著作を読めていない。
私の人生に最も影響を与えた坂口安吾さんの著書はすべて読んだ。いつかは橋本治さんの著書もすべて読んでみたいと思っている。