昨日、父の追悼文を書いたところ、たくさんの方に読んでいただきました。

普段は多くても100くらいのアクセスしかない細やかなブログに、一日で8000を超えるアクセスがあり、父の影響力に慄くばかりです。

追悼の余熱で、もう少し随筆を書いてみたいと思います。

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昨夜は大阪心斎橋にあるアートクラブというライブスポットでライブ演奏があり、そこへ向かう道中のことです。

近鉄難波駅から地上に上がったところに、松竹座の楽屋口に通じる路地があります。

父の晩年、松竹座の出番がある時は車で送迎していたのですが、金龍ラーメンの前に車を止めた後、えっちらおっちら杖をついて楽屋口へ向かう父の後ろ姿を眺め、「凄い人やなあ」といつも感心していました。

その場所に差し掛かった時、思いがけず涙が込み上げました。

うっかりしていました。まだまだダメですね。あの後ろ姿が浮かんできました。

ミナミはヤバい。

オヤジが居そうです。

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本番を終え、何となく物思いに耽りたくなり、形見の腕時計を握りしめ、父の「庭」だった道頓堀を散歩することにしました。

父が大好きだった「はり重」の前を通り、「松竹座」。出演予定だった7月大歌舞伎のポスターを見かけ、胸が締め付けられそうでした。

そして今はなき「中座」、「角座」、「浪花座」。

僕が幼い頃、父の空き時間に時折連れて行ってもらった「道頓堀東映」、そして僕が3歳で初舞台を踏んだ「朝日座」。

松竹座を除いてはすべて幻の劇場ですが、在りし日のミナミの面影と父を偲び、道頓堀を通り抜けました。

そして少し足を延ばして「国立文楽劇場」にたどり着いたところで合掌し、帰宅しました。

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「国立文楽劇場」と言えば、父の最後の自主公演となった伝説の2013年の「傘寿記念 坂東竹三郎の会」が思い出されます。

この時僕は裏方で駆け回っていましたが、3回目の公演を拝見することができました。

キャスティングの妙で、チケット争奪戦が起こったこと。

お客様の「ええもん見せてもらうで!」という期待感で埋め尽くされた異様な熱気の満員御礼の客席。

それが幕が開いた瞬間に舞台にどっとのしかかり、それを受け止めた役者の方々の緊張感のある熱演。

それを受けて、一斉に鳴り、一斉に鳴り止む拍手。セリフと被らない拍手。

芸達者が集い、「華」があり、「品」があり、「美」で彩られ、醸された「匂い」と「情」、「色香」が滲む舞台。

間合いの完璧な迫力のある「大向こう」。

一切鳴らなかった携帯電話の着信音。

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芸の熟した演者と観劇作法を心得た観客との、気持ちの受け渡しで作られる、完成された歌舞伎観劇のカタチを見た気がしました。

父が作り上げてきた、自主公演における娯楽のカタチがここで到達点に達したんだなと思いました。

終演後の充足感に満ちたロビーでお見送りで立っていましたが、満足げなお客様の顔を見て、凄いことをしはったなと、じわっと感動して、その時も涙した記憶があります。

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ちなみに、この時Twitterが大賑わいで、「これから劇場に向かいます」といった期待感や「最高の芝居やった」という高揚感溢れる感想など、膨大な量となり、Togetterでまとめられていました。

僕もじっくり目を通し、余韻に浸っていましたが、実は、思い余って、プリントアウトしたものを父に手渡しました。

それを嬉しそうに眺めていた父の姿が浮かびます。

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父が繋いだ縁のひとつが、今年の2月から放送が始まったラジオ番組「岡崎泰正の届け生唄らじおんぱ」です。

プロデューサーが、最初のゲストはぜひ竹三郎さんに、と仰って父もその気でしたが、残念ながら実現しませんでした。

今夜の放送は、亡くなる直前の収録でしたので、父のことに触れてはいませんが、次週は追悼特集を組もうと思っています。

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余熱でとっちらかってしまいましたが、ここまでお読みいただいてありがとうございました。

また思い立って、父を題材に書くことがあるかもしれませんが、またお立ち寄りください