「推し」という表現について。

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 どうもこんにちは。

連続投稿にて失礼します。

僕自身、もともと長文を書くのは、書くことがあればいくらでも書けるタイプなので…w

昔は2,3000文字とか1日で平気でブログ記事書いてましたからね…(笑)

今はすっかり読書はしなくなってしまったけど、このブログを読書感想文のような使い方をしていた時期もありましたし。

それはそれで今思えば、意味のあったことだったかなと思います。

インプットしたらアウトプットするのって大事だなと思いました。

そのアウトプット方法も絵を描いたり文章を書いたり、そのキャラと同じ服装にしてみたりといろいろな表現方法があると思うけど、

自分にはやっぱり文章が合っているんだなと。

 

(推し)

さて、本題に入ります。

 

 

 

今のアメブロって、こうしてツイッターの引用も楽々出来て便利ですね…(そっからかい)

「推し」って言う言葉が市民権を得て、毎日のようにSNSで見かけるようになってからずっと違和感あるんですよね。

おそらくこれからも持ち続けると思うけど…w

 

改めて「推し」っていう言葉の自分の中での解釈は、

「何か自分の好きなもの、人を、誰かに推し進める時に使う言葉」

なんですよね。

 

言葉の意味は時代を経て変わっていくのは当たり前だと思ってはいるのですが、

「推し」って言葉がそのまま「好き」っていう意味になってそうで、そこに違和感をあるんですよね。

(余談だけど『違和感を感じる』っていう表現見ちゃうともにょりますw)

なんだか何でもかんでも「推し」って表現しちゃうのはどうかな…っていう。

人が使っているのをわざわざ指摘したりはしないけど、(その人もその人で物差しや推しっていう言葉の受け止め方が違うだろうからね)

自分自身は「推し」っていう言葉はこれかも使わないだろうなと思います。

 

まだ、(それでもおこがましいけど)デビューしたてのアイドルや芸能人、これから伸びていく、上を目指していく人に対して、

「今、この人推してるんですよー」っていう言い方ならするかもだけどね。

だから、もう完成されてる(っていう言い方も違うかもw)、そもそも推す必要が無い人にも「推し」っていうのはなんか違うかな…と。

 

例えば僕の好きな漫画の『ガラスの仮面』の姫川亜弓さんなんて、そもそも生まれからしてサラブレッド(映画監督と大女優の娘)だし、

(※サラブレッドっていう言い方は原作準拠)彼女自身もそうは言われながらも自分自身でめちゃくちゃ努力して紅天女を目指すし、

そんな人を推すだんなておこがましいんですよね。

推すっていうより、こんな僕ですが尊敬させていただいています、ですが便宜上、「好き」と表現させていただいております。

っていうニュアンスですよ…(笑)

 

そもそもが自分主体になってるような気もするんですよね。

まず自分があって、対象として推しがいる、みたいな…(伝われ)

 

似たような表現で、「このジャンルでは推しが決まらない」っていうのもわからないですね。

その作品で必ずしも推しを見つけなきゃいけないの?みたいな(笑)

まだ、魅力的なキャラ、メンバーが多くいて推しに迷うっていうのなら分かりますが…。

 

あとは何につけても「推しが~」「推しが~」って代名詞的に使わずに、そのキャラや人の名前で呼んであれば良いのにな…

っていうのは思うけど、余計なお世話だからやめておきます…笑

自分はこれからも好きなキャラや人の名前はその名前で呼んでいくし、そこは変わらないと思いますね。

そもそも自分の好きなキャラってそんな代名詞みたいな置き換えって出来ないと思うんだけど、いかがでしょ?笑

 

一昔前は「俺の嫁」、今は「推し」、やっぱり言葉の変遷って面白いなって思うと同時に、

変わりゆく言葉にこうしていちいち何か言いたくなっちゃう自分は年取ったなぁ…とw

今の世代のトレンドとか言葉遣いとかにいちゃもんつけたくなるって、いわゆる「老害」の始まりかもしれないので、

こうして思うことを言うのはこのブログだけにしておきます。

SNSで発信しても良いんだけど、解釈が違ったり、思わぬトラブルが起こったりするかもですし…

 

ブログの良いところはこうして思ったことを、文字数制限なく、タイムラインの目を気にせず書けることですね!

だから、今回みたいに思うことがあって、でももしかしたらSNSで言ったら思わぬトラブルになりそうだし、何より自分の言いたいことが言えない…ってなったらブログで書こうかなと。

 

無双の鮑三娘さんと、アムネシアのサワちゃんさんは「推し」じゃなく「好き!」です!

自分自身が好きだったら他の人に勧めたり、拡める必要ないんだよぁ…。

それでは、また…。