第3章 第20節 | 『パーシュパタスートラ(獣主派経典)』を読む


अत्रेदं ब्रह्म जपेत् ॥२०॥


atredaM brahma japet ॥20॥


【ここにおいて、このブラフマンを唱えるべし。】



    これは決まり文句で第1章第39節第2章第21節と同一なので解説は省略する。


 外堀は埋まった!我々はこれよりナーローの六法の研究に取り掛かりたいと思う。


    筆者は残念ながらチベット語を一文字も解さない。ナーローの六法のサンスクリット文献があれば「あらやだわ、そんなのあるのね、とりあえずめんどいけどかじってみようかしらん」とも思うのだが、不幸中の幸いでナーローの六法のサンスクリット文献を筆者は知らない、そこで既に翻訳出版済みの、ツォンカパ著『チベットの密教ヨーガ 深い道であるナーローの六法の点から導く次第、三信具足』(ツルティム・ケサン、山田哲也共訳 文栄堂)を元に見ていきたいと思う。
 しかしゲルク派の始祖であるツォンカパ(1357ー1419年)が、カギュ派の伝統に属するナーローの六法を何故解説しているのかという疑問が、門外漢の筆者の脳裡にまずむくむくと湧き起こる。しかしツォンカパは言ってみれば空海ばりの天才で、一人百科全書派なみに何でもお見通し、たいていのことは知っているお坊さんなので、それも当然と言えば当然である。三人寄れば一人ツォンカパ、ツォンカパ賢けりゃ、袈裟まで賢いである。


    では彼は誰からナーローの六法を学んだのかということになると、ツルティム・ケサン、正木晃共著の『チベット密教』(ちくま学芸文庫)を読む限り、チェンガタクパ・チャンチュプのもとで、マルパとミラレーパ、ガムポパの伝系統の「ナーローの六法」や「マハームドラー」を学んだとある。また「ナーローの六法」や『カーラ・チャクラ』の実践法を身につけていたラマ・ウマパ・ツンドゥーセンゲに親しく教えを受けているとあるから、こうした人々から教えを受けたのであろう。『深い道であるナーローの六法の点から導く次第、三信具足』の書かれた時期は、本文最後に「多聞の比丘、隠遁者・東のツォンカ出身のロサンタクペーペルが寂静なる大山に建つガンデン寺にて口述した。」(上掲書 P197)とあり、ガンデン寺は1409年の建立であるからツォンカパ晩年である。


  そもそもナーローとは誰なのかということなのだが、ナーローとはナーローパという名で知られたインド仏教の密教行者で生年は11世紀の1016年、没年は1100年と一般的に言われている。しかし後述するがこのナーローパの生年と没年は現在では誤りとされている(まず常識的に考えてもマルパがナーローパより年上で、孫弟子のミラレパが、1052年生まれの1135年没ということであるので、世代間の一般的な年齢差から言ってもこれは明らかに誤りであることが分かるであろう)。


 ナーローパの生没年問題はさておき、12世紀から13世紀ぐらいの成立のアバヤダッタシュリー口述『八十四人の密教行者(caturaziitisiddhapravRtti)』(杉本恒彦訳、宮坂宥明+ペマ・リンジン画 春秋社)のナーローパの項を次に見ていこう。


    彼は酒売りの家系に生まれ、ヴィシュヌナガラで師ティローパに会い、十二年間、自分で乞食した物を運んで仕えたが、「あなたは誰だ」程度の言葉すらかけてもらえなかった。ある時師匠のお気に入りの野菜カレーをもっと持って来いと言われ、それをある家長の家から器ごと盗んで師に渡してようやくヴァジュラヴァーラーヒー女神の教示を授けられて、六ヶ月で成就を得たとされる(上掲書 P100-103)。しかしこれはほとんど伝聞からなる物語の域をでない。実際はチベットの『青冊史』などを始めとする歴史書に記載のあるように、インドのナーランダ寺院と並ぶ最高峰の仏教寺院ヴィクラマシーラ大僧院の北門の守護者として勇名を馳せた学僧であり、しかしながら大僧院での仏教の学究的な机上の探究に飽き足らず、還俗して在俗密教行者のティローパに師事した。カシミール生まれのパンディットであると弟子のマルパは記している。
 それではナーローパの生没年だが、日本では、筆者も一冊は持っているが二冊は持っていない『ガナチャクラと金剛乗』(起心書房)の著者である静春樹の論文『『金剛句心髄集難語釈』の作者の問題と「時輪教」の成立時期』(印度學佛教研究第65巻第2号)に詳しくその問題が記されている(英語のwikipediaでは没年は1040年とされている。この誤った生没年は誰が最初に言ったのか、筆者には詳しくは分からない。羽田野伯猷の1949年の論文『時輪タントラ成立に関する基本的課題』の註でナーローパの没年は1040年と見なされている、しかしカルマパ17世率いるカギュ派のホームページでは誤った年代でナーローパが説明されている) 


    まずナーローパの生没年を考える上で基本的に押さえておくべきところが、チベットに招聘されてインド仏教を伝えたアティーシャがチベットに向かったのが1040年というところである。その時、アティーシャに対してヴィクラマシーラ寺院にやって来た名声著しい年老いた在家密教行者のナーローパが「仏の教説の上首は汝である」と太鼓判を捺してアティーシャをチベットに送り出しているのである。そして『アティシャ伝』ではその出会いから20日後にナーローパは亡くなったと記さている。すなわちこれに鑑みればナーローパの没年は1040年なのである。ここから老年ということを考慮に入れてナーローパの一生を80年として逆算すると10世紀、おおよそ960年頃の生年ということになる。そこからついでにソロバンを入れて計算をすれば、その弟子のマルパが1012年生まれであるので、師匠のナーローパにマルパが師事可能な期間は、ナーローパの没年1040年までの、マルパ28才までの間ということになろう。


    マルパは『チベットの密教ヨーガ 深い道であるナーローの六法の点から導く次第、三信具足』のツルティム・ケサンの序文に引用されているタクトゥン・ギャルポ著『マルパ翻訳官の伝記』によると、ナーローパに『ヘーヴァジュラ・タントラ』と混合することと遷移(ポワ)を学び、特にチャンダーリーの火の羯磨印を学び、次にジュニャーナ・ガルバ(ナーローパの弟子でカシミールに住んでいたジュナーナカラのことか?)に父タントラの『秘密集会タントラ』と幻身と光明の教えを得たという。さらにシャーンティ・バドラ(ラトナーカラシャーンティの弟子のネパール人。王舎城で教授をした。詳しくは川越英真『 Nag tsho Lo tsā ba について』東北福祉大学紀要第26巻参照)に母タントラである『マハーマーヤー』を教わり、最後に尊者君主マイトリー(ナーローパの弟子でもある)にマハームドラーを教わったと述べられている。この記述は時系列がバラバラに記さているとは考えにくい。恐らくインドで最初にマルパが師事したのが年老いた晩年のナーローパであり、その後、ジュニャーナ・ガルバ、シャーンティ・バドラなどナーローパの弟子筋にあたる兄弟弟子達に師事し、最後にナーローパとシャバラの弟子であるマイトリーパに師事してマハームドラーにより修業を完成させたと推測される。かくてマイトリーパに教えを受けて修行を完成させたマルパの述懐が以下のものである。

 
東方のガンガー河の岸に行き、そこで大徳マイトリーパの恩恵により、
根本たる法性は不生であると証解し、空性である心を把握し、
戯論を離れた不変なる最高真理の本体を見て、三身たる母と現にまみえた。
わが戯論はそれ以後断った。


(タクトゥン・ギャルポ著『マルパ翻訳官の伝記』 立川武蔵訳、『チベット仏教』岩波書店 P178)
 


    マイトリーパ(1007年頃の生まれ)は、ナーローパからもマハームドラーの教えを受けたであろうが、シャバリパから最終的には教えを受けたとされる。シャバリパは『青冊史』の「マハームドラーの章」では大バラモンのサラハの流儀を受持する人とされている(ガムポパ著『解脱の宝飾』ツルティム・ケサン、藤仲孝司訳 P68-69)。マハームドラーはサラハやシャバリパ、ルーイーパなどに代表されるサハジャ乗の伝統に属する。サラハ、シャバリパ、ルーイーパなどのサハジャ乗の代表的な人々は8世紀から10世紀頃までの人であるが、この時期について筆写にとっては依然不透明なままである。
 弟子のマルパやツォンカパなど話が紆余曲折したが、以下ここまでをまとめれば、ナーローパは、10世紀中期から11世紀前半の人であり、ヴィクラマシーラ大僧院の有力な学僧であり、還俗してティローパに師事し、『ヘーヴァジュラ・タントラ』系の教えの下、チャンダーリーの火を含むナーローの六法を整備し、それと共に授けられたマハームドラーの教えを多くの弟子に教え、1040年に亡くなった在家密教行者である。


    次に紆余曲折に戻ってナーローパの師匠のティローパについて見ていこう。彼はブラフマンの家系に生まれ、マルパ翻訳官著 『 ティローパ伝(THE LIFE OF THE MAHAASIDDHA TILOPA)』(Fabrizio Torricelli and Aachaarya Sangye T.Naga   Library of Tibetan Works and Archives)の伝承では、幻身をナーガールジュナに、夢見をチャーリヤパに、光明をラヴァパに、チャンダーリーの火をダーキニーの教わったとされる。マハームドラーは特定の誰かに教わったのではないという。
 ナーローパにティローパが与えた六つの忠告というものがある。

①「省みるな」
②「意図するな」
③「考えるな」
④「分析するな」
⑤「修するな」
⑥「自らに安らげ」 



    これはマハームドラーに関する短い要訣である。長めの説明もあるので、ティローパがガンガーの岸辺でナーローパに授けたというマハームドラーの教えを以下、チベット語を解さない筆者が泣く泣く一日でもって無理矢理、英訳から重訳しておいた。英訳から、一語も解さないチベット語を通してサンスクリットや漢語に思いを馳せて翻訳するという意味の分からないヘラクレス的難行を実践したものなので、全く満足できるものではないが、朧げにでもマハームドラーの内容がだいたい、いい感じで読者に伝われば幸いである。 底本はSangyes Nyenpa『Tilopa's Mahamudra Upadesha The Gangama Instructions with Commentary』(David Molk訳 Snow Lion Boston & London)を用いた。





 
 全ての身業を放下して、安楽に坐して、心の取捨選択を捨て、対象なき瞑想に親しむことがマハームドラーであり、それは心の本質である光明そのものであり空性そのものである。その為には、瞑想時に過去を省みず、未来に意図を持たず、現在について考えず、何物も想像せず、修業するぞ修行するぞというアセンション的な向上意識も、修業はうまくいっていない、おれはダメだというディセンション的下向の意識も捨て、ただ安楽に坐るということである。改めてマハームドラーの要訣をもって自分の瞑想スタイルを再検討すると、そこに自己に安らぐという意識が欠けていて、様々な技法をもって向上してやろうという霊性の貪欲さ、いい車といい家といい女を捕まえる為、俺は上昇してやるんだというバブル期を生きたじいさん共よろしく、彼らの裏返しでしかない霊的上昇志向を有する自分自身の姿が、おぇぇという吐き気と共にかいま見えるはずである。その霊的貪欲さを切り落とすと瞑想は非常にシンプルになる。日本の曹洞宗の道元は、只管打坐を説いたが、これは目的論か結果論であって、只管打坐しようとしても、ギラギラと霊性の向上を目指す意識が働くと精神的なものを消尽してしまうのである。只管打座にマハームドラーの要訣という手段を合わせれば、恐らくどんな人も真の只管打坐に近づけるであろうと思う。


 ティローパ、ナーローパ、マイトリーパ、マルパ、ミラレパと続くカギュ派の教えにおいて最高のものはかかる作為性を徹底排除したマハームドラーである。マハームドラーは作為性を徹底的に排除し、向上や下向を否定する。例えばヴィパッサナーにおける「あるがままを観る」瞑想をとってみても、そこに向上を目指す修習意識や作為性というものが存在することは否めない。止としてのサマタ瞑想も同様である。そういう意味ではマハームドラーは上座部のヴィパシュヤナーやシャマタ瞑想、大乗仏教の天台止観などの止と観を越えたハイブリッド瞑想といってもいい。瞑想はここにおいて行き着くところまで行き着いたともいえよう。そしてこうした究極的な無作為の瞑想としてのマハームドラーと対極にあるのが、方便道としてのナーローの六法である。これは人為性を極めていて、複雑な方法論でもって、ナーディーやチャクラやヴァーユに注意を向け、想像し、思考し、熟慮し修習する類のものである。人為性の極致ともいうべきナーローの六法と作為性を徹底して排除したマハームドラーという二律背反ともいうべき二つの修業方法のカギュ派における併存という事象はなかなかに興味深い。しかし実際はこの二つはティローパやナーローパ、マルパ、ミラレーパと続くカギュ派における修業の両輪とも考えられる。

 ついでにマハームドラーの教えの震源であるサハジャ乗についてサラハの教えをその『ドーハー・コーシャー』より適当に見繕って見ていこう。
 


 
〔サハジャ〕が冥想を超えたものなら、冥想をして何になろう。また、語り得ぬものなら、説明が何の役に立とう。全世界は存在という外的表現にあざむかれ、何人も自らの本性を〔サハジャであると〕知らぬ。42
 
 
意と生気が流れず、太陽と月とが出入りせぬところ、そこに、愚か者よ、〔菩提〕心を休止せしめよ。これがサハラの教えである。49
 
 
白鳥を捉らえよ(と)私は秘義を語る。上下二枚の翼を切れ。翼を失った時、(白鳥)はどこに行き(得よう)。(かくして)身体なる寺は動揺なく安立する。74
 
 
この(身体)の中にサラズヴァティー河やソーヴァナーハ河があり、ガンジンの河口がある。ここにベナレス、プラヤーガがあり、月と太陽がある。96
 

奈良康明翻訳及びノート サラハパーダ作『ドーハー・コーシャー』駒沢大学仏教学紀要 Vol24、25


 こうして見ていくとサハジャ乗のサハジャとマハームドラーはイコールなのである。サハジャとは生来のものという意味でありマハームドラーも方法論であると同時に空性としての本質的な光とも見做されるから。しかし厳密に分ければサハジャは状態であり、様相である。マハームドラーは方法論的意味合いが強い。


 続いてチベット密教の修行の方法ないし段階は二つに区分されるのでそれを確認しておこう。すなわち生起次第と究竟次第である。平岡宏一著『秘密集会タントラ概論』(法蔵館)より18世紀の学僧であるヤンチェン・ガロの両者の定義は以下のものである。 
 



生起次第の定義は
 
観想の力で風(ルン)を中央脈管に入れ、留め、しみこませるということができたことにより生じたのではなく、〔あくまでも〕自らの果である究竟次第の相続を異熟させるものであって、生、死、中有のいずれかと行相が一致するものを、意識で新たに仮設してから観想する部類に属する喩伽、〔それが〕生起次第である。(P65)
 
 
究竟次第の定義は
 
観想の力で、風(ルン)を中央脈管に入れ、留め、しみ込ませるという三つのことをなしたことで生じた有学者の〔心〕想続の喩伽、〔それが〕が究竟次第である。(P89)
 
 
 簡単にいえば、人が悟りを開き仏陀になろうとする際に、死と中有と再生の意識過程を経て仏に生まれ変わる必要がある。究竟次第はその三つの意識状態を実際に現出させる為に、中央脈管に風を入れて、留め、染み込ませることで実行する方法であり、生起次第は、そうしたことを実際にしないで、イメージで仮設してシミュレーションとして体験し、あわよくばそのシミュレーションによって悟って、実際に死ぬ時にそれを実践しようというものである、生起次第には曼荼羅の瞑想なども含まれる。もう少し噛み砕いて、筆者の友人のE先生の得意な幽体離脱を例にとれば、一方で実際に幽体離脱する方法論をもって幽体離脱してしまうのが究竟次第的なものであり、他方で、起きている間に、イメージトレーニングで幽体離脱したと仮定して、色々飛び回っているのを想像しまくって、そのイメージトレーニングの余勢をかりて眠る寸前に実際に幽体離脱しようとするのが生起次第的なものである。しかしこれは単純にこれで全てというわけではないが、イメージ的にはこうした違いがある。当然、ナーローの六法は、中央脈管に直接働きかける究竟次第に分類される。

 続いてかかる究竟次第的な瞑想法のヴァリエーションが、杉本恒彦訳『八十四人の密教行者』に様々に載っているので、ナーローの六法を見ていく前にここら辺を整理しておきたい。



【アジョーキーの場合】
 
    彼はヘーヴァジュラで灌頂(アビシェーカ)を受け初歩の究竟次第を教示された。
 
上門の鼻の先端に白い芥子の実ほどの大きさのビンドゥを観想し、その中に三千世界を凝縮する観想をしなさい。(P123)
 
    これは『ジャーバーラ・ダルシャナ・ウパニシャッド』にほぼ同一技法の記載がある。 「鼻頭において、兎を持つもの(月)の影像としての中央のビンドゥに、第四の〔意識状態の〕として流れるアムリタを、両目により眺めて、固定させるのである」というのがそれである。  第5章参照のこと。


 
【アチンタの場合】
 
    財宝への欲望に苦しむ彼はサンヴァラで灌頂を受け、初歩的な究竟次第を授けられた。
 
欲望の心を捨て、自分の身体を天空の性質〔=空〕の中に置き、自分の心を(財宝の如き)星の輝き〔=ウーセル(かがやき)〕であると観想せよ。(P164)
 

 
【ナリナの場合】
 
   彼はグヒヤサマージャで灌頂を受けて、以下の教示を受けた。
  
頭のマハースカチャクラ(大楽輪)に白いハン字を思念し、臍のニルマーナチャクラにアン字を思念するべきである。アンの輝く光によってハンが滴る。わずかな喜び(歓喜)、喜びを離れた喜び(離歓喜)、より大きな喜び(最勝歓喜)、真理の喜び(倶生歓喜)を次々に生じれば、輪廻という過ち〔=分別〕から離れ、解脱の大楽を得るであろう。(P171)
 

 
【カンパリパの場合】
 
    鍛治屋のカンパリパは加持転移灌頂を受け、三本の脈管の教えを受けた。
 
あなたの身体の外にある鞴(ふいご)、木炭の火、そして鉄を打つことといったこのイメージを、身体の内で観想せよ。ララナー(ピンガラー)とラサナー(イダー)の二本の脈管を鞴とせよ。アヴァドゥーティー脈管を鉄床とせよ。心を鍛治とせよ。智慧の火を点火し、分別を木炭とせよ。三種の毒を鉄とせよ。…ララナーとラサナーは左右の鞴である。アヴァドゥーティーとしての鉄床で、心としての鍛治によって、分別としての木炭に、明晰な智である智慧の火を点火し、三種の毒なる煩悩としての鉄を打ち、清浄な法身としての結果をなせ。(P192-193)
 
 

【ジャーランダラの場合】
 
    彼はヘーヴァジュラで灌頂を受けて、ダーキニーより以下の究竟次第の教えを受けた。
 
身体の外と内にある三界の存在すべてを自分の身体と言葉と心の三つに集め、三つの分別を三本の脈管に集め、左右の二本の脈管を中央のアヴァドゥーティーに集め、そこの様々な記憶と明晰な智の分別を、頭頂のブラフマンの穴から上方へ出し、現象と空が無分別であると観想せよ。(P196)
 
 

【ラーフラの場合】
 
    年老いたラーフラは、ヨーガ行者に加持転移灌頂を受け、ビンドゥの教えを受けた。
 
あなたの頭の上にア字を観想し、そこから月輪が生じると観想し、その中に現象世界全体の分別が入ると観想せよ。…彼はその通りに観想した。どのようにかというと、知覚対象と知覚主体という二つの認識としての月全体が無二としてのラーフ(月食)によって侵食され、無二としての甘露がバター油のように頭頂のブラフマンの穴から体内に入り、その甘露が身体全体を満たしながら増大した、と観想したのである。(P199-200)
  
   これは白隠禅師の軟酥の法と同一技法である。
 


【チャルキの場合】
 
    いつも寝てばかりいて眠気の取れないチャルキは、マイトリーパにサンヴァラで灌頂を受け、初歩的な究竟次第の教えを受けた。
 
現象世界全体を自分の身体と言葉と心の三つに集め、ララナーとラサナーを中央のアヴァドゥーティーに入れ、身体とアヴァドゥーティーを海であると観想せよ。心をガチョウであると観想し、海の中をガチョウがさまようと観想するならば眠気はおさまるだろう。風をアヴァドゥーティーに入れれば、無分別がおのずから生じるだろう。(P224)
 
 

【サルヴァバクシャの場合】
 
    大食漢のサルバヴァクシャは空腹に悩み、サラハパから灌頂を受けこのように教わった。
 
空なる天空としての胃の中の、消化の火は世界を焼き尽くす刧火のようである。現象世界は食べ物や飲み物である。食べることによりすべてが尽きると観想せよ。(P292)
 
 

【サムダの場合】
 
    チャンダーラのサムダはアチンタから灌頂を受けこのように教えを受けた。
  
慈しみ(慈)とあわれみ(悲と)と喜び(喜)と執着なき心(捨)からなる四つのはかり知れない利他の心(四無量心)によって、八つの俗っぽさ(世間八法)の各項目を一体とし、中央〔=アヴァドゥーティー〕を通して楽の流れを滴らせ、四つのチャクラ(四輪)で四つの喜びを体験せよ。(P322)


 こうして究竟次第的な瞑想方法を並べるとほとんどナーローの六法のチャンダーリーの火の説明を省くことすらできそうな感じである。もうこれ見て分かるだろう感ありありである。しかし筆者はそれでもなお、お節介ながらナーローの六法を読者と共に詳しく見ていきたいと思うのであるが、今回も恐るべきナーローの六法洞窟に直接踏み込む一歩手前で、洞窟に入る為の装備品の配布、点検で終わってしまったようである。久立珍重。