杉原千畝。第二次世界大戦前夜、バルト三国の一つ、リトアニアの当時の首都・カウナス市にあった日本領事館で領事代理を務めた。
この杉原千畝は、当時ナチの圧迫から逃れようとしたユダヤ人約6000人の命を救った人として知られる。
リトアニアは14世紀以降、欧州各地を追われたユダヤ人を多く受け入れた国。しかしポーランド侵攻をはじめナチスドイツが欧州で勢力を拡大し、ユダヤ人への弾圧を強めると共に、多くの人がシベリア鉄道経由で米国に亡命を図ろうとした。
こうした人たちの窮状を知った杉原は日本の外務省の許可を得られぬまま、自らの判断で日本通過査証(ビザ)の発給を決めた。
旧ソ連とナチスドイツの密約でリトアニアのソ連併合が決まり、1940年8月に日本領事館が閉鎖されるまで、杉原は手書きでビザを発給し続けたという信念の人。
リトアニアと日本の絆を
のちにイスラエル政府から、杉原に『諸国民の中の正義の人賞』が贈られた(1985)。しかし、杉原自身は日本に帰国後、外務省の訓令を無視したということで退官に追い込まれており、厳しい状況を体験させられている。
リトアニアの当時の領事館は杉原記念館『スギハラ・ハウス』となっており、日本語で「希望の門・命のヴィザ」と刻まれた記念碑が建っている。
現地を最近訪ねた帝京大学教授でジャーナリストの長谷川洋三さんは、「リトアニアと日本は絆で結ばれています。東日本大震災の際には、日本に多くの支援物資を送っている。1990年の3月11日、旧ソ連から独立した後、ロシアにエネルギーを依存している現状を改めるため、日立製作所など日本の技術導入で原子炉建設を企画しています」と語る。
1人の信念が、国と国の絆を結び付ける原動力にもなる。