数日前のブログで書評を紹介させてもらった上記の本ですが、今私自身が経営者の端くれとして日々感じていたことが描かれていて私の中ではピカ一の経営本になりました。
一番“胸に落ちた”ところが、経営者の意思決定に関する行です。
『経営者に上がってくる案件というのは、科学的にとか経済合理的には判断できないものである。科学的、経済合理的に判断できる案件はミドルクラスでも決断できるものである。』
激しく同意します。正直な話、科学的・経済合理的に判断できる案件は平均的なその業界に関する事業知識とかごく一般的な財務経理知識があれば判断できるものです。例えば、5年回収を目指す案件ならば、当該事業が生み出すキャッシュフロー利益をシュミレーションしたりリスク計算をすれば簡単に意思決定ができるわけです。
しかしながら、経営者に上がってくる意思決定案件というものはそうは行かないのです。本当に若輩者経営者であっても、科学的かつ経済合理性だけで判断できる極言すれば簡単な案件ではなく“痺れる案件”に関しての意思決定が求められるわけです。これに投資することで関係会社の将来はどうなるだろう、仮説も立てにくい案件、人情的な部分が前提としてあるが未来にとっては意義深い案件などなど。
いくつかある経営者の仕事の中で、“意思決定をして、その結果責任もとる”というものが私の中であります。つまり、経営者は如何なる意思決定が必要な案件から逃げられないわけです。
冒頭画像の本の要旨でもあるのですが、“経営者の能力には、左脳的(科学的、ロジカル)なものと右脳的(アートに近い、感覚みたいなもの)なものに分かれていて、より右脳的なものが大切である”、
このアートな右脳的な能力が、科学的かつ経済合理性だけでは判断できない案件を意思決定するのにおいて重要なわけです。
この能力を磨くための
私の中での解は、
修羅場も含む多くの経験と基本理念を常に忘れないということ
かなあと現時点では思っております。
さて、
2009年1月28日水曜日。こんなもんかな数字。ガンバロウ。
一番“胸に落ちた”ところが、経営者の意思決定に関する行です。
『経営者に上がってくる案件というのは、科学的にとか経済合理的には判断できないものである。科学的、経済合理的に判断できる案件はミドルクラスでも決断できるものである。』
激しく同意します。正直な話、科学的・経済合理的に判断できる案件は平均的なその業界に関する事業知識とかごく一般的な財務経理知識があれば判断できるものです。例えば、5年回収を目指す案件ならば、当該事業が生み出すキャッシュフロー利益をシュミレーションしたりリスク計算をすれば簡単に意思決定ができるわけです。
しかしながら、経営者に上がってくる意思決定案件というものはそうは行かないのです。本当に若輩者経営者であっても、科学的かつ経済合理性だけで判断できる極言すれば簡単な案件ではなく“痺れる案件”に関しての意思決定が求められるわけです。これに投資することで関係会社の将来はどうなるだろう、仮説も立てにくい案件、人情的な部分が前提としてあるが未来にとっては意義深い案件などなど。
いくつかある経営者の仕事の中で、“意思決定をして、その結果責任もとる”というものが私の中であります。つまり、経営者は如何なる意思決定が必要な案件から逃げられないわけです。
冒頭画像の本の要旨でもあるのですが、“経営者の能力には、左脳的(科学的、ロジカル)なものと右脳的(アートに近い、感覚みたいなもの)なものに分かれていて、より右脳的なものが大切である”、
このアートな右脳的な能力が、科学的かつ経済合理性だけでは判断できない案件を意思決定するのにおいて重要なわけです。
この能力を磨くための
私の中での解は、
修羅場も含む多くの経験と基本理念を常に忘れないということ
かなあと現時点では思っております。
さて、
2009年1月28日水曜日。こんなもんかな数字。ガンバロウ。
