先日、小学校時代通っていた『スパルタ学習塾』の同期と飯喰いました。温水とは大学以外ほぼ一緒だな(笑)
この『スパルタ学習塾』は横浜の風俗街のど真ん中にあったという何ともナイスな立地でした。名前は、“K戸塾”です。今はもうありませんが、20何年前は横浜では非常に有名でした。ちなみにうちの姉貴も通っていました。
余談ですが横浜で有名な娼婦、化粧から何から何まで全身白ずくめのメリーさんも頻繁に“K戸塾”近くにいました。
この“K戸塾”思い出は強烈でした。なんというか大人の社会の縮図というか。
“K戸塾”は、代表以下家族経営で、代表の奥さんをおばちゃん先生と言ったりとか。
“K戸塾”は鉄拳制裁も辞さないスパルタで、普通の日は7時間近く、小学校が休み期間はそれこそ20時間近く勉強やらされます。そんなんなんで、そこそこの子ならばある程度の中学校に入れたりします。
“K戸塾”は大人になり考えるとかなり笑けることが多かったです。トータル良い塾なんですが、ご愛嬌。
例えば、
・席順とか待遇も含めて成績の序列が全面に押し出しされる。
・先生も含めて成績の悪い子を軽蔑する文化が露骨。・親が金持ちだと結構態度が変わる。
・生徒が机に向かっている時、先生が旨そうならあめんを露骨に喰う。
・生徒から徴収するコピー代金が異常に高い。
・“指定”の文房具店が出張してくる。
・“洗脳”される母親が多い。他人の子をひっぱだくとか。
“K戸塾”にいるとトップクラスは、N能研とかY家大塚の大手の全国模試でもトップを飾り、有名中学校に鉄板で入ります。
手前味噌な話ですが、私は私の学年トップつまり“K戸塾”のエースでした。
なので、N能研の2万人くらい受ける全国模試で総合90位(算数7位社会1位)だったりとか他の学習塾の全国模試では何回か全国1位も取りました。
そんなんですから、ほとんどの有名中学校の合否判定はA判定でほぼ受かりますという状態でした。
私の第一希望は、神奈川県のE光学園。
“当然受かる”と思って挑みましたが、
落ちました。
それどころか、第二・第三希望も落ち、当時E光学園とかK成・A布・M蔵の東京御三家の滑り止め学校の位置付けの桐蔭学園とA野しか受かりませんでした。
今となれば、
「本番あがってしまい」
というギャグにしてますが、12歳当時はプライドずたずたで相当落ちました。2日間くらい泣きまくり部屋から出れなかったのを今でも鮮明に覚えています。
親には「俺、私立じゃなく公立行く」とかのたまっていましたが、救ってくれたのが今は亡き親戚の温水寿浩(冒頭写真向かって右)パパであるY秀おじさんの「合格おめでとう。よかったなあ、俺の後輩になるなあ」と直接の言葉でした。
ラグビーと出会い、一生の友人ができた桐蔭学園に行けて心から良かったと思います。
で“K戸塾”の話に戻ります。中学受験が終わり、毎年合格者を祝う豪華祝賀会をホテルで行っていました。
が我々の代は、分かりやすいというかその祝賀会は開かれませんでした。
理由は、エースの私とナンバー2のH山(冒頭写真向かって左)が失敗したからです。
今思うと、“K戸塾”のそういった“分かりやすい”ところが笑えます(o^-^o)
さて、
2008年7月22日火曜日、まあ前日よりは粘りがあった最新営業結果。本日火曜日、連休あけかつ本業はサミット入替自粛終了。ガンバロウ。
この『スパルタ学習塾』は横浜の風俗街のど真ん中にあったという何ともナイスな立地でした。名前は、“K戸塾”です。今はもうありませんが、20何年前は横浜では非常に有名でした。ちなみにうちの姉貴も通っていました。
余談ですが横浜で有名な娼婦、化粧から何から何まで全身白ずくめのメリーさんも頻繁に“K戸塾”近くにいました。
この“K戸塾”思い出は強烈でした。なんというか大人の社会の縮図というか。
“K戸塾”は、代表以下家族経営で、代表の奥さんをおばちゃん先生と言ったりとか。
“K戸塾”は鉄拳制裁も辞さないスパルタで、普通の日は7時間近く、小学校が休み期間はそれこそ20時間近く勉強やらされます。そんなんなんで、そこそこの子ならばある程度の中学校に入れたりします。
“K戸塾”は大人になり考えるとかなり笑けることが多かったです。トータル良い塾なんですが、ご愛嬌。
例えば、
・席順とか待遇も含めて成績の序列が全面に押し出しされる。
・先生も含めて成績の悪い子を軽蔑する文化が露骨。・親が金持ちだと結構態度が変わる。
・生徒が机に向かっている時、先生が旨そうならあめんを露骨に喰う。
・生徒から徴収するコピー代金が異常に高い。
・“指定”の文房具店が出張してくる。
・“洗脳”される母親が多い。他人の子をひっぱだくとか。
“K戸塾”にいるとトップクラスは、N能研とかY家大塚の大手の全国模試でもトップを飾り、有名中学校に鉄板で入ります。
手前味噌な話ですが、私は私の学年トップつまり“K戸塾”のエースでした。
なので、N能研の2万人くらい受ける全国模試で総合90位(算数7位社会1位)だったりとか他の学習塾の全国模試では何回か全国1位も取りました。
そんなんですから、ほとんどの有名中学校の合否判定はA判定でほぼ受かりますという状態でした。
私の第一希望は、神奈川県のE光学園。
“当然受かる”と思って挑みましたが、
落ちました。
それどころか、第二・第三希望も落ち、当時E光学園とかK成・A布・M蔵の東京御三家の滑り止め学校の位置付けの桐蔭学園とA野しか受かりませんでした。
今となれば、
「本番あがってしまい」
というギャグにしてますが、12歳当時はプライドずたずたで相当落ちました。2日間くらい泣きまくり部屋から出れなかったのを今でも鮮明に覚えています。
親には「俺、私立じゃなく公立行く」とかのたまっていましたが、救ってくれたのが今は亡き親戚の温水寿浩(冒頭写真向かって右)パパであるY秀おじさんの「合格おめでとう。よかったなあ、俺の後輩になるなあ」と直接の言葉でした。
ラグビーと出会い、一生の友人ができた桐蔭学園に行けて心から良かったと思います。
で“K戸塾”の話に戻ります。中学受験が終わり、毎年合格者を祝う豪華祝賀会をホテルで行っていました。
が我々の代は、分かりやすいというかその祝賀会は開かれませんでした。
理由は、エースの私とナンバー2のH山(冒頭写真向かって左)が失敗したからです。
今思うと、“K戸塾”のそういった“分かりやすい”ところが笑えます(o^-^o)
さて、
2008年7月22日火曜日、まあ前日よりは粘りがあった最新営業結果。本日火曜日、連休あけかつ本業はサミット入替自粛終了。ガンバロウ。
