義家に連れて行った時は抱っこもせずに、出かけて行った義母が、自分が私の息子を抱っこして連れていたいと言い出した。親戚の前で良いおばあちゃんを見せつけたかったのか。私はその手から、義弟に渡らないか不安でじっと常に目で追っていた。義弟は数週間前にドラッグやって変な幻覚を見て、施設まで入ったのが応えたのか衰弱というか、終始元気のない様子だった。

 

一度、義母が芝生に敷物を敷いて、私の息子をその上に置いた時に、側に義弟がいたので、私の中で警戒レベルが引きあがり、すぐに急行し、私がそれからずっと息子を自分の側においた。

 

そのお城の所有者の旦那さんがかなりのイケメンな上に、優秀らしくフランスの大手製薬会社の役員勤めで、何年かシンガポールに住んでいたので、子供たちが3人英語ができると言い、子供たちが話しかけてきたが、上の女の子2人は、共通の話が生み出せず、英会話教室の会話のようで全く会話が弾まなかった。最初はすごくシャイで全く話したがらなかった一番下のたぶん7~8歳くらいの長男との会話が私は楽しくて私はずっと8歳の子と話が止まらなかった。なんせ、フランス語ができない私は普段夫以外誰とも話せてなくて、久々に人間と話せると言うのが、もう楽しくてしかたなかった。でも7~8歳の子がこんな年上のおばさん相手に話せるって、すごいコミュニケーション能力だと思いませんか?上二人のお姉ちゃんらはシンガポールなんてもう行きたくない、フランスの方がずっと良いと言っていたのに、私がアジア人だからか本心なのかは不明だけど、アジアが楽しかった。アジア料理が好きだとか僕はシンガポールに住んでいたかったとか言い、シンガポールやインドネシアに旅行に行った話をたくさんしてくれたり、自分が3か国語(フランス語、英語、中国語)ができるから、私の息子をどう育てたらバイリンガルになるかなど、ママ友との会話のように話したり、とにかく私の小学生低学年時とはかなり違う、会話力のある大人びた男の子でこの子はすごい子になるぞと一人興奮した。

 

子ブタの丸焼きができあがる頃、夕食になり、隣に座ったのはお城の所有者の奥さんの妹(義父の姉の娘)だった。オペラ歌手の彼女は、妊婦だった。彼女の夫も音楽家だった。その半年くらい前に銀座であった警察音楽隊パレードに旦那さんは行ってきて、子供にポケモンカードを買ってきたと言っていた。2人とも少し英語が話せたから、また会おうと言う話になった。

 

昼間の町の散策しながらのクイズというアイデアにもびっくりした私だったが、食事中も楽しめるアイデアが満載で、家族の仲の良さを感じた。その場にいれたことを楽しみながら、ふと、夫の家族がこういう人じゃなかったんだろうかと落胆している時、夫が「僕もこうやって親戚呼んでやりたいな。息子の洗礼式をやりたい」と言った。

 

私はクリスチャンではないし、日本によくいる無宗教の困った時だけ神頼みの人間だけど、あんな素敵な一日が過ごせるなら、良いねとも一瞬思ったが、ちょっと待って。ゴッドファーザーやゴッドマザーがいないじゃない。普通ならフランスにいるから夫の弟のどちらかになるのが普通かもしれないが、あのどちらかがなっても、心配過ぎて私は死んでも死にきれない。という話になり、もう産まれて2年も経っているが、洗礼式をやる見通しは全くたっていない。きっと一生やれないだろう。