お久しぶりです。今日から7月。また随分とUPが開いてしまいました。

更新されない・・という事は大きなトラブルに見舞われていないと同義で

その後定期のオイル交換を終えてテンションロッドのブッシュも

まだいけるとの事なので特段の報告はありません。

 

それにしても今年は梅雨が短く、戻り梅雨でもなければ、

かなり厳しい暑さと水問題にも悩まされそうですね。

 

夏場はコンディション維持も兼ねて週1くらいは出来るだけ

涼しいタイミングで走りに連れ出す様にはしています。

 

今日はせっかく覗きに来て頂いたので久々にこのステルビオに関する

製作背景的な小話を少し、辛口 (笑) を交えながらしてみようと思います。

 

振り返れば「ヤフー」でこのブログを立ち上げてから16年程が経過しました。

ヤフーの頃は別のオーナーさん等からも書き込みがあって、

パーツの件や貴重な流用情報等も書いて頂いたりしましたが、

閉鎖後こちらのアメブロに越した際、折角のその貴重なやり取りも

一緒に消えてなくなったのは残念です。

 

当時は私も都心の生活で気ままにいろんなクルマを所有し、

ブログのネタには困りませんでしたが、中でも「ステルビオ」は特別であり、

過去に一度

「 AUTECH ZAGATO Stelvio の真実」というタイトルで

長文をUPしていますが、今回はその補足的なものです。

大きな骨格はそちらを読んで頂ければ。重複する内容も多くありますけど・・

( https://ameblo.jp/zagato0077/entry-12540997101.html )

 

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ステルビオについて語るとき、過去に存在した自動車メーカー

「プリンス自動車工業」と日産自動車との合併、その「プリンスの

技術者」たちと故人「櫻井真一郎」さんがキーとなります。

 

そもそもプリンス自動車と日産が合併する際、大手の日産に

技術力で定評あるプリンス自動車が吸収されたような実情で、

「スカイライン」も元はプリンスの車だったのは有名な話ですが、

吸収合併後の日産内では日産系と元プリンス系の派閥や学閥が生じており、

合併後もスカイラインの開発などであれだけ貢献した櫻井さんでさえ

日産系圧力による昇進の影響があったとの噂もありました。

 

そんな折31スカイライン、MID4の開発途中で病に倒れた後、

当時日産社長となっていた「久米豊」さんの計らい、これ迄の櫻井さんの貢献・

バブル経済の後押しもあり今後はより走りや趣味性にも特化したクルマ造りが望まれる・・

という期待から技術屋でもある櫻井さんを初代社長に迎え、

より玄人向けのクルマ造りが可能な別会社が設立されました。

それが新会社「オーテックジャパン」1986年の設立スタートとなります。

 

おそらく櫻井さんにとっても元のプリンス時代の様にあまり大所帯ではない方が

クルマの開発環境として自由が効いたのではないでしょうか?

その櫻井さんを筆頭に日産社内で募集をかけた所、元プリンス系技術者の多くが

オーテックに移籍しています。

 

オーテックは特装車や日産のレース活動の支援などを担当しながら、

創業当初は台数限定のかなりマニアックなクルマを制作販売していて、

昔私も所有していた「R31スカイラインGTSオーテックVer.」は今思い出しても

スパルタンな楽しいクルマでした。(いつか機会があれば書き込みます)

そしていよいよ大本命こけら落とし?の「ステルビオ」誕生となるのです。

 

ステルビオの車両開発を紐解く時「プリンスR380」や「初代スカイラインGT-R」、

そして「日産MID4」は外せないと思います。

ここに挙げたクルマ達はステルビオと同じくプリンス自動車時代に

モータースポーツ界で大活躍した櫻井真一郎さんを筆頭に開発やテスト熟成などを

「プリンス7人の侍」の一人だった「小平勝」さんが担当されています。

(どうやら小平さんの実力を知っていた櫻井さんがご指名で呼んだ様です)

 

R380やハコスカGT-Rの頃からターゲットは常に「ポルシェ」であり、

これは私の個人的な想像ですが、この「ステルビオ」のエンジン出力も結果的に

同時代の「ポルシェ930ターボ」と同等以上となっています。

 

過去のブログにも書きましたが当時の私はステルビオの他に

平成元年式の32GT-Rと1988年製の930ターボを3台同時に所有していた時期があって、

その930ターボは最後の4速ミッション、300馬力の出力にトルクは40Kg、

ステルビオが1989年の発表で実測で330馬力にトルク41Kg!

これは偶然の近似値なのでしょうか?(笑)

(ステルビオのカタログ数値は当時お役所対策で実馬力よりかなり低く280馬力とされます)

 

世間では今も雑誌やインターネットの情報などが鵜呑みにされ、

中身はF31レパードだとかライトチューニングカーなどとウソばかりですが

そういう書き込みを見る度に全く日本のクルマ文化の浅さにガックリします。

 

ステルビオは日本の自動車メーカーが初めて吊るし(無改造)のまま、

標準メーター260キロを刻んでいるクルマです。

それが意味するもの、モータースポーツで活躍していたレーシングカー

R380やハコスカGT-Rレースカー、MID4などを手掛けてきた

櫻井さんを始めとする元プリンスの開発陣がその辺の速度域でも自信を持って

安全にドライブ出来るクルマに仕立て上げユーザーに提供したという事です。

 

注目されたMID4が発売目前でお蔵入りになった時の櫻井さん・小平さんをはじめ

開発陣の無念な気持ちがオーテックに移って形を変えてステルビオの製作に

注がれた事は想像に容易いでしょう。

 

ボディ剛性も私の実体験から930ターボはもう別格で大げさに言えば金庫の様な

ガッチリした感じでしたが、このステルビオも当時の国産車とは比較にならない

しっかりした乗り心地です。ドアやガラスの厚みからして違います。

一方世間では神格化ぎみの32GT-Rですらステルビオと乗り比べればその差は歴然で

GT-Rとは言えやはり当時の国産車レベルの剛性の域は出ていませんでした。

エアクリ、フロントパイプからマフラーと吸排気系のみ手を加えた所で

結局その程度のライトチューンでは私には刺激も足りず2年程で手放しました。

930ターボやステルビオと比べ私にはトルクの出方がマイルドに感じてしまい、

個人的には安定しきった四駆の感覚がどうしても馴染めませんでした。

 

さてステルビオに関しては今でも価格が高すぎたとの指摘がされています。

実はZAGATO側への払いを差し引いてもこの性能とチューニング内容を考えれば

むしろ利益は薄かったのでは・・と懸念される程のスペシャルだったのです。

仮に100台少々の生産車にレースカー同様ゼロベースから設計し製作したとすれば

億単位のコストがかかるのは明らかでしょう。

 

それでも既存の日産車輌を上手く利用し、様々な車種から使える部品を集め、

流用出来るものは使用し、走りのキモとなる箇所は改造・変更を加えるため

各サプライヤーに新規発注で製作させて組み上げた結果、

当時の世界のスーパースポーツと肩を並べる性能に仕立て上げる。

こうやって製作されたのがステルビオなのです。

 

基本はレパードのものを使用してはいますが運動性能向上のため

相応に補強、長さを短く切り詰め車幅は広げたりと細かく仕立て直されています。

本来ZAGATOと各自動車メーカーとのコラボとはその様な形が本流です。

 

性能面のチューニングでは例えば西欧のRUFというメーカーを

ご存じなければ調べてみて下さい。

ポルシェベースなので見た目はさておきその考え方や

製作手法は似通っていると思いますので。

 

また私が耳にした関係筋の話では開発時の性能比較車として

現場にはフェラーリテスタロッサが持ち込まれていたらしいです。

(ここはポルシェではなく(・・おそらくイタリア繋がりでしょうか)

販売価格からして開発陣の性能面でのターゲットはその辺りを見ていたのでしょう。

 

さて巷では製造から30年以上が経過した現在でもあいも変わらず

「レパードなのに◯◯万円!」とか

「32GT-Rの3倍以上の価格だった!」とか

一応業界のプロの記者ならもう少し突っ込んだ内容で

そろそろ金額面ばかりで釣るのではなく相応しい性能と手の掛かった

稀なクルマ・・という本質で記事にしなよと私は言いたい。

(↑今日は辛口キツかったかネ)

 

さて、こんな程度の自動車文化の我が国をすっ飛ばし、

今やこのステルビオも多くが海外に持っていかれた様子です。

元々の生産数が100台にも満たないのでこの流れが続くと

国内の個体は今後もさらに数が減ってしまうでしょう。

年式的にも今や維持こそ大変になりましたが、きちんと手を入れて

ハンドルを握ると唯一無二のクルマということは間違いありません。

 

まあしかしGT-Rの様に海外や北米映画(ワイスピ)とかで注目されるより、

このまま存在をさほど知られず、真の走りは知る人のみが知っているクルマとして

いつか来るであろうガソリン車の終焉までただコイツと楽しみながら

最後まで一緒に走れたらと私としては願って止みません。

 

終わりに2011年鬼籍に入られた櫻井さんが生前所有されていたクルマが

このステルビオの黒ともう一台、オーテック時代に製作された

31セフィーロオーテックVer.だったと聞いています。

クルマ造りに真面目な櫻井さんと技術陣が造られたこのクルマを

これからも味わいながら乗り続けていきたいと思います。

後年S&SにR380の復刻車があった時、

見学に伺わせて頂いたのが良い思い出です。

 

長文になりましたがお付き合い有難うございました。

途中辛口な表現で見苦しい?箇所がありました事お詫びします。

 

酷暑の中、皆様お身体ご自愛下さいませ。