今日は私の持論ね
そんで持って不幸になるってのはもちろん確定じゃないから早速訂正しておきますね。
で今日のお話は
何に対しても意味を探したり
意味付けをしようとする人はそれがかえってトラブルになることも多いよって話です。
もう少し具体的に話しますね。
意味付けをする人
意味探しをする人
はこんな感じ↓
・なんでこの人と出会えたんだろう?
・なんで私は生きているんだろう?
・私が生まれた意味ってなんだろう?
・最近3という数字をよく見かけるけどなんの意味があるんだろう?
・今大変なのは何か意味がある
・この仕事を続けていたのは意味があったんだ
などなど。
あなたの周りにもいませんか?
この意味付けしたがる心理は現実逃避や自己防衛など色々ありますが
まあ端的にいうと
こういう方達は現実的な因果関係を見極めるのがとても苦手です。
・あんなに優しかった人がなんで病気になるの?何か意味があったのかも?
⇨単に食生活が乱れてただけ、遺伝的に病気になりやすかっただけ。
・あんなに嫌な人なのにお金を稼いでるなんて前世で何かいいことしてたのかも?毎日先祖供養とか神社にお参りに行ってるのかな?
⇨金を稼ぐのにいい人かは関係ない。金を稼ぐためのシステムを構築したから稼いだだけ。
・今日母の夢を見たから母に何か不慮のことがあるのかも?
⇨夢はそもそもたくさん見てるけど覚えてないだけ。
・最近「白いもの」が目に入るけどどんなメッセージがあるんだろう?
⇨一回気になったから他のより白を気にするようになっただけ。
まぁ他にもいろんな例はありますけどね。
ちょっとスピってる人に多いとは言えますね。
さてここからが本題で、
別に意味付けするのも意味探しをするのも誰に迷惑かけてるわけじゃないしいいじゃないですか?
問題は自分がそれによって不幸になったり苦しい思いをするのを防ぎたいよねって話です。
でなんで「意味付け」「意味探し」が不幸につながるかというと
・楽しみにしてた集まりの時に私が病気になっていけなかった。日頃の行いが悪かったから?
・なんで私だけ病気になるの?いつもみんなの気を使って生きてきたのに。
・せっかくのお出かけの日に雨が降ってしまった。あの人に冷たくしてしまったからバチが当たった。
・今日はとても不安でドキドキする。そういえばいつも通りかかる神社の前で頭下げるのを忘れてしまったかも。
などなど日常のなんでもないこと、
雨が降っただけで自分に意味を探したり無茶な因果関係を探す癖に繋がります。
普段から意味探しをしてしまう習慣は実は多くは自分の不幸の意味探しをすることにつながってしまうのです。
そんな都合よく良いことにばかり意味探しできるわけないですよね?
人って残念だけど可哀想なこととか不幸なことにばかりエネルギーさいちゃうんですよ。
だから意味探し習慣がついてたら多分ほとんどの時間を、本当は何の因果もない不安の理由を探すことに繋がるから
まぁ辞めた方がいいよねって話。
信じるものは救われる
って言葉はちゃんとやるべきことをやった人が言うべきであって
こういう当たり前の因果がわからないで使う
信じるものは救われる
は不幸に繋がる言葉だと私は思ってます