カシン(50代)です。これは、アタシが思っていることを書くブログです。

日曜日にアタシは意味不明な記事を書きました。

意味不明ですが、Google への不満は本当で。ちょっとその補足説明です。

デジタルデータを整理するとき、アタシは
  • フォルダ階層のどこかにある
という性質を基本に利用しています。

説明のために簡単にすると。例えば、まず「仕事」「プライベート」で分けて。仕事に関するデータなら「仕事」以下の階層に。私的なデータなら「プライベート」以下の階層に。と、なります。

この方式では、個々のデータすべてについて、それがどこにあるかを覚えておく必要はありません。覚えておくのは、どのような階層構造を作ったか、です。

実は、どのような階層を作ったかも覚えておく必要はなくて、「自分だったらどんな風に分類するだろうか」を知っていれば、どのような階層を作ったかは再現できます。

何かを探すには、「だいたいあの辺りにあるはずだ」というところをしらみ潰しに探すと、見つかります。「しらみ潰し」と言っても、範囲はだいぶ限定されます。

この「自分なりの分類」は、自分が世の中をどう解釈しているか、自分の「世界のモデル」です。実はそれこそが「生きるために大切なこと」でもあるのでした。

個々の事物について、他人の決めた「客観的」キーワードを覚えておく必要のある、キーワード一発検索とは、似て非なるものです。

ヒトには収集癖と分類癖があって。それが文明の基盤なんだろうとアタシは思います。分類癖は鈍ることがあって。そこが博物館とゴミ屋敷の境界線になるんでしょう。

今回、主張したいのは、ここまでです。まとめると。
  • 人はそれぞれに世界のモデルを持ち、それに沿った分類整理をすることで、自身の持つデータを探せるように管理可能
  • それは、覚えることを減らすにも有効 (脳は覚えるより考えるに使う)
  • 世界のモデルを持つことは、生きることであり、考えることであり、人類文明の基盤
ひとりの人間が持つ世界のモデルは、1 つではありません。「違う見方」も必要です。それについてコンピュータ上のデータの整理で対応する概念は「リンク」(ショートカット、ブックマーク) なんだろうと思います。といったことは、またいつか別記事で。
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お読みいただきありがとうございました。