富雄丸山古墳 | Z ライフ

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こんばんは


つい最近のニュースで紹介されていた奈良の富雄丸山古墳に行って来ました。


ここみたいです。


行列が出来てます。

大勢の人が来られてるみたいですね。

先に受付をします。

グランドに受付テントがありました。

はじめに
富雄丸山古墳は古墳時代前期後半(4世紀後半ごろ)に造られた直径109mの造出し(つくりだし)付円墳(日本最大の円墳)で、2018年度より奈良市教育委員会が発掘調査をしています。墳頂部に埋葬施設があることはわかっていましたが、2022年度の第6次調查で造出しにも埋葬施設があることがわかりました。
埋葬施設は木棺(もっかん)を粘土で覆う粘土槨(ねんどかく)という種類で、被覆粘土の中から古代東アジア世界において最長の剣となる長さ 237cmの蛇行剣(だこうけん)と、類例のない龍龍文盾形銅鏡(だりゅうもんたてがたどうぎょう)が出土しました。


テントの中で発見された実物大の蛇行剣等の写真がありました。
蛇行剣は、奈良市教育委員会が実施した第6次調査(2022年度)で造出し(つくりだし)の粘土槨から出土しました。 鉄製で鉄身部分だけでも長さ 237cm、幅6cmあります。屈曲点は6つあり鍛造でつくられたものです。
白木の鞘(さや)におさめられ、把(つか)や鞘尻には漆が塗られていました。
鉄剣としては東アジア最長であり、わが国におけ る極めて重要な考古資料です。

蛇行剣の写真
ここで質問しました。
蛇行剣は元々真っ直ぐに作られたものが土の中で曲がったのですか。
いいえ、最初から曲げて作られました。同じ様なものが他でも発見されています。とのことです。

鼉龍文盾形銅鏡(だりゅうもんたてがたどうきょう)は、蛇行剣の下部から重なるよう にして出土しました。
青銅製で長さ64cm、最大幅31cmの盾形をしてい ます。鏡面はていねいに磨かれており、鏡背面には縁取りに沿って鋸歯文(きょしもん)、上下に麗龍文が施されています。
同様の出土品はなく、比類のない考古資料として 蛇行剣とともに重要なものです。

盾形銅鏡X線写真

富雄丸山古墳
富雄丸山古墳は、奈良市西部の丸山第1号緑地内にあります。宅地開発で周辺地形は大きく変わりましたが、富雄 丸山2・3号墳とともに保存されています。

明治時代に石製品を中心とした多くの副葬品が出土し、国の重要文化財に指定されています。また、三角縁神獣鏡3面もこの古墳から出土したと伝えられ、墳丘には埴輪(はにわ)が確認できます。築造時期は、4世紀後半(古墳時代前期後半)と推定されています。

昭和47年に墳丘の測量調査と墳頂部埋葬施設(粘土槨)の発掘調査が奈良県立橿原考古学研究所によって行われ、「直径86mの円墳」と報告されました。その後、昭和57年に墳丘の一部が追加調査されて、「北東側に造り出しが取り付く直径102m前後の円墳」となる可能性が指摘された ものの、その詳細は不明のままでした。

平成29年に奈良市教育委員会が行った航空レーザによる古墳の3次元測量調査によって、直径110m前後に復元できる3段築成の円墳であることが判明しました。この規模は、埼玉県の丸墓山古墳(直径105m)を上回り、国内最大の円墳となります。

発掘現場までやって来ました。

発掘現場は屋根で保護されています。

中に入りました。

木棺 木をくりぬいて作られたものです。

今回発見された青銅鏡

水銀朱 赤が神聖視されていた時代で遺骸を赤く染めていたか、頭部周辺に赤く染めたものを置いていた可能性があります。

 




発掘調査成果

粘土槨の調査 
木棺を粘土で覆って保護するための粘土槨は、木棺の両端を粘土で固めてから、木棺の側面へ粘土を順に重ねるようにつくられていました。
南西側側面では拳大の小さな粘土を積み重ねてつくっていたのに対し、北東側面では30~40cm大の塊状の粘土を2~3段積んだのち、その表面を薄い粘土で覆ってから棒状工具で押圧して仕上げるという異なった工程でつくられていました。また、粘土槨がある程度できあがってから北西側端部に粘土の塊を積み足していることが分かりました。これまで不明だった粘土槨の具体的な構築方法を初めて解明しました。

木棺の調査 
粘土槨の中には、コウヤマキを加工した割竹形木棺が収められていました。木棺の長さは5.6m、幅は64~70cm、厚みは約5cmで、幅の広い北西側が20cmほど高くなるよう傾斜して置かれています。木棺はコウヤマキの幹を半裁したのち内部をくり抜き、下半分を身、上半分を蓋としています。蓋の端部には長さ11cmの縄掛突起があるほか、木棺の両端を区切る小口板、棺内の空間を仕切る仕切板が立てられた状態で残っていました。小口板は、小口粘土と呼ばれる大きな塊状の粘土を押し当てることで保持されています。2枚の仕切板はいずれもスギを加工したもので、棺内を中央の主室(長さ2.4m)、頭側の副室1(長さ1.3m)、足側の副室2(長さ1.3m)に3分割しています。被葬者は頭を北西方向に向けて主室に埋葬されたようです。腐食により土中で消失してしまうことの多い木棺の構造を明らかにするうえで、極めて重要な実物資料となりました。

副葬品の調査 
木棺中央の主室では、被葬者の頭があったと想定される位置を中心に真っ赤な水銀朱を検出しました。水銀朱が一番濃い部分は、人骨に由来すると考えられる元素のリンを多く含んでおり、人体理葬の証拠となります。副葬品は足側で竪櫛(たてぐし)が9点出土しました。竪櫛は漆塗りの竹製で、髪飾りとしての機能のほかに葬送儀礼における重要なアイテムとして使用されたようです。主室では他に副葬品を確認できず、同時期のほかの古墳と比べて副葬品が少ないことが特徴です。副室2には、小口板のそばに青銅鏡が3枚重ねて置かれていました。すべて鏡面を上に向けて置かれており、鏡背面の文様が確認できていないため、今のところ鏡の種類は不明です。上から2枚目の鏡の一部には水銀朱が付着しています。いずれも土の重みでひび割れているものの、錆は少なく、良好な状態で残っています。

発掘現場から出て、丸山古墳の頂上へ行きます。

丸山古墳の頂上へ来ました。

現在は埋め戻されてますが、ここが最初に発掘調査が行われたところです。

発掘調査が行われたときの写真です。



令和4年に発見された蛇行剣はもうすぐ見ることが出来ます。

特別公開
「富雄丸山古墳の蛇行剣 クリーニング作業が明らかにした巨大鉄剣のすがたー」
会期 令和6年3月30日(土)~4月7日(日)
※4月1日(月)は休館日
会場 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館 特別展示室

概要 令和4年度の発掘調査で富雄丸山古墳から出土した蛇行剣について、保存の ための応急的な保存科学的処置(クリーニング)が終了しましたので公開します。

 



富雄丸山古墳はこの辺で、


ではでは