こんばんは!
前回の続きで、大阪泉南市の信達宿を散策中です。

この道 紀州街道は、古くは熊野街道とも呼ばれ、信達宿はおよそ900年前頃より、熊野詣で賑わっていました。特に市場村は、白河上皇 (1053年~1129年)以後、歴代上皇の宿舎が置かれたところから、 信達荘御所村とも呼ばれていました。後鳥羽上皇が熊野詣をされた、建仁元(1201)年10月、お供の歌人、藤原定家の日記「後鳥羽院熊野行幸記」にも、往きの7日、帰りの24日、信達宿に宿泊したという一文があります。

中に入りました。


ボランティアの方が丁寧に説明してくれます。

小田海僊(おだかいせん)筆
青緑山水
江戸時代後期の日本の南画家

頼山陽(らいさんよう)筆
山陽外史(さんやうがいし)(歴史書のことです)
江戸時代後期

狩野派を代表する絵師、狩野探幽(かのうたんゆう)の作品



勝海舟(かつかいしゅう)筆
文久3(1863)年4月、幕府の軍艦奉行であった勝が紀州加太の砲台の検分のため紀州を訪れた際、宿泊したと考えられます。


宿札
宿札は、泊まる側が書いて本陣に持参したもので、左は、松平主税頭休「まつだいら、ちからのかみやすむ」と書かれてあり、八代将軍、徳川吉宗の、紀州藩時代の元禄12(1699)年3月、14歳の時のものです。右は、堀田加賀守宿「ほったかがのかみ、やど」と書かれてあり、三代将軍徳川家光の老中、堀田加賀守正盛のものです。




駕籠(かご)

宿割帳
宿役は市場、大苗代、牧野村の三か村で、約90軒それでも足りない時は、岡田、北野、中小路村で、20数軒を確保していたようです。
大名行列は、一日約10里(40km)程を、歩いたと言われています。大坂、江戸間は約130里ですから、13日、紀州公(吉宗)は大坂まで、20里ありますから、15日で江戸まで行っていました。

屋号と間取り、泊まる侍の名前が書かれています。

現在のふじまつりの会場、梶本家もあります。

中央が今いる、信達宿本陣です。



トイレ


庭に来ました。礎石を探しましょう。

一つ目はすぐに見つけました。

二つ目はこれでしょう。礎石なので、綺麗な○に加工されてますね。

歴史的価値のあるものがたくさんあって、間近で観れたので良かったですよ!





