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Z ライフ

Z32を長年乗り続けています。
Zに関する情報を載せていきます。

こんばんは


青春18切符の旅の続きです。

双柿舎を出て、熱海海岸の方へ行きました。

時刻は午後4時をまわってます。

起雲閣

大正から昭和にかけて3人の富豪とともに歴史を歩んで来ました。個人所有の別荘から、旅館を経て現在に至ります。

ここは以前訪問したので、今回は素通りします。


熱海山口美術館



岡本太郎氏の展示があるようですが、閉館時間が迫っていますので今回はやめにします。

海岸まで来ました。

熱海城







沖に見えてるのは初島です。

お宮の松

お宮の松は、尾崎紅葉の小説「金色夜叉」に由来し、命名されたものです。この松は、江戸時代前期(1645年頃)、智恵伊豆と呼ばれた老中松平伊豆守信綱が伊豆を巡視した際に植えさせた松の一本といわれています。この松は、その姿が美しかったことから、「羽衣の松」とも呼ばれていた。

明治30(1895)年から読売新聞に連載された「金色夜叉」により、熱海海岸の場が登場したことから人気を集め、また、演歌師のつくった「金色夜叉の歌」が流行し、熱海温泉の名は一躍脚光を浴び、天下の熱海温泉を不動としたものである。このことから、大正8(1919)年熱海に別荘を持っていた「煙草王」村井吉兵衛や土地の有志によって、横磯に「金色夜叉」の碑が建立されました。


金色夜叉の碑
明治の文豪 尾崎紅葉 の傑作「金色夜叉」にちなんで建てたものです。

この碑には、紅葉の門人であった小栗風葉の句「宮に似たうしろ姿や春の月」が刻まれ、羽衣の松のかたわらに建てられたことから、いつしか「お宮の松」と呼ばれ、熱海の新しい名所となりました。また、この碑も女性的な感じから川端康成は、「石そのものも可憐な女の後姿に似た記念碑」と認めている。


初代お宮の松

貫一お宮の像



金色夜叉といえば思い出すのが「熱海海岸の場面」間貫一がお宮を足蹴にして立ち去るシーンです。
像の制作当初「女性蔑視」の講義があったと言われています。しかし、原作を曲げるわけにもいかず、お宮の乱れた裾はやめ、表情も和らげた作品となりました。
又、貫一の履いている下駄は舞台などの演出で、原作は靴を履いています。

尾崎紅葉(1867~1903)

森鴎外などと並び明治を代表する文豪。
胃がんの為35歳の若さで惜しまれつつ世を去ったが、晩年読売新聞紙上に連載した恋愛小説「金色夜又」が日本全国の読者の熱狂的支持を得て、その舞台となった熱海海岸は一躍全国に知れわたりました。


熱海の海岸はこの辺で、


ではでは