A町保育所について話題になった賠償金15億円について述べておく。

 

 遺族会は、真相究明に対する市の姿勢を評価し賠償金を全額放棄する旨を市に伝えていた。ただし、Q市長と議会(市政刷新ネットワークの二人を除く)とはその申し出に感謝しつつ、そういうわけにもいかないだろうと考えた。

 

 Q市長は国と合併する隣市との話し合いの中で難しい調整を行った。

 そして5億円を賠償金として支払うことになった。

 遺族会は、その5億円を個人としては受け取らず合併した市に寄付すると申し出た。

 そして、合併した市(というか実質隣市)は、この5億円を教育基金として市の財産とすると発表した。

 用途は、経済的理由で学問を継続することが困難な児童・生徒への支援(奨学金)である。その中には、旧帝大や早慶上智ICU・海外大学・医学部などの難関大学・難関学部に進学した場合、授業料全額補助という制度も含まれている。

 これらは貸与ではない。大人になって経済的に自立したら市にふるさと納税するとか、寄付するとかしてくれるとうれしいというスタンスである。また対象は合併した市の市民全員である。ふるさとの町の住民だけではない。

 

 Q市長就任後、町の空気は変わった。

 町がなくなるという状況でありながら笑顔が増えた。

 市政刷新ネットワークの時代、次々と新しいハコモノが建った。それを市の発展、市政刷新ネットワークの功績と讃える市民も多かった。だが市の財政が苦しいこと、市内のハコモノの老朽化が進み大規模な補修・修繕が必要な状態であることは市民みんなが知っていた。

 多くの市民が感じていたのは「閉塞感」である。

 石川啄木は明治の終わりの空気を「時代閉塞の現状」と表現した。日清戦争・日露戦争に連続勝利したことに日本人は浮かれ、アジア・ヨーロッパの強国に対する勝利として日本の国力への過剰な期待をした。だが、真相は日露戦争で生産年齢の男性を失い、国費は戦争で使い切り、戦争継続は不可能な状況であった。そこで、旅順と日本海海戦での勝利の段階でアメリカによる和平交渉をお願いしたのだ。

 

 市政刷新ネットワーク最後の時代によく似ている。

 市民会館、道の駅、田んぼアート事業、新病院と次々に新しい事業が進んだ。いつのまにかメガソーラー事業も始まっていた。人々はそれを市の発展と信じた。だが真相は市政刷新ネットワークによる市税の浪費であり、市の継続は10年で不可能になった。そこで、国と隣市にお願いして合併交渉を進めたということである。

 

 市政刷新ネットワークの時代、人々は「閉塞感」を抱えていた。赤字財政とハコモノ行政とに違和感があった、だがそれを公然と口にすることはできなかった。Sがそれを指摘しても、市政刷新ネットワークが過半数を占める議会ではどうにもならなかった。Sが去った時、市民は市政刷新ネットワークの推す市長を選んだ。なぜそんな選択をしたのか、今の若者には理解できないだろう。

 市民が目覚めたのは、A町保育所を襲った土砂崩れだ。

 あの土砂崩れの原因を掘り下げると、Sが去った後の選挙結果に行き当たる。市政刷新ネットワークに投票した市民の一票の積み重ねが保育所を土砂で覆ったのだ。

 直後の選挙で市政刷新ネットワークにやっとNOを突き付けることができた。そしてQ市長が当選すると、町から閉塞感が消えた。

 

 あの土砂崩れの真相をすべて明らかにすることはできなかったが、市民が感じていた違和感と疑い、そして罪悪感は間違いないものであった。そういう受け入れ難い事実を受け入れた時、人々は自分の頭で考え、自分の力で稼ぐことができるようになった。

 閉塞感はいつの間に消え、破綻と言う希望ある未来に期待できるようになっていた。